当時の状況を振り返ろう。
そのころ国内は、ジャーナリストの後藤健二さんと一般人の湯川遥菜さんがシリアで過激派組織「イスラム国(ISIL)」に拘束され、騒然となっていた。政府は在ヨルダン日本大使館に対策本部を設け、後藤さんの妻は水面下で必死にISILと身代金の交渉をしていた。
緊迫感がみなぎる1月17日、安倍首相は訪問先のカイロで「ISILとたたかう周辺各国に総額で2億ドル程度、支援を約束します」と、ISILを挑発するような演説をした。演説から3日後の20日、ISILは2人の殺害を予告する。
そこで古賀氏は23日の放送中に「後藤さんは犠牲になるかもしれない」と、安倍首相の対応を批判し、「I am not ABE」と言ったのだ。日本人全員が安倍首相と同じ考えではないというメッセージだった。
強烈なメッセージ
すると、まだ放送が終わらぬうちに官房長官秘書官の中村氏からテレ朝の報道局ニュースセンター編集長(当時)にショートメールが入った。古賀氏の『日本中枢の狂謀』によると〈その内容は「古賀は万死に値する」といったような、強烈な内容だった〉という。
湯川さんは1月24日、後藤さんは1月30日に殺害された。
テレ朝も、金曜コメンテーターだった古賀氏を3月末で降ろす方針を固める。2015年3月27日(金)、古賀氏は報ステの放送中、「テレビ朝日の早河(洋)会長、古館プロダクションの佐藤(孝)会長のご意向で(出演は)これが最後」「菅官房長官(当時)はじめ官邸の皆さんにはものすごいバッシングを受けてきました」と暴露する。そして再び「I am not ABE」のフリップを掲げた。
当時、古賀氏の暴露発言はメディアでセンセーショナルに取り上げられたが、「安倍一強」のころでもあり、政権の放送介入やテレ朝側の忖度はうやむやにされてきた。
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