「年収の高い仕事」「低い仕事」を分ける残酷な要因 「業界・職種・努力・情熱…」では決まらないワケ
結論を急げば、それは「需要と供給のアンバランス」です。
1本3000円のワインも300万円の「ロマネコンティ」も、原材料のブドウや製造工程の手間ひまに、それほど大きな差はありません。少なくとも1000倍の差はないでしょう。
それでも最終的に1000倍の価格差がつくのは、「ロマネコンティ」を買い求める人が世界中にいる一方で、流通している量がわずかだからです。
筆者が好きな芋焼酎の中にも高級品はありますが、その価格は最高峰の「森伊蔵」でも数万円です。ワインのように数百万円と高騰しないのは、供給が少ないのは共通している一方で、需要が日本国内の、それも一部の焼酎愛好家に限定されているからでしょう。
「ロマネコンティ」にせよ「森伊蔵」にせよ、その価格を決めているのは、原材料でも作り手の手間や情熱でもありません。「ワイン」や「焼酎」などというカテゴリーでもありません。それらの価格は、需要と供給が釣り合うポイントで決まるのです。
努力や苦労が収入に「直結」するわけではない
私たち自身のビジネスパーソンとしての価値、そしてその1つの尺度である年収もこれとよく似ています。決定的な差をもたらすのは、努力や能力の違いではなく、「需要と供給のアンバランス」なのです。買い手が多くて売り手が少ない、という状況です。
そこに努力や能力がまったく関係ないわけではありません。需要が多く、供給が少ない仕事であるのは、必要な能力を身につけるために相当な努力が必要だから、というケースも多々あります。
しかし、人一倍努力して高難易度のスキルを身につけたとして、それがすなわち高収入に結びつくかというと、必ずしもそうではありません。
例えば、筆者が今趣味で勉強しているポルトガル語を身につけるには、英語以上に努力が必要だと感じています。学校教育で基礎を教わりませんし、教材も教育機関も圧倒的に少ないからです。
しかし、こと収入に関しては、人一倍の努力でポルトガル語を身につけるより、人並みの努力で英語を身につけたほうが圧倒的に有利でしょう。
なぜなら、英語を話す人を必要とする企業はたくさんあり、それに比べると流暢な英語の使い手は日本にはまだ少ないからです。そこには「需要と供給のアンバランス」があるのです。
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