その姿を、スタッフたちは娘や孫を愛でるように見守った。教室出身の子どもがボランティアとして戻ってくるのは初めてのことだった。
学習支援をする側にまわったメイは「今まで教えてもらうことに慣れきってたけど、わかりやすく教えるのって難しいねんなあ。自分の教えてることが合ってるんか不安になったら、その子も不安にしてしまうし」と言う。
特に、ある女の子の姿が心に残ったという。教室でも口数が少なく、物静かな小学6年の女の子だ。
「すごい黙々と丁寧に宿題をやる子なんやけど、どうしても要領が悪いねん。それが小学生のころの自分を見てるみたいで。もっと力を抜いてもいいのになあって思いながら教えてた」
そうやって自らと重ねながら、気持ちをわかろうとしてくれる先輩がいることは、その女の子にとっても、良い出会いになったはずだ。
「やっぱり居場所かな。心の居場所」
メイは専門学校の入学と同時に、学校の寮へ入ることになった。6歳で移り住んで以来初めて、島之内を出て暮らすことになったのだ。
島之内を「ほわほわしてて、居心地がいい」と評していたメイだ。名残は尽きないようだった。
私は1つの区切りだと思い、メイがうちへ夕食に来た日、少し改まったインタビューをさせてもらった。居間の座卓に向き合い、レコーダーを回す。
メイは少し照れつつ、一つひとつ言葉を選びながら、父親が倒れてからの2年間をふり返ってくれた。
「私がしんどい時に周りにいろんな大人がおってくれて、それぞれの場面で助けてくれた。勉強のことはタナカ先生、生活のことはウカイ先生、役所とかややこしいことはキム先生、いろんな愚痴はタローの家で聞いてもらった。
そうやって、いろんな大人がおってくれたから、ひとりで悩まずに済んだ。それがいいな、って。ひとりの人だけに頼りきるんじゃなくて、いっぱいいてくれることで、一人ひとりに少しずつ、あんまり遠慮せずに相談ができるやん。
相談できるから、ひとりで抱え込まんで済む。そのおかげで心の余裕ができたと思う」
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