「なんとなく」のまま教えられてきた国語
子どもが国語のテストを受けたとき、こんなふうに聞かれたことがあるかもしれない。
「なんでこの答えじゃダメなの?」「自分の答えのどこが悪いか分からない」ーー
あなたはそのとき、「なんとなく」や「そういうものだから」以上の返しをすることができただろうか?

1998年生まれ。中学生のときに東大を目指すことを決め、定時制高校にも塾にも通わず、通信制のNHK学園を経て、独学で2018年東京大学文科Ⅰ類合格(2次試験は首席合格者と3点差で合格)。東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2023年に東大生がつくる国語特化のオンライン個別指導「ヨミサマ。」を立ち上げる。現在、東大生講師150名、生徒数は900名(延べ)を超える規模に成長。著書に自分自身の独学ノウハウを詰め込んだ『成績アップは「国語」で決まる!』がある(X:@Kanda_Overfocus)
(写真は本人提供)
国語の成績が伸び悩む子どもたちに共通する特徴がある。それは、国語の問題を「なんとなく」で解き続けていることだ。その陰には当然、大人たちが「なんとなく」国語を教えてきた現実がある。
日本の学校教育では、正しい文章の読み方を学ぶことが少なく、特に教える側が国語を得意としていた場合ほど、子どもが「なぜ国語で点数を取れないのか」を理解するのが難しい。
しかし現在、教育改革や中学受験の過熱によって、読解力や思考力が問われる入試問題が増えてきた。そのため、“雰囲気で挑む”国語ではもはや太刀打ちできない時代が到来しようとしているのだ。
国語(現代文)という科目は、他科目と比較して暗記の要素が極端に少なく、考える道筋や正解が明確に説明されにくいという特徴を持つ。
そのため、国語の問題は「なぜ自分の答えが間違いなのか」「どのように考えれば正解に至るのか」が分からないまま終わってしまいがちだ。とはいえ、今後同じ題材が出るわけでもないため、「まあいいか」とそのままにした経験がある人も多いかもしれない。実は私も、小中学生はまさにその1人だった。
こうした特質上、国語の解答は“勘”や“センス”に頼るほかなく、講師や保護者もまた、「人に国語を教えるのはかなり難しい」という悩みを抱えていることが多いのだ。
結果として、大人は目の前の文章やテストについて分かりやすく“説明”することに終始してしまうわけだが、子どもがこの“説明”を自分ごとに捉えて、別のテストで初見の問題に活かすというのは至難の業だろう。そもそもこれができる子であれば、すでに国語のテストで苦労しない程度の国語力は身についているはずだ。
実際、画一的な集団授業の中で国語の解き方を学ぶのは非常に難しい。現在テストで問われているような、“文章の解釈を求められる国語のテスト”の歴史は意外にも短い。それよりも、日本で集団授業が基本となった歴史のほうがずっと長いのだ。
教員が一方的に解答解説を説明し、生徒がそれを聴いたり板書したりするという形式は、「なぜその答えになったのか」「自分の答えはなぜ間違いなのか」を腹落ちさせる機会に乏しくなる可能性がある。国語の学習における最大の課題は、「一方通行」という点にある。
国語の問題を理解できる本質は“対話”にあり
では、どうすれば国語の「なんとなく解く」の壁を乗り越えられるのか?カギは、双方向でのやりとり、つまり「対話」をすることにある。国語における「対話」とは、生徒が自分の解答や考えを口にし、講師や保護者がそれに対して問い返し、さらに子どもが言葉を足したり修正したりして考え直すことだ。こうした双方向のやりとりを何度も繰り返すことで、「隙のない解答」と「読解における思考方法」を体験的に学んでいく。
では、具体的にはどうするのか。
まず、子どもには自分自身でじっくり答えを考えてもらう。このとき、解答はきれいに整理されている必要はなく、思ったことをポツポツと話してもらう形で良い。次に保護者は、子どもにその答えを出した理由を説明してもらう。このフェーズでのポイントは、正しいかどうかではなく「思考過程」を引き出すこと。対話は、子どもの頭の中を覗くところから始まる。
これができたら、「根拠はどこにある?」と問題に戻る。こうした問いかけを通じて本文との対応関係を問うことは、子どもが「本文を根拠にする癖」をつけるきっかけとなる。
うまくいかない場合は、「他の可能性」に目を向けさせたり、「たたき台」として保護者が自分の考えや模範解答を持ち出したりしても良いだろう。こうしたやりとりが一巡した後、最終的に「その答えは、文章を読んでいない人にも伝わるのか」という問いに答えるべく、何度もツッコミを入れながら隙のない解答に到達することが目標になる。
対話で学ぶ最大のメリットは、このようなやりとりをかなり速く回せる点だ。これらのやりとりを口頭で繰り返せば、1つの文章につき30~60分ほどでできるであろう。もし、これを“添削”などで行う場合は数日以上かかることになり、子どももやる気を失ってしまう。
親子で対話をするときの4つのルール
対話は、なにも教員や塾講師でないとできないものではない。むしろ、子どもについてよく知っていて信頼もある保護者だからこそ、非常に強力な効果を生む場合もある。
ただし、親子で対話をする際にはいくつかの注意点がある。これらを守れば、親子間でも国語を教えられるようになるだろう。
【ルール1】お互いが話す量は1:1を心がける
対話とは、文字通りお互いが対となって話すことであり、どちらかが一方的に話していては成り立たない。しかし親子関係においては、お互いが同じ量だけ話すのも難しい。ここで保護者が意識すべきなのは、保護者が9割以上話すような“指導”状態と、子どもに9割以上話させる“詰問”状態を避けることだ。
【ルール2】保護者側が「先攻」になる
親子の話す割合を近づけるのに即効性があるコツは、親が「先攻」として発言の見本を示すことだ。子どもからすれば、いきなり「あなたはどう思う?」と訊かれてもどのように答えればよいか分からず、結果として質の高い答え方を学ぶ機会を逸してしまう。
そこで重要なのが、「私はこう思うけど、あなたはどう思う?」と問いかけることだ。そうすることで、子どもは「どのように話せばよいか」を理解し、自信を持って正しい答え方で語れるようになる。
【ルール3】「経験」「認識」「理由」を訊く
国語の対話において、「これ分かる?」「これ知っている?」はNGワードと言ってもよい。こうした問い方では、対話ではなくクイズになってしまい、子どもからは「分かる」か「分からない」かの単純な答えしか返ってこないため、実りある対話になりにくい。その代わりに有効なのが、「経験」「認識」「理由」を問いかけることだ。
たとえば、
「そんな経験をしたら、どんな気持ちになる?」(認識)
「どうしてそのように思ったの?」(理由)
といった問いをすることで、子どもからより多くの情報を引き出すことができる。
「文章の読解」とは、「文章そのものに書かれていること」と「自らの解釈」とを反復横跳びするようなものだ。そしてこの方法を学ぶ手段が、前述のように、あえて子どもの考えを訊いてその世界観を明確にし、そこから実際の文章の内容とのズレを見出すということなのだ。
子どもの世界観と、実際に書かれた文章との齟齬を見抜くためにも、子どもには「その考えは、文中のどこを根拠にしているか」を聞くと効果的である。
【ルール4】「模範解答」は叩く対象として使う
もし、保護者自身が「うまく答えられない」「なぜ正解なのか分からない」と思った場合は、親子で一緒に模範解答を見てみて、ともに批判したり検討したりすることでも十分な対話になる。子どもにとっては、「親にとっても難しい問題である」ということが分かることも重要な価値を持つ。
「この模範解答は、この点にツッコミたくなるけど、あなたはどう思う?」
などと問いかけることで、模範解答すら問いの材料にしていく姿勢が大切だ。
模範解答を“終点”にするのではなく、さらに思考を深める“出発点”にできるかどうか。それが、国語を楽しめるかどうかの分水嶺かもしれない。
国語は、公式や暗記で片づけられる科目ではない。それゆえに、思考のプロセスを言葉にしていく力が問われる。そして、この力を育てる一番の近道が、問いを繰り返す“対話”だ。
今まで「なんとなく」で学んでいた国語を、「きちんと説明できる国語」に変えることは、決してハードルの高い試みではない。家庭で実践できる「対話」を、ぜひ今日から試してみてほしい。
(注記のない写真:もとくん / PIXTA)