千葉・ユーカリが丘「人口増」ニュータウンの戦略 "自給自足"し続け50年、難題に挑む開発会社
彼らの生活を支えるためにホテル、商業施設、さらにはエリア内のみ運行するモノレール線などもそろう、大規模のニュータウンが形成されています。
多くのニュータウンは、公的機関が主体となって街づくりをしていますが、この街では民間会社である「山万株式会社」が主導して街づくりを行っています。
しかも、山万はもともと紡績会社。この日の取材で街を案内してくれた企画開発部の池上雄太さんは「スタートは街づくりとは無縁だった」と話します。
![ユーカリが丘の街の歴史について話す、山万の池上雄太さん](https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/6/f/570/img_6f4dcd65ce2e7e663e8136242077306d117546.jpg)
ただ求められるからつくり続けた
「開発が始まる前の1960年代は、豊かな自然にかこまれ、宅地はほとんどなく、田畑や雑木林が広がるのどかなエリアでした」と語る池上さん。
時代は高度成長期、全国各地で人口は増え続け、住宅の供給も追いついていない状況でした。つまり地方から都市部に人がどんどん集まる時代。山万は繊維業から不動産業に完全に転換したのには、こうした人々のニーズに応えようとするものでした。そこをただの住宅開発販売にとどまらず、思い切って街を形成していくというのが興味深いところ。
![ユーカリが丘のジオラマ](https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/2/e/570/img_2e1d49f2ef72731b472bd88f2d5759b0138160.jpg)
「住民から『これがあれば便利なのに』という声が上がる前に、必要になるであろう施設やサービスを手がけてきました」(池上さん)
例えば、駅周辺にはホテルを建設するほか、商業施設なども手がけました。また、映画館を誘致するために、まだ新しいビルを買い取ってそれを壊し、新たに商業施設の建設まで行ったそうです。
![山万ユーカリが丘線](https://tk.ismcdn.jp/mwimgs/6/9/570/img_69be9549c56f8c5d189515935979c78b70028.jpg)