任天堂の岩田社長とのやり取りで活用した"柔術" 仕事における「相手を理解すること」の重要性
私たちは予定通りそのまま飛行機を乗り継いでそれから列車で行くか、あるいは新幹線で直接京都まで行くか決めなければならない。チームが私に顔を向けた。私の決断が間違えば、故人との別れに間に合わない可能性も出てくる。
私は新幹線で行くことに決めた。新幹線は時間通りに走行する。1分でも到着が遅れたり、逆に早く到着したりしたときでさえ、制服を着た車掌が謝罪するくらいだ。
新幹線が京都駅に到着する頃には、時間が切羽詰まっていた。お寺まではタクシーを使うしかないが、列に並んで待たなければならず、そうなるとさらに遅れてしまう。チームのメンバーの1人が事前に電話して、お寺を開けておいてもらえないかと頼んでくれていたが、その要望に応えてもらえるかはわからない。
自らのキャリアを考える
私たちはやっと目的地に到着した。残っていたのはわずか数名だけ。その日の早くには1000人を超える人たちが故人との別れに訪れていたそうだ。
任天堂のスタッフが早くから大勢の人たちに対応していたようで、その中に馴染みの顔もいた。君島達己氏が現場にいた古参の人物だ。君島氏はNOAの社長だったときに、私を採用してくれた。
私たちは遅れて着いたため、岩田氏の棺には翌日の葬儀のために、葬儀用の布がかけられていた。気持ちを集中させて覚えていた手順で焼香を行っていると、君島氏から友人をご覧になりたいですかと聞かれ、はいと答えた。
私はしばらく岩田氏の前に立っていた。私の友人であり、メンターであり、導き手だった人が亡くなったという事実を受け入れるしかなかった。
岩田氏の逝去がきっかけで、私は自分のキャリアについて深く考え、任天堂に何を残したいのか考えるようになった。そしてそれから先のことについても。
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