日本生まれなのに、小学校入学まで日本語に触れないことも

埼玉県川口市でクルド人へのボランティア活動を行う小室敬子氏。彼女の1日は、例えばこんな風だ。

朝、クルド人が通う中学校の教員から「◯◯くんが学校に来ないんです」と電話がかかってくる。小室氏は急いで本人に連絡し、休むなら学校に連絡するよう促す。クルド人や行政職員などの複数の相談を受けた後は、進学を目指すクルド人の高校生と共にオープンキャンパスを梯子。「毎年複数の大学を回っています。一度は手渡してくれたパンフレットを、クルド人と見るや『対象外です』と取り返されたこともある」と言う。

再び川口市に戻り、日本語教室を開ける。小中高校生やその母親がやってくるので、日本語学習、学校の宿題、生活のあれこれなどに、トルコ語と日本語を織り交ぜながら対応する。クルド人生徒の三者面談に行くこともある。

小室氏がここまで支援するのは、子どもの教育に対するクルド人の感覚が、私たちのそれとは大きく異なっているからだ。

同氏は「出身地や親の学歴にもよりますが、平均的なクルド人は日本人ほど教育を重視しません」と説明する。「トルコでは義務教育が12年あるので、日本も同様だと思っている人が多いようです。中3になってから、高校に入るための試験があると知って驚くお母さんもよくいます」

通知表を見て親が子どもの成績を把握することもない。これは単純に日本語がわからないからだ。また親は、子どもは小学校に行けば日本語が身に付くと考えている。トルコの小学校ではトルコ語で授業をすることが多いので、日本でも同じようにまず日本語を教えると思うようだ。

これらはみな、小室氏がクルド人の母親と実際に接して得た実感だ。それでも、小室氏のもとに集まるのは「勉強はしたほうがいいらしい」という意識がある人たちだと言う。クルド人に限らず、多様な外国人のサポートを行う小室氏はさらに語る。

「近年はアジア諸国からの移住者も多くいますが、『日本語の複雑さや教育制度の詳細を知って、子どもは母国に置いてきた』という例も聞きます。でもクルド人の場合は、親がその困難さを理解せずに子どもを連れて来日する。日本で生まれていても、小学校に上がるまでまったく日本語に触れてこなかったという子どもも少なくありません」

子育てや教育への認識には、文化の差が非常に大きく表れる。また、2023年2月に起きたトルコ・シリア地震による子どもたちへの影響も看過できない。

「昨年の3月から4月にかけて、このエリアに約200人のクルド人が避難してきたとも聞いています。同じ頃から、日本語がまったくわからない中学生以上の子どもが教室に来ることも急増しました」

日本語力の壁、不安定な在留資格…それでも学びたい子ども

日本に長くいて会話は流暢でも、日本語が学習言語にならない外国ルーツの子どもは多い。まして中学生になってからの来日では、本来はかなり集中的な学習が必要だ。

「日本語力に大きな問題があっても、定員割れを起こしている公立高校ならたいてい受け入れてくれる。でも結局勉強についていけず、単位制の学校に移ったり、中退したりする子も一定数います」

だが学校に溶け込む子どもたちもいる。ある生徒は、修学旅行のお土産として、小室氏に超定番のご当地スイーツをくれた。自分の家族にも同じものを買ったそうだ。同氏は「きっと友達と一緒に選んだのでしょう」とほほ笑むが、こんなことからも、彼らのとても「普通」な学校生活が見えてくる。また、困難な中でも勉強に打ち込む生徒もおり、今年も大学受験を望む高校生がいる。

クルド人の子どもが進学するには、受験期を過ぎるまで難民申請が却下されることなく、特定活動ビザなどが維持されている必要がある。こうした在留資格がなくなるといわゆる「仮放免」となり、たとえ合格しても留学ビザの申請もできなくなる。2024年6月には、「3度目以降の申請では『認定すべき相当の理由』を示さなければ送還する」とした改正出入国管理法が施行された。

日本生まれの子どもがいる家庭に在留特別許可を出すなど、近年は国の対応も変わってきている。だが小室氏の周囲には、生後半年から1歳で来日したため、この施策の対象外になった子どもも複数いる。

「在留資格のことを心配しながら勉強し、受け入れてくれる学校を探さなければならないことは、大きな負担だと思います。それでも学びたいと思っている子どもには、なるべくチャンスを示したいのです」

クルド人の学習支援を続ける小室氏だが、自身も川口市民として、近隣住民の葛藤も理解している。

「知人からもクルド人とのトラブルについて聞きますし、私もつい先日、クルド人が運転する車にひかれかけました。青信号の横断歩道を子どもが行き来して遊んでいて、車が曲がるに曲がれず困っているのを見たことも。そのときは子どもをトルコ語で怒鳴りつけましたよ」

ヘイトデモも行われたJR京浜東北線の蕨駅(左)。もともと外国人の多いエリアで、周辺のゴミ捨て場には多国語での注意喚起も(右)

他者との差は身近になるほど気がつくもので、その小さな積み重ねが日常の中で軋轢を生む。多様性やインクルーシブを考えるときには、まず互いの「違い」を認識したうえで、それを差別や同情に直結させない環境を作らなければ、多様性は絵に描いた餅になるだろう。

だが「違い」への対応は地域に任されており、いわば対症療法が続けられているのが現状だ。小室氏も「クルド人と日本人はあまりにも文化が違う。日本も窮屈すぎると思いますが、文化の差が大きすぎて、私もどうしたらいいかわかりません。ただ、表面的に理解しているふりをして『多文化共生』と簡単に言うのはやめてほしいですね」と苦笑いする。

「ここで大きくなれ」と連れてこられた子どもたち

川口市と蕨市では、小室氏のようなボランティアによる日本語教室があちこちで開催されている。クルド人以外にも外国人が多く暮らす地域であるため、学校には日本語指導教員などが配置されているが、十分な状態ではない。小室氏のもとにも「子どもの在留資格を確認してもいいのか」「必要書類が提出されない」「給食はどうなるのか」「修学旅行やインターンは行かせられるか」など、教員からさまざまな相談が寄せられる。

「学校の先生方は、日々細かなことで困っています。数千人のクルド人がここに存在することは事実ですが、先日も『移民政策はとらない』という国会答弁がありましたね。それは実際に起きていることに予算を割く気がなく、学校の状況を変える気もないということ。実情を見て見ぬふりするものだと思います」

難民認定をめぐる状況や入管法の改正についても、複雑な思いを語った。

「残念ながら、難民申請するクルド人の中には、その詳細をわかっていない人たちもいます。日本で暮らすための普通の手続きのように思っていて、ある日突然、それが定住できるものではないと知って驚くのです」

これもまた、日本人には共感しがたい大きな「違い」だ。だがこの方法がクルド人コミュニティーで定着していることは、日本のグレーな状況がそれだけ長く続いてきたことを示している。ここからどうやって正しい情報を広めていくか、これも今後の課題の1つかもしれない。小室氏は続ける。

「一方で、トルコ在住時にジャーナリストだった人や政府に反対した人など、明確に難民性のある人も間違いなくいます。しかしすでに2回難民申請をしている人を狙って、見せしめ的な送還が行われる恐れがある。私の仲良しの家族も狙われるかもしれません。新たな入管法によってどんな動きがあるのかは、とても気になるところです」

美しいだけの共生も、盲目的な排斥も、わかりやすく白か黒かに分けられるものは、グレーな実情に即していない。小室氏は「この状況に答えがあるとは思っていません。ただここにいるのは、『ここで大きくなれ』とまったく違う国に連れてこられてしまった子どもたちです。彼らが少しでも勉強を好きになれるよう、意欲のある子どもが学び続けられるよう、私にできることをするだけです」と淡々と語った。

(文:鈴木絢子、写真:東洋経済education×ICT編集部)