16年の幕を閉じた「沖縄国際映画祭」が残した課題 映画だけではない、総合エンタメの祭典だった
そんな映画祭が終わるこれからについて聞くと下地氏はこう語る。
「この時期を盛り上げる取り組みの必要性は関係各所が認識しています。沖縄県と観光業界、さらには市町村のみなさんを含めた協議の場が必要。なるべく早いうちに意見交換をしたいと思っています」
大﨑洋氏が語る映画祭終了への思い
実行委員会・委員長を務め、映画祭を牽引してきた吉本興業・前会長の大﨑洋氏。東京から来たよそ者が地元との連携と協力依頼に奔走し、少しずつ信頼関係を築いてきた16年の道のりを振り返り、その幕を閉じることをかみしめる。
「個人的に沖縄に46年間通っているなか、この16年は映画祭を楽しみながらやってきました。いったん立ち止まって、見直して、また進むためのひと区切りかな。終わることをポジティブに捉えないといけないと思う」
映画祭でエンターテインメントに触れた地元の子どもや若い世代に与えてきた影響は大きいだろう。16年間の功績について聞くとこう答える。
「映画祭が役に立ったかはわかりません。データなどのエビデンスもない。ただ、数字で測れないことですけど、個人的な感覚としては、地元の人たちによろこんでもらえたと思うんです。映画祭を体験して、自分の好きなことや、やりたいことに気づく子どもたちがいたかもしれない。そうあったと思いたいですね」
そして、この先について。沖縄と東京、大阪のエンターテインメントをつなぐキーマンであり、沖縄をエンターテインメントの島にすることを掲げていた大﨑氏はどう動くのか。
「沖縄の春の風物詩になるまでの大きなイベントになったので、これからは沖縄の人たちが声を上げて続けてほしい。それが理想です。地元が自分ごととして動き出して僕に声をかけてくれるなら、そこに参加することもあるかもしれません」
大﨑氏は当初、映画祭を100回まで続けると宣言していた。いま改めて聞くと「調子に乗って言ってしまって、終わるとなってからいろいろ言われています(笑)」と笑顔を見せる。
「子どもたちへの職業の提案や体験、若い世代の人材育成という面では長く続けなきゃいけない。うまく次の人にバトンタッチして引き継ぎたいという思いです。
そのためにも、イベント自体を事業化してお金の流れを作っていかないと継続性は担保できない。それにはやっぱり時間がかかる。経済的な自立と自走が継続へのひとつの大きな柱。そこを目指すのが第2のスタートになるんじゃないですかね」
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