「四季報丸写し」が会社員人生に与える驚きの変化 300社やれば絶大な効果を発揮

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とにかく暇な状態が3年ぐらい続きました。そんなとき、当時、よく面倒を見てくれる先輩がいて、心配してくれたのです。大学院を卒業したやつを暇にさせておくと、ろくなことがないと思ったのでしょう。『会社四季報』をたくさん渡して、「君、これを片っ端から入力して、どこの会社が儲かっているかを調べて、君の作ったミドルウェアを売り込んでみたらどうか」と。

ーー最初は、売り込み先を探すための写経だった。

儲かっている会社を見つけ出して、そこに売りに行く。儲かっている会社に行けば、500万円ぐらいのソフトウェアなら買ってくれるんじゃないかと思ったのですが、結局1つしか売れませんでした。

当時はまだ26〜28歳で、画期的だと信じているソフトウェアの機能の説明ばっかりやっていたので、さっぱり売れませんでした。「こんなすごい機能なんですよ、画期的でしょ。プログラム言語も、フォーマットも、OSも関係なくプログラム間通信できるんですよ」って一方的に説明しましたが、当時はまったく意味不明だったようです。

とはいえ、ひたすら『会社四季報』を入力するということを、1993年から半年ぐらい集中的にやりました。その後は継続メンテナンスモードです。とにかく暇すぎて、広告欄も、前書きも、全部舐めるように読んでいました。それでもいよいよ暇なので、これは辞めようということで会社を辞めて、BCGに転職しました。

BCGに入ると、周りのみんなはハーバードのMBAとかスタンフォードのMBA。私だけが理系の大学院上がりでした。14人くらいが同じ年に入ったのですが、MBAなし、海外留学なし、というのは私だけでした。これはやばいところに入ったな、と思いました。

ところが入社して半年ぐらいから急激に、『会社四季報』を書き写していたことが、むちゃくちゃ役に立ち始めました。かなり早めに昇進して、あっという間にそこそこ偉くなりました。1998年~1999年ごろ、BCGに入って3年目から4年目にかけて、精密機械メーカーやコンピューターメーカー、証券関連などからプロジェクトをいくつか自分で受注してしまい、まだパートナーにはなっていなかったので、他のパートナーの方に仕事を配るという状態になっていました。

その大きな原因は、やっぱり『会社四季報』をせっせと写経したからだと思います。他にはあまり思いつきません。

業界の変化が自然と見えるようになった

ーー具体的には何が役立ちましたか。

最大の幸運は、まずいろいろな事例が頭に入っていたということです。

多くの企業の全体像を頭にインプットしてるので、この業界のこういう会社が伸びてきたら、この後はこういう業界が伸びていくぞ、といったことがわかるようになっていました。10年分ぐらいの四季報を入力していたので細部が見えてきます。

例えば、自動車メーカーが儲かってくると、部品メーカーもそれに合わせて儲かるっていう当たり前のことも、実際の具体的な社名を含む形で頭に入ってきます。景気が良くなったら不動産業界がみんな良くなるんですけど、景気が傾くと、真っ先にそこがダメになっていくといったことも、四季報写経を通じて頭に整理されました。こうした変化や動きを時系列で理解できている人は、実は多くありません。

また四季報を写経していると、マザーズ(現在のグロース市場)に上場している企業の情報もどんどん入ってきます。新しいビジネスについては、年配の方はそれほど知らないので、こちらのほうが知識が豊富でした。よって、「多くの企業経営者が知らないことだけれども、本来であれば知っておくべきこと」を伝えることができました。だからコンサル先の経営者にそれなりに重宝されたのだと思います。

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