「ガンダム」生みの親が語る日本エンタメ史の裏側 安彦良和氏が驚愕した才能、原作のアニメ化に思うこと

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こうして、俺の時代と思ったのもつかの間。尖った、非常にマニアックなアニメが作られる様子を目の当たりにし、「これは俺にはできないな」と痛感するようになった。

――「俺にはできない」と感じさせた才能とは。

象徴的だったのは、庵野秀明氏。彼は学生時代から特撮やアニメが大好きで、自主的にフィルムを作っていたのだが、それが非常にラディカルで面白い。とくにインパクトが強かったのは、1987年に公開された『オネアミスの翼』。劇場で観て、とんでもないものを作りやがった、と驚愕した。

「好きこそものの上手なれ」で、彼らは常識外れなぐらいぶっ飛んだことをやる。業界に長くいると、そんなコストのかかることをやったら会社が潰れてしまう、テレビアニメだったらこの程度だろう、と、迷惑をかけない程度に頑張るクセがつく。庵野氏たちは端からそういう頭で作品を作っていないから、とんでもないことをやってのける。そこまでの才能と熱量が僕にはなかった、と自覚した。

そう感じていたとき、見えたのが漫画を描くという道だった。大勢の人がかかわり、大きなお金が動くアニメと異なり、漫画の場合は個人的な作業だから、自由度が高くて描きたいものが描ける。連載してみて人気が出なければ「ごめんなさい」でやめればいい。そう思って、1990年代から専業漫画家になった。実際に歩みだして「本来の俺の夢は漫画家だったんだ」と思い出した。

漫画の仕事はしっくりきたが、アニメでなまじ成功していた分、敗北感はあった。

歴史を史実に縛られず、自由に描く

――漫画作品では、歴史モノを多く手がけていきます。

ちょうど「最後のアニメ作品」の仕事が終わる頃に、描き下ろしで『古事記』をテーマに漫画を描かないか、とお世話になっていた編集者から提案があった。「好きなように描いていいですか」と聞くと、「いいよ」と言うので、『古事記』の解説ではなく、その素材を自分なりに解釈して描いた。

解釈するといっても、僕は研究者ではなく漫画家だ。史実に縛られず、自由に描ける。たとえば、日本にまだ騎馬の習慣がない時代を描いていても、見栄えが良くなるから(登場人物を)すぐ馬に乗せてしまう。ちょっと軽薄だな、という認識はあるが、漫画はビジュアルが第一なのだから、仕方がない。資料が豊富に残っている時代だとさすがにそれを無視することはできないから、「歴史以前」の時代は、むしろ描きやすかった。

漫画専業になってからは、歴史モノを多く手がけた(画像:『ジャンヌ』より ©安彦良和)
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