タイ育ちの少女が大阪で見つけた夢と「居場所」 大阪ミナミ「外国ルーツの少女」の成長【前編】

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父娘2人、移り住んだ先が島之内だった。

正三さんは当時、会社勤めをしていた。仕事で接待がある夜、幼いメイを自宅に1人置いてはいけず、大阪・北新地のラウンジへタクシーで一緒に行った。店のホステスにかわいがられた記憶が、メイにも残っているという。

仕事と子育ての両立に限界を感じた正三さんは会社を辞め、島之内の近くで、時間の融通が利くマンション管理人として働くようになった。

メイは地元の南小学校に入った。タイ育ちのため、小学生になった当初は日本語で苦労したという。

正三さんは「日本語で達者に話そうとはするんやけど、言葉の意味はちゃんとわかってないような感じ。好きやったテレビアニメで聞いた言葉ばっかりしゃべってました」とふり返る。

メイ自身、小学4年生ごろまでは日本語に苦手意識があった。よく覚えているのが、国語の授業で「日本」という漢字を「本日」と書き間違い、同級生にからかわれたことだ。

「何とか仕返ししてやりたいと思って、いろんな言葉を辞書で調べたんよ。それで漢字を覚えるのが早かったんかもしれへん」というから、負けん気の強い子だったのだろう。

「Minamiこども教室」へ

メイが5年生になった秋、Minamiこども教室が活動を始めた。

開設から3カ月たった年末、メイは同級生のマナミに「教室でクリスマス会があるから、一緒に行こや。ケーキ食べれるで」と誘われた。食べ物につられて、メイは教室に通い始めた。

マナミはフィリピンにルーツをもつ女の子だ。「学校ではメイと別のグループにいて、ほとんど口もきいたことなかった」と言うが、一緒にこども教室に通い始めたことをきっかけに、一番の仲良しになった。

教室で6年生の担当になった私は、メイの隣に座ることがよくあった。なかなか勉強に集中できないマナミら他の6年生に比べて、メイには困らされることが少なかった。そのぶん、強く印象に残るエピソードも少ない。

ただ、今も私の記憶に鮮明に残る、6年生当時のメイの言葉が一つある。

それは、フィリピンにルーツをもつ大学生を教室に招いたイベントでの発言だった。

その日、キムさんが講師を務める大学の学生2人が、ゲストとして教室にやって来た。

教室に来る子どもの多くは経済的にしんどい家庭で育ち、周囲には大学へ行ったり、目標としていた職業に就いたりするロールモデルが少ない。身近な大人の多くは、繁華街の飲食店などで不安定な職に就いている。

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