あなたにも出来る!社労士合格体験記(第36回)--年金で重要な生年月日1956年4月2日

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あなたにも出来る!社労士合格体験記(第36回)--年金で重要な生年月日1956年4月2日

私の故郷は愛知県。生まれたのは知多半島の内海という海水浴場のある小さな町です。母親の生まれ育ったこの町の病院に、名古屋の大学を出て、薬剤師となった父親が赴任し、交際が始まり、1956年に結婚しました。

その2年後、私は母方の実家で、お産婆さんの介助のもと誕生。その後、父親の転勤で、岐阜県中津川市、名古屋市北区と引っ越しましたが、子供の頃はいつも夏休みに母方の実家を訪れていました。

しかし、海水浴に行っても、親が気弱な私を心配して、浮き輪を外さなかったため、泳ぎは一向にうまくなりません。小学生時代は学校にプールがなかったため、金ヅチでもよかったのですが、中学校では溺れそうになりながら必死で練習する羽目に。それでも内海は、祖母とお墓の掃除に行ったり、セミをとったり、相撲をしたりと、少年時代の懐かしい思い出の地です。

父親は防波堤で、よく魚釣りをしていて、夜の食卓には釣れたばかりのクロメと呼ばれる魚などが並びました。でも、不器用な私が竿を垂れても、ゴミや小さなカニが食いつく程度で、がっかりしたことを今でもよく覚えています。

親元が疎遠になった20代、30代

私は長男で過保護に育てられたため、水泳や釣り以外でも、気弱で不器用な自分に不満を感じていました。食べ物の好き嫌いも多く、中学、高校と進むにつれて、親元を離れて苦労しないとダメだと思うように。ラジオの深夜放送に夢中になり、東京へのあこがれもありました。

親は地元での進学、就職を望んでいましたが、私は結局我を通して、東京の大学に進学し、就職も東京の会社。大学時代は寮生活やクラブ活動、就職後は仕事やバックパック旅行が楽しく、親元に帰るのはお正月だけ。たまに帰っても、いつ結婚するのかと心配されるので、どんどん足が遠のきました。

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