難しいのは、そのようにホームレスたちの居場所をなくしたあと、そこが逆に若者や若いファミリー層にとっての新しい居場所になったことだ。
カフェはこうした若い層を取り込むことに成功しているが、一方でそれ以外の人たちの居場所をなくした側面もある。つぐつぐ、「居場所」の問題を考えるのは難しい。
カフェ×公園はこの先どうなる?
こうしたホームレスの強制排除問題と共に語られるのが、「公園」という、本来はお金が入ってきてはいけない領域に民間企業が入り込むことに対する批判だ。
もちろん、そうした問題は決して忘れてはいけない視点であるが、特にカフェ事業については、これまでみてきた通り、一定程度、民間資本が入り込むことで、逆に「公園」というパブリックな空間を作り出している側面もある。逆説的だけれど、でも、実際にそうなのだ。
それは、おそらく、そもそも「カフェ」というもの自体が、ある種のパブリックな空間、つまり、私の言葉でいえば、比較的低コストでだらだらいることが許されている空間であることが関係していると思う。
たぶん、お金を使う空間の中では、公共性が比較的高いのがカフェなのだろう。だからこそ、「公園」というさまざまな人の存在を許容する空間のポテンシャルを引き出しているのだといえる。
このように見ていくと、公的セクターに民間資本が入り込む場合の一つの最適解が、このカフェ×公園というコラボ事例なのかもしれない、とも思う。その意味でも、現代におけるカフェの意味はますます重要になってきているといえるのだ。
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