病を患う光源氏、「再生の旅路」での運命の出会い 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・若紫①

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「あんなに女童がいるということは、あそこには女の人が住んでいるのか」

「僧都が女を囲っているわけはないからなあ」

「いったいどういう人なんだろう」

と、お供の者たちは口々に言う。下りていってのぞいて見る者もいる。

「きれいな娘たちと、若い女房、それに女童たちがいる」と言う。

仏前のお勤めをしているうちに日も高くなっていくので、病がぶり返さないかと光君は不安になるが、

「何か気分をお紛らわしになって、お気になさらぬのがようございます」

とお供の者に言われ、後ろの山々に向かい、京の方角を見下ろした。ずっと遠くまで霞がかっていて、木々の梢(こずえ)がどことなく一帯に煙って見える様子は、まるで絵に描いたようだ。

明石の浦の父と娘の話

「こういうすばらしいところに住む人は、満足して思い残すこともないだろうね」と光君が言うと、

「このような景色はたいしたものではありません。よその国にあります海や山の光景をご覧に入れましたならば、どんなにか御絵も上達なさることでしょう」「富士の山だとか、何々の岳とか」とお供の者たちが言う。また、西のほうの風情(ふぜい)ある浦々や、海辺の景色について話し出す者もいて、なんとか君の気を紛らわせようと努める。

「近いところですと、播磨(はりま)の明石(あかし)の浦(うら)、これがやはり格別でございます。どこといって深い趣があるわけではありませんが、ただ海を見渡したその光景が、不思議とほかの場所とは違って、広々としているのです。その国の前(さき)の国守(くにのかみ)で、近ごろ出家した者が娘をたいせつに育てております家は、たいしたものです。大臣の子孫で、出世もできたはずの人なのですが、たいそうな変わり者で、宮廷勤めを嫌って、近衛中将(このえのちゅうじょう)という役職も捨てて、みずから願い出て国守となったわけですが、その国の人々にも少々馬鹿にされたりして、『どんな面目でふたたび都に帰ることができようか』と言って出家してしまったのです。多少とも奥まった山中に隠棲(いんせい)することもせず、人の多い海岸で暮らしておりますのは妙なことですが、なるほど考えてみますと、播磨の国には出家した人の隠棲にふさわしいところは方々にありますが、ひとけもないものさびしい山奥など、若い妻子が心細く思うに決まっておりますし、それに、自分の気晴らしのためもあるのでしょうね。先頃、播磨国に参りましたついでに、様子を見ようと立ち寄ってみましたら、京でこそ失意の者のようでしたが、今はその辺一帯の土地を占有して、邸宅をかまえておりました。なんと申しましても国守の時の権勢でそのようにしたわけですから、余生を充分裕福に過ごせる用意ができているのです。極楽往生のためのお勤めもじつによく励んでおりますから、かえって出家して人柄の格が上がった人物ですね」とお供の者が話すと、

「ところで、その娘というのは」と、光君は訊く。

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