挑戦者には挫折がつきものですが、挫折の中で見つける真の目標こそ、その後の人生の指針を与えてくれるものとなります。徳重さんの場合も、長く描いていたシリコンバレーに行くという目標を失いかけたとき、それが自分にとって本当の目標なのか、強く考えたはずです。そしてその結果、その挫折を乗り越えようと歩み出す一歩が、その後の人生を支えるものになったのです。
この後、徳重さんのシリコンバレーでのキャリアは、在学中のインターンから始まります。卒業後もシリコンバレーに残り、技術系ベンチャーの投資・ハンズオン支援などで活躍し、気が付けば、シリコンバレーに来てから5年が経っていました。
厳格な父親を乗り越えたことも大きな決断だった
挫折を乗り越え、シリコンバレーで働くという思いを実現した徳重さんでしたが、そもそも徳重さんにはもうひとつ、乗り越えてきた大きな壁がありました。それは厳格な父親の存在です。
「そもそも自分が最初に経営に興味を持ったのは、大学浪人をしたとき。予備校時代、精神的に弱っているときに、松下幸之助さんや稲盛和夫さんなど偉大な経営者の本を読み漁あさって、失敗がダメなのではなく、失敗を失敗と思うことがダメなのだと教わったことからでした。そこで起業に興味を持ったわけですが、自分の父親はそんなことは許さない人。というのも、祖父が起業家で事業で成功したあとに大きな失敗をしており、父も苦労していたのです。「いい大学、いい会社に入って出世するのが、いちばんいい人生だ」と何度も言われていました。嫌でも従うしかありませんでした」
今の徳重さんの生き方を見ていると、反発しながらも父親の意見に従って生きていくこと自体がとても不思議に見えてきますが、実際には父親が望んだように大学の理系学部に進み、そして地元で働くこともできる保険会社へと就職します。
「とにかく父は海外嫌い。だから、起業だけでなく、グローバルに働くということも絶対に認めない人でした。仕事を辞めてシリコンバレーに行くことを決断した時も、最初に父の顔が目に浮かびました。でも今やらないでいつやるんだ、という気持ちで、縁を切られることも覚悟して決断したのです」
会社をやめることを話した時、父親は2分間、まったく無言だったといいます。しかし徳重さんは、それに対しても自分の意思を変えることはありませんでした。志を実現する道を選ぶためには、厳格な父親を乗り越えることが絶対に必要だったのです。そんな意思を持った決断があったからこそ、その後の挫折も意味を持ち、そしてその挫折を乗り越えたことも大きな価値に繋がったのかもしれません。
シリコンバレーが志を大きくした
こうして挫折を乗り越え、シリコンバレーで働いた5年間。この5年間は徳重さんにとって、志を醸成する時間でした。
「シリコンバレーには、世界中からハングリーなやり手が集まります。日本は売上げ10億で上場して満足みたいなベンチャーも多くあるけれど、シリコンバレーにはビッグビジョンを持ってビジネスを行っている人がたくさんいました。志はシリコンバレーで働き始めた頃からありましたが、そんな環境で自分の志もさらに大きくなっていったのです。彼らができて、自分ができないわけがない、そう思って自らビッグベンチャーを立ち上げようと決意したのです」
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