父倒れ一人になったタイ出身・女子高生の旅立ち 大阪ミナミ「外国ルーツの少女」の成長【後編】

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私にとっても、妻にとっても、メイが週に一度うちに来ることは純粋な楽しみになっていたからだ。うれしい報告も、たまりにたまった愚痴も、冗談交じりに明るく語るメイと接していると、私も妻もただ楽しかった。

当時ブームになり始めていた漫画「鬼滅の刃」の存在も、流行語「ぴえん」や「JK(女子高校生)」の正しい使い方も、現役女子高校生のメイが私たち中年夫婦に教えてくれた。

メイは食卓で話しながら、時折こらえきれずに涙をこぼした。それでもじきに気を持ち直して笑顔を見せようとする姿に、こちらが励まされていた。

高校卒業後の進路

父親が自宅に戻れないまま、メイは高校3年生になり、受験の年を迎えた。「助産師になる」という夢の実現に向け、まずは看護師の資格を取るための専門学校を目標にすえた。

Minamiこども教室で受験支援の中心を担ったのは、高校の化学教師を退職してボランティアに加わったタナカさんだった。皮肉のきいた冗談は多いが、子どもへの愛情にあふれたおじさんだ。

メイの苦手教科は化学と数学。高3レベルの理系科目を教えられるスタッフは限られ、タナカさんがつきっきりで課題をみた。

3年生の夏になると志望校も固まった。私も新聞記者の端くれなので、メイの小論文や志望理由書を添削したり、面接の練習に付き合ったりした。志望理由書には「将来、助産師になりたいと考えているからです」としっかり書いた。

第1志望の看護専門学校の推薦入試は、早くも秋に始まった。

面接試験の直後は「全然うまく答えられなかった」と落ち込んでいたメイだが、小論文と面接の1次試験、そして最終の2次試験を無事に終えた。

結果発表の日、メイから電話があった。

第一声、「合格した!」と報告があり、妻と2人で喜び合った。

合格した専門学校には寮や奨学金があり、4年学んで卒業した後、しばらくは系列の病院で看護師として働くことになる。うまくいけばメイは20代半ばで助産師学校に入り、夢をかなえることができる。

受験勉強から解放されたメイは、ボランティアとしてMinamiこども教室へ顔を出すようになった。小学生の隣に座って宿題を教え、子どもの自宅への見送りも担った。

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