「セクシー田中さん」報告書に欠けた"問題の本質" ビジネス視点で俯瞰するとわかる対立構造

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一方で日テレはこの段階ではそれほどのことだと伝えられた認識はもっていなかったと報告書に記載されています。将来のトラブルを回避するために「これから大変になるよ」と予告しておいて、徐々に大変にしていく。小学館の側からみればプロジェクトマネジメントとしては重要なノウハウです。

そして実際にドラマ化のプロセスが始まると、関係者はその「大変さ」に巻き込まれていきます。中でも費用に見合わない仕事をさせられたのは原作者と脚本家、そしてドラマ制作会社の演出や助監督ではないでしょうか。一方は原作の世界観を守ろうと漫画を描く時間以外に大きな時間をプロットのチェックに割くことになり、もう一方は限られた予算でよりよいドラマを成立させるために集まって知恵をひねり出します。

浮かび上がる別の対立構造

こう構造を俯瞰するとこの問題は、必死で良いものを生み出そうとしている労働者と、そこから大きな利益を得ようと考えている資本家の対立構造に絵柄を描きかえることができます。小学館と日テレが実は資本家としてひとつのかたまりを構成していて、編集者とプロデューサーはそれぞれ資本家の代理人。原作者と脚本家、制作会社スタッフというクリエイターたちがそれと対立するもうひとつのかたまりという構図です。

そしてこの構図のなかで、資本側の小学館と日テレは「ドラマを成立させたい」という思惑で一致します。出版社は一見、原作者のエージェントの立場であるように見えて、利害関係ではテレビ局寄りの立場をとる力学が生まれるのです。その一方で労働者サイドのよりよいものを作り上げようとする人と人の間が分断されていることで、敵の誤認が起きます。

SNSでの批判では原作者の意図が制作側に伝わっていないことが批判されましたが、実はその逆に日テレのプロデューサーも編集者側に「改変は脚本家だけが提案しているのではなく、チームで考えて案を出している」と伝えています。どちらのメッセージも資本家経由で細いパイプでつながった先にいた労働者にはなぜか伝わりません。

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