性被害はひとごとではないのに、性教育はどこかひとごと
性に対する禁忌の念が強い日本。これまでは子どもたちへの性教育もあまり積極的に行われてこなかったが、2021年から文部科学省が「生命(いのち)の安全教育」の段階的導入を決定した。子どもたちが性犯罪や性暴力の被害者・加害者、そして傍観者にならないよう、教育を充実させ、相談の場を設けることなどを目的としている。
だがこの「生命の安全教育」でも、いわゆる「歯止め規定」は撤廃されなかった。これは受精や妊娠を教えながら、そこに至る性交についての言及に「歯止め」をかけ、授業では扱わないというものだ。また、教員養成課程には性教育の必修科目が設けられておらず、教員自身が指導法を学ぶ場もない。
21年1月に公益財団法人「プラン・インターナショナル・ジャパン」ユースグループが実施したアンケートでは、高卒相当の年齢の回答者の68%が性教育を「重要である」と感じながら、自身が受けた性教育について27%が「内容が不十分である」と答えた。さらに性教育を「身近である」と回答したのは19%にとどまった。必要性が意識されているにもかかわらず、性教育はどこかひとごとのように、遠慮がちな扱いをされているのが現状だ。
こうした状況を変えるべく活動するのが、一般社団法人ソウレッジの代表を務める鶴田七瀬氏だ。同氏が性教育に関心を抱いたのは、学生時代に、性被害がごく身近なものだと気づいたからだった。
「大学3年の時、友人から長く性被害に遭っていることを打ち明けられました。そのこと自体もショックでしたが、彼女がずっと相談できずにいたこと、そんなタブー感を抱かせていた自分や、社会のあり方についても考えさせられました。また、その話を聞いて、自分にも似たような経験があることに気がついたのです。知識がないために、自身の性被害にも無自覚だったのだと」
鶴田氏のこの言葉に、思い当たることがある人も多いだろう。それでもほとんどの人が沈黙してしまうことに、声を上げていこうと思えたのはなぜなのか。
「強いて言えば、私はあまり人目を気にせずに行動できるタイプだということがあるかもしれません。もともと子育てや教育などに関する社会問題に関心があったので、それまでの学びや当事者意識、自分の性格も含めて、性教育は自分に向いている分野かなと思ったのです」
「人目が気になる」ことは、性の話題を扱う際の大きなハードルだ。だが鶴田氏はそうしたことよりも、「自分が納得できること」を追求したいという思いが強かった。
他者との健全な関係構築を学び「包括的性教育」へ
その後、鶴田氏はデンマークを拠点に、欧州の計4カ国を視察する留学を経験。そこでは性教育に限らず、日本との違いを感じる点が多くあった。
「日本は社会が決めたルールを守ることが重視されますが、私が訪ねた国では、自分たちでルールを作るところからトレーニングしていました。相手と自分の要望が違うときにどうするか、お互いにとっていいルールはどんなものか。こうしたことを自分で考えさせ、幼い頃から、他者と健全な関係を築く練習をするのです」
例えば、保育園で子ども同士がけんかをしたとする。日本なら先生が割って入って、一方に「ごめんね」と謝罪させ、一方に「いいよ」と許すよう促す。だがオランダでは、5歳の子どもにも「どうしたらいいか、自分たちで考えてきて」と時間を与えるという。子どもたちは互いに自分がどうしたいかを話し合い、2人で出した結論を先生に報告する。
他者と意見の相違があるとき、それをきちんと相手に伝えることは、多くの日本人にとって苦手なことだろう。だがそうした対人姿勢が、性教育以前の問題として好ましくない結果を生むと鶴田氏は語る。
「決められたルールを守るだけの受け身の姿勢は、男性が決めて女性が従うといった旧来のジェンダーロールにも影響していると思います。互いに納得できる関係性を構築するには、『ごめんね』『いいよ』以外の選択肢があることを、まず知ることが必要です」
性教育におけるこうした考え方は、すでに国際的に広まっている。単なる身体的知識だけを教えるのではなく、人権やジェンダー平等などを含めて幅広く学ぶ「包括的性教育」といわれるものだ。性教育先進国とされるオランダでもこの概念が浸透しており、性教育のスタートとして、愛情のあり方や自分の気持ちの伝え方など、まず内面的なことを学ぶ。
「オランダでは恋をしたときの感覚を『おなかでチョウが羽ばたいている』と表現することがあり、それに由来した性教育カリキュラムがあります。『ちょうちょパタパタ月間』と名付けられたそのワーク期間、子どもたちは図書館に行ったり親に質問したりして、性についての知識を自分たちで調べます。対象となる子どもは4歳から小学校低学年ぐらい。基本的な枠組みは先生が示しますが、性に関する疑問に直面したときに、自分たちで解決できるようになることが目的です」
男女の体の違いから始まり、年齢に応じ、性の多様性や健全な関係の保ち方についてなどを包括的に学ぶそうだ。また、鶴田氏はドラマなどのフィクションにも違いを感じたという。日本の恋愛ドラマでは、 何となく2人が折り重なっていくなど、あいまいに性描写が進みがちだ。そこには互いの意思確認もないし、避妊への配慮も描かれない。
「海外のドラマでは、性的同意を取ることもコンドームを着けることも、当たり前のこととして描かれます。日本では、女性にしとやかさが求められたり、『黙っているのがいい女』という風潮があったりしますね。和を貴ぶ社会でもあり、女性が嫌なことを嫌だと伝えることは難しい。でも妊娠の可能性など、何かあったときに負担が大きいのは女性です」
海外でも日本でも、「そんなときにそんなことを言ったら雰囲気が壊れる」など、性的同意に否定的な声もあるという。日本の恋愛ドラマを「いいムード」の手本と捉えればそうした考えにもなるだろう。だが鶴田氏は、性的同意の必要性を次のように説明する。
「私はこう思うけれど、あなたは?という問いかけがきちんとできて、それは違うんじゃない?と言うこともできる。まずこうした関係性を築くことが大切なのです」
性教育を考えるとき、最も重要なのは性の知識ではない。土台になるのは、相手を尊重し健全な人間関係を築こうとする、性以前のコミュニケーションの姿勢だ。
大人にもわからないことがある、子どもと一緒に調べよう
鶴田氏は学校の教員向けにも研修を行っているが、その際、「教える側と教えられる側」という構造をつくらないことを心がけているという。絶対の正解がほぼ存在しないこのテーマは、年齢や上下に関係なく、みんなで考え、教え合うものだと考えているからだ。
ソウレッジが制作した大人向けツールの1つに「ブレイクすごろく」がある。5歳の子どもが、成長過程でどんな性の悩みを持つかなどをゲーム形式にまとめたものだ。すごろくのマスには例えば、射精や月経を迎えて戸惑う子どもの様子が描かれる。「病気なのかな」「恥ずかしい」などと感じて大人に相談できず、誤った対処に走ってしまうリスクが具体的に示されているのだ。研修ではこれらを使って、教員自身にどうすべきかを考えてもらう。ゲームを通じて、子どもにとって性がいかに身近なものであるかに気づく教員も多いそうだ。
「研修では教員の方から、『自分も知らないことを聞かれたとき、どうしていいかわからない』『動揺してはぐらかしてしまう』と相談されることがよくあります。性教育は単に教えるか教わるかというものではないですし、先生にもわからないことがあると子どもに伝えていい。インターネットには危ないサイトもあるから、気をつけながら一緒に調べよう、というふうにしてあげるといいと思います」
また「子どもに性的な言葉や内容でからかわれ、いけないと思いつつ怒ってしまう」といった相談も多いという。これについては「性の話をして叱られることで、子どもがその話題をタブーだと感じてしまうのはよくありません。性の話が悪いのではなく、相手が嫌がることをやっているという点をきちんと注意すべきです」と答える。鶴田氏は、教員が子どもとの対話ができないことは、日本の性教育の大きな問題だと語る。これは家庭でも同様だ。
「『聞かれてもわからない』という不安があったとしても、それならやはり、親子で調べればいいのです。心配しているよ、何かあったら話してねと日頃から伝えておくこと。保護者と子どもの間で、性に関する話が普通にできることがいちばんの理想です」
大人のあり方だけでなく、教育の枠組みにも課題は多い。鶴田氏は「教員養成課程で性教育の科目を必修にしてほしいし、とにかく性教育の授業を行う回数を増やしてほしいですね。現行の3年に1回という規定はどう考えても少なすぎます」と指摘するが、明るい兆しも見えているという。
「私が活動を始めた2018年ごろに比べて、性教育の状況はかなりよくなっていると感じています。『自分でできるところからやっています』と言う教員の方も増えていて、講演内容もスッと理解されることが多くなりました」
また、冒頭で述べた「生命の安全教育」以外にも、国の方針に変化を感じるという施策を挙げた。
「21年の『経済財政運営と改革の基本方針』にも、『未来を担う子供の安心の確保のための環境づくり』として、性教育の話が盛り込まれました。こうなると教員の方も勉強し、対応する必要が出てきます。子どもにとっては先生たちの意識が変わることがいちばん重要なので、国としての指針にこうした単語が入るようになったことは大きな前進だと思います」
これらの流れのきっかけとして、鶴田氏は、17年の「#MeToo運動」で、自身も含め若い活動家が増えたことなどを挙げる。一人ひとりの活動によって社会変化のスピードが上がり、性教育への社会全体の理解度が高まっていると実感している。「行動してくれる人も増えています。これからもっとよくなるはず」と明るく語った。
(文:鈴木絢子、注記のない写真:Graphs / PIXTA)