経済格差を批判する人たちは、高所得層や企業に重税をかけ、生活に困窮する人たちにお金を配ろう、と訴える。それが共に生きる社会のあるべき姿だ、と。
私はこの意見に賛成だ。だが、こうした政策は、高所得層や企業にとって、どのような利益があるのだろう。たんに取られるだけ、貧しい人たちがもらうだけ、だとすれば、<寄生という名の共生>に近づいてしまう。
戦後まもなくなら、貧困層の暮らしが安定すれば、暴動が起きない、支配層の地位が維持される、という説明はアリだっただろう。でも、絶対的貧困は過去の話になった。貧しい人もそれなりに生きていけるいまの社会で、この説明は受け入れられるだろうか。
あるいは、重い税をかけられれば、高所得層や大企業は、資産や住居を国外に移してしまうかもしれない。しばしば聞かされるこの脅し文句に、私たちは、耐えられるだろうか。
福祉の世界で起こっていること
もっと身近なところに焦点をあわせてみよう。
福祉の世界では、「共生社会」という用語が当たり前のように語られる。
介護や障がい者福祉の現場では、施設の職員さんたちが、利用者さんのよりよい生活を支えようと頑張っている。だが、ここでも同じ疑問が浮かぶ。いったい何が職員さんにとっての利益なのだろう。
給与はメリットだ。しかし、それを「共生」というのなら、あらゆる経済活動はすべて共生であり、政府や中間団体がこの言葉を振りかざすまでもなく、共生社会はすでに実現していることになる。
そうではなく、利用者さんと関わることで感じられる、福祉従事者のメリットだ。それは、おそらく、お年寄りや障がい者の笑顔だったり、利用者家族からの感謝の言葉だったりするのだろう。人の役に立てているという実感、喜びは、何物にも代えがたいものだ。
だがここでもまた、善意と良識に満ちた人間の影がちらついて見える。現実には、重労働や精神的負担に苦しみ、報酬も不十分で将来不安におびえている職員さんが大勢いるからだ。
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