このように寛大な遺族にもかかわらず、あえて相談せずに手記を強行出版しました。手記の出版は絶対に受け入れられない、回収するべきだと遺族から強硬に申し入れられたことも無視しました。彼は出版を反対されて止められるのを、もっとも恐れていたそうです。
彼は、「この手記を書く以外に、罪を背負って生きられる居場所を見つけられなかった、これを書くことが、唯一の自己救済だった」と書き、無断出版を遺族に深く詫びています。詫びる気持ちが心底からのものなら、無断・強行出版は控えたはずです。彼はまだまだ自己中心的で、誠実に事件と向き合っていません。
酷な見方かもしれませんが、彼は遺族を欺けるほどの手紙を書けるようになっただけかも知れません。そうでなければ、この時期に、このような手記を出版しようとは思わないはずです。当時よりは、随分、成長したでしょうが、根本のところで成長していません。何回被害者を殺し、遺族を苦しめるのでしょう。
無責任な出版社への怒り
私は本書を出版した太田出版にも、強い憤りを感じます。遺族感情よりも「自己救済」の論理で出版を持ち掛ける加害者に対し、「事件の背景を知らせるため」というおためごかしな「大義名分」で、この被害者遺族への精神的蹂躙(じゅうりん)に加担しました。事件の背景を知らせるなら、遺族の了解を取り、公益に該当する部分をブログやネットで公表できるはずです。このように、陳腐な問題の本質からそれた陳腐な指摘になりますが、この出版社の方々に聞きたいのは、次の1点です。仮にこの事件の被害者が、自分の息子だったとしても、出版社の社長はこれを引き受けたでしょうか。
人の好奇心を刺激して話題になる手記なので、商業的にはどこの出版社でも売れることがわかっていたでしょう。しかしそれをほかの出版社が断ったのは、短期的な商機以上に大切な判断があったからです。
この出版社は商売のために加害者の独りよがりな思いに加担し、被害者を踏みにじってお金を拾った、と批判されても仕方ないことでしょう。もちろんその批判は織り込んだうえでの経営判断かとは思いますが、その代償が想定よりも高かったと、最後は後悔することになるでしょう。
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