タイ育ちの少女が大阪で見つけた夢と「居場所」 大阪ミナミ「外国ルーツの少女」の成長【前編】

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大学に行く方がいいとか、飲食店での仕事がだめだとか言いたいわけではない。

ただ、子どもの周りに多様なロールモデルがいないことは、将来の選択肢をはじめから狭めてしまったり、芸能人やプロスポーツ選手といった目に付きやすい華やかな職業を漠然と夢見続けてしまったりすることにつながる。

そうなると、子どもは目の前の生活や学習に意欲をもちづらい。

教室の子どもたちと同じく移民のルーツをもつ大学生に、日本語習得や学校での勉強に苦労しながら大学進学を果たした経験を語ってもらうことで、自分の将来への実感をもってもらいたい。そんな思いで企画した会だった。

2人のゲストは「大学に行ってみると、本当にいろんな人がいて、それまでは窮屈に思うこともあったこの世界が、すごく広く感じられました」と、子どもたちに語りかけた。それから「みんなの将来の夢はなんですか」と尋ねた。

6年生のメイの夢

数人の小学生が照れながら、「サッカー選手になりたい」「私は歌手です」「えーっと、秘密!」と、子どもらしい答えを返していた。

その中で、メイだけが違った。

「私は助産師さんになりたいです」と、ずいぶん具体的な夢を言い切った。

続けて「それは貧しい人の家族を助けたいからです。助産師さんになるには試験があるから、今も勉強をがんばってやっています」。スタッフからは「おおぉ」と驚き交じりの歓声があがった。

移民の子どもの隣に座る 大阪・ミナミの「教室」から
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いくぶん優等生じみた発言ではあったが、メイにはすでに固い意志があった。

後日、なぜ助産師なのかを尋ねると、5年生のころに友達の家で赤ん坊を抱っこしたり、あやしたりして、「かわいさに感動した」のがきっかけだという。

将来は赤ん坊に関わる人になりたいとぼんやり思っていたところ、学校で「将来就きたい職業を調べる」という宿題が出た。学校にあった職業図鑑を眺めていて、助産師という仕事を知った。

子どもの夢は移ろいやすいものだが、メイは最初に抱いた夢を手放さなかった。

その後も教室で機会があるごとに、「助産師」の夢を口にしていた。小学生のころから人前で夢を語り、周りの大人たちに励まされた経験が、メイの「夢」を現実的な「目標」へと変えていったのだろう。

次回に続きます。

玉置 太郎 ジャーナリスト

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たまき たろう / Tarou Tamaki

1983年、大阪生まれ。2006年に朝日新聞の記者になり、島根、京都での勤務を経て、11年から大阪社会部に所属。日本で暮らす移民との共生をテーマに、取材を続けてきた。17年から2年間休職し、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で移民と公共政策についての修士課程を修了。

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