なぜ戦争に訴える?ロシアの根源感情を読み解く ロシア独特の「陰鬱」や「憂鬱」の背景

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実際、13世紀から始まったモンゴル支配と時を同じくして、西のリトアニア大公国が、現在のウクライナ、ベラルーシからロシア西部に侵入し、14世紀にはこの地域を支配する。また、バルト海沿岸には、スウェーデン王国とドイツ騎士団が控え、海へのルートを確保したいロシアはこれらの国々とも戦わねばならなかった。

17世紀にはポーランドとの間に13年におよぶ戦争があり、18世紀に入るや、ピョートル大帝のもとで、ロシアはスウェーデンとの大戦を経験する。この戦争に勝利してバルト海沿岸は手に入れたものの、次は南方である。

スウェーデンとの戦争の後、18世紀を通じてトルコと戦い(露土戦争)、19世紀になると、クリミア戦争があり、また露土戦争が勃発する。ことほどさように、ロシアの歴史は、周辺の大国との戦争の連続であった。

長い間、これだけの巨大帝国、強国にはさまれた、国境が決して確定しない不安定な国家がロシアなのであった。だから、ロシア人の心の内には、常に周辺に脅かされるという底知れぬ恐れと、それに耐え忍ぶ途方もない忍耐力と、いっきに形勢逆転をはかる軍事力を手に入れ、勢力を拡張するという「力への意思」というようなものがあっても不思議ではない。

戦争とは祝祭である

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ロシア正教会は、基本的に、ロシアを守る戦争には好意的である。決して平和主義ではない。兵士も武器も神によって祝福されると考える。その延長で、ロシア正教会は、ロシア防衛のための核兵器の使用を認めているのである(角茂樹『ウクライナ侵攻とロシア正教会』〈KAWADE夢新書〉参照)。

そして、これはロシア人の一般的な気分の、少なくともある部分を示しているようである。それを亀山陽司は次のように述べている(『地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理』〈PHP新書〉参照)。

「ロシアにとって戦争とは、単なる防衛でもなく、単なる侵略でもない。それは巨大な『祝祭』であり、国民によって何度も追体験されるべき歴史的記念碑である」

戦争は「祝祭」のごときものだ、というのは面白い表現だろう。私はつい、あのチャイコフスキーの「序曲1812年」を思いだしてしまうが、これなどまさに戦争を祝祭として描いたかのように聞こえる。確かに列挙するのも面倒なほど、ロシアの歴史は対外的な戦争の連続であった。そして、亀山の前掲書によると、19もの「軍事的栄光の日」が法的に定められているそうである。

佐伯 啓思 京都大学こころの未来研究センター特任教授、京都大学名誉教授

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さえき けいし / Keishi Saeki

思想家。1949年奈良県生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程単位取得。広島修道大学専任講師、滋賀大学教授、京都大学大学院教授などを歴任。著書に『隠された思考』(筑摩書房、サントリー学芸賞受賞)、『「アメリカニズム」の終焉』(TBSブリタニカ、NIRA政策研究・東畑記念賞受賞)、『現代日本のリベラリズム』(講談社、読売論壇賞受賞)、『近代の虚妄』(東洋経済新報社)など。現代文明や日本思想についての言論誌「ひらく」(A&F BOOKS)の監修も務めている。

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