いじめや性加害など「悪事」が見過ごされる現実 群衆は悪事を止めるために何もしようとしない
そして数人の生徒は、全裸で意識を失っている彼女の様子を撮影し、その画像を他の生徒と共有して、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブに投稿していました。
暴行を止めようと介入したり、危険な状況から彼女を遠ざけたり、通報して彼女を助けようとした生徒は一人もいませんでした。
少女をレイプした2人の生徒が恐ろしいことをしたのは間違いありません。しかし、他の多くの生徒たちが何らかの形で介入する力を持ちながら、それを選ばなかったことも明らかです。
ある程度ではありますが、彼らの不作為がこの事件を許してしまったのです。
残念ながら、何が起きているのかが明確にわかる状況だったとしても、行動を抑制するプレッシャーを克服できる人はほとんどいないことが示されています。
リンチに関する本の著者であるシェリリン・イフィルは、米国のアフリカ系米国人に対するリンチがしばしば公共の場で実施されていたこと、何百人、時には何千人もの人々がそれを見守っていたことを明らかにしました。
観察者全員がそのイベントを祝福していたわけではありません。そこには怖がっていた人もいたはずですが、介入しようとした人はほとんどいませんでした。
悲劇は「善人の沈黙」にある
2017年2月4日、ペンシルベニア州立大学2年生の19歳のティモシー・ピアッツァは、所属するフラタニティの新入生いじめの儀式の一環として82分間で18杯のお酒を飲まされました。
午後11時頃、彼は階段から真っ逆さまに転落しました。
ティモシーは意識不明で、腹部の大きなあざなど重傷を負った形跡が認められたことから、フラタニティの多くのメンバーは彼の体調が非常に悪いことに気づいていました。
しかし、誰かが救急に連絡したのは、彼が転落してから12時間以上も経過した後でした。
ティモシーはようやく病院にたどり着いたのですが、脾臓の裂傷や重度の腹部出血、脳の損傷が見つかり、翌日、彼は亡くなりました。
どうして多くの人々は通報しようとしなかったのでしょうか?
無料会員登録はこちら
ログインはこちら