「セクシー田中さん」報告書に欠けた"問題の本質" ビジネス視点で俯瞰するとわかる対立構造
ドラマ自体は3カ月、つまり1クールでおしまいですが、そこからスピンオフドラマを企画したり、時期を改めてアニメ化したり、漫画が終了した後で独自ストーリーの映画を企画したりということを繰り返すたびに、漫画のIPとしての価値は上がっていきます。結果、漫画の販売部数が増えるのに加えて、関連本、グッズなど出版社にとってのビジネスの幅も広がります。
映像化のメリットは漫画の権利を持つ側にとっては非常に大きなものがあります。手塚治虫先生を例にとるとわかりやすいのですが、あれだけの名作を抱える中で、IPとしての価値が高い作品は『ブラックジャック』『火の鳥』『鉄腕アトム』の3作品だけです。『鉄腕アトム』はIPとしての価値はかなり下がったかと思っていたらNetflixで『プルートゥ』がアニメ化され、またIP価値が一段と上がりました。
テレビ局にとってのドラマ化の意味
これに対してドラマを制作するテレビ局はビジネスとしては薄利です。ビジネスを維持するためには毎クールごとに5つのドラマ枠を視聴率のとれるドラマ企画で埋めていかなければなりません。収入は放送時のスポンサー収入が主で、それに近年では動画配信での再利用収入が加わりますが、『あぶない刑事』など一部の大ヒットしたドラマを除けばドラマからの利益はその程度です。
つまり漫画というIPにとってはテレビ局が加えてくれる付加価値が絶大な一方で、テレビ局にとってはドラマ化はルーチンワークの位置づけにあるのです。出版社がテレビ局のおかげで無形資産の価値が大きくなる一方で、テレビ局は出版社の無形資産の許諾を受けても仕事がひとつ前に進むだけだと事情を言い換えてもいいかもしれません。
そう考えると『セクシー田中さん』のドラマ化の提案があったことは小学館にとって重要なプロジェクトであったことが理解できます。
どちらの報告書にも書かれていることですが、ドラマ化の最初の会合で小学館側は日テレ側に原作者について「作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂『難しい作家』である」と伝えています。小学館側の編集者と契約担当者はともに、過去の原作者の映像化の経験から、今回も大きな手間が発生することを想定していて、それを日テレに伝えていたのです。
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