トラウマで生じる発達障害によく似た症状
──トラウマ系発達障害とはどんなものなのでしょうか。
2003年にあいち小児保健医療総合センターの心療科に虐待の専門外来を開設した際、1000人もの被虐待児と接して驚いたのが、その過半数が発達障害の診断基準を満たすということでした。
長期慢性的なトラウマ(心的外傷)に晒された被虐待児には、さまざまな後遺症が出ます。これが発達障害の症状とよく似ており、実際に被虐待児の多くが発達障害の診断を受けていました。
それはなぜかと言うと、現在の精神医学は症状によって診断されます。カテゴリー診断学と呼ばれ、代表的な症状のうち○個当てはまるから、その病気と診断しましょうという方法で診断されるからです。
そこで、こうしたケースを「第4の発達障害」と捉え、トラウマ系発達障害と呼ぶようにしました。その後、精神科医のベッセル・ヴァン・デア・コークが2005年に同じ現象を「発達性トラウマ障害」という概念で説明していることを知りました。
しかし、トラウマ系発達障害に対しては、一般的な発達障害の治療が通用しません。トラウマが中核にある場合は、それを取り除かないと子どもの本当の問題がわからないからです。発達障害に似た症状だけでなく、愛着障害や解離性障害、双極性障害なども併存し、実は治療があまりうまくいっていません。激しい癇癪(かんしゃく)や暴力などの問題行動が多く、学校教育の現場を非常に混乱させています。
脳や成人後の健康にも影響を及ぼす虐待
──虐待などの体験は、具体的にどのような影響を心身に及ぼすのでしょうか。
小児期逆境体験(Adverse Childhood Experiences:ACE)の影響については、すでに研究が行われています。ビンセント・フェリッティが、アメリカ疾病対策センターとACEスコアを作成したところ、大人になってからの身体的・精神的な健康や発達、人間関係などに大きく影響していることがわかったのです。
ACEスコアは身体的な虐待、心理的な虐待、性的虐待、ネグレクト、家族の機能不全(親のアルコール依存、家族の精神疾患や服役等)などに関する質問に答えてもらい、スコアを算出するというものです。このスコアが高い人ほど、健康リスクが高くなることが明らかになりました。小児期逆境体験があると喫煙は2.2倍、慢性気管支炎または肺気腫は3.9倍、心筋梗塞は2.2倍、アルコール依存は7.9倍になります。
──虐待は脳にも影響を及ぼすのでしょうか。
身体的な虐待を長期にわたって受けると、感情や思考のコントロールに関わる前頭前野の体積が小さくなることが明らかになっています。一般的な発達障害で、前頭前野にこれだけ大きな影響が出ることはまずありません。
このように、ACEは何十年も強い毒性を持ち、子どもの脳の働きだけでなく形まで変えてしまいます。幻覚や多重人格(解離性同一性障害)などが起こることもあります。
しかし、精神科(とくに成人)では、「トラウマがある」という視点を持って理解し、診療する、いわゆる「トラウマのメガネをかける」ことも、その大切さも知られていません。例えば、幻覚を訴えた患者に解離性障害を疑うべきところを、統合失調症と診断して薬を出してしまうなど、多くの誤診が起こっています。
トラウマ系発達障害はカウンセリングもプレイセラピーもNG
──トラウマ系発達障害は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)とも異なるのでしょうか。
衝撃の大きい出来事があったり、怖い体験をすると、ふとしたきっかけで記憶がよみがえるフラッシュバックが起こります。通常は数日もすると記憶が薄れていきますが、フラッシュバックが続くようだとトラウマになっていると判断されます。
PTSDの場合は、このトラウマが“1回だけの出来事”によるものになります。怖い体験を思い出すのはつらいので、思い起こさせる行動を回避するようになりますが、安心感が戻ってくると過剰な覚醒(緊張)状態は収まります。この過覚醒、フラッシュバック、回避が2カ月以上続き、日常生活で明らかなマイナスが生じているとPTSDと診断されます。
一方、虐待のように長期にわたって何度も繰り返される反復性のトラウマは、いつ暴力が降りかかってくるのか、つねに緊張の中で過ごすことになります。それは過覚醒状態が続くということ。すると、感情のレギュレーション機能が壊れ、激しい気分変動が起こります。さらに、自分は価値がないと感じたり、人への信頼関係が壊れてしまうのです。
ICD-11(国際疾病分類第11回改訂版)では、先ほどお話ししたPTSDの3症状(過覚醒・フラッシュバック、回避)に「気分の上下・無価値感・他者への信頼の崩壊」の3症状を加えたものを、複雑性PTSD(Complex post-trauma stress disorder)としています。複雑性PTSDではフラッシュバックがいつでもどこでも起こります。そして、複雑性PTSDは子どもへの虐待で多く発症しています。
──複雑性PTSDにはどのような治療が行われるのでしょうか。
複雑性PTSDのフラッシュバックはいつでもどこでも起こりますから、まずはそれに対する治療が必要です。
しかし、フラッシュバックがあると一般的なカウンセリングがうまくいきません。というのも、一般的なカウンセリングの基本は傾聴と共感ですから、これをやるとフラッシュバックの蓋があいてしまい収拾がつかなくなって悪化してしまうのです。
子どもによく行われるプレイセラピーも同様で、私はほぼ禁忌と考えています。治療は続くものの臨床的にどんどん悪くなり、そのうちに子どもが嫌がるようになって中断するケースがものすごく多いですね。トラウマへの対応では一般的なカウンセリングやプレイセラピーが無効なので、フラッシュバックを起こさないための精神療法が開発されています。それが「トラウマ処理」です。
親子で受けるべきトラウマ処理
──トラウマ処理とは具体的にどんなものなのでしょうか。
ベッセル・ヴァン・デア・コークは、トラウマ処理を①トップダウン型、②ボトムアップ型、③1と2の要素を持つもの、の3つに分類しています。
①は認知行動療法による遷延曝露法(トラウマを延々と語らせて慣れを生じさせるもの)、②はフラッシュバックを起こさない反応を身体のほうに作る治療法で、マインドフルネスやヨガなどがあります。そして、③がEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing:眼球運動による脱感作と再処理法)です。これは、トラウマになっている記憶を想起しながら眼球運動を行い、その記憶と心理的な距離を取れるようにするというもの。
近年はさまざまなトラウマ処理の技法があり、保険診療外来でもできるものもあります。しかし、トラウマ処理を行うことができる医師や臨床心理士は多くありません。
そこで私は、一般的な外来で行うことができる簡易的なトラウマ処理方法を工夫してきました。それが、EDMRを基盤としたTSプロトコールです。これは、トラウマの記憶を思い出すのをやめて不快感だけを抜きます。するとフラッシュバックが収まるのです。セルフで可能な方法も考案していて、例えば子どもが自分で自分の胸の上、鎖骨のあたりで腕をクロスし、鎖骨の下を左右交互にパタパタと叩くというものです。心のラジオ体操のような感覚で、学校の朝礼などでもTSプロトコールを取り入れてもらえたらと思っています。
──トラウマ系発達障害の子どもには、こうしたトラウマ処理が有効ということでしょうか。
有効ではありますが、虐待は家族の病理ですから、子どものトラウマ処理だけでは解決しない問題もあります。虐待してしまう親は、自身も子どものときに虐待を受けていた人が非常に多いもの。日本の子ども虐待が減らないのは、子どもも親もトラウマ処理をしていないからなのです。トラウマ系発達障害の治療では、子どもだけでなくその親の治療も行う必要があります。
子どもの頃、虐待を受けていた女性の中には、暴力的な男性への親和性が高くなり、そうした男性と結婚してDVに遭うというケースが多くあります。反対に、暴力的な男性を避けて、対人距離が遠いASD(自閉スペクトラム症)の男性に親和性を感じ、伴侶に選ぶケースも少なくありません。
一方で、知的な遅れのない軽度の発達障害のある人は虐待を受けるリスクが高くなるといわれています。発達障害の症状に対して、親はしつけで何とかしようとして虐待になってしまうこともまれに起きてきます。また、ASDの人は感覚過敏といった特性から、普通に生活をしていても怖い世界が広がっていると感じやすいもの。さらに、ASDには「タイムスリップ」(トラウマのフラッシュバックに似た記憶の病理)があり、トラウマを抱えやすくなっています。
このように、親がトラウマを抱えている家族の間では、鶏が先か卵か先かといった具合に、トラウマが先か虐待が先かわからない状態となることがあります。
──教員や子どもに関わる大人はどのような視点を持っておくべきでしょうか
3つあります。1つ目はトラウマに気づくこと。「トラウマのメガネをかけ」て、その子を見るのです。2つ目は、子どもだけでなく親子で見ること。トラウマ系発達障害の子どもは長期にわたる虐待を受けていますから、その親はモンスター・ペアレントになりやすい傾向にあります。そのため、学校だけで対処しようとすると埒があきません。児童相談所、医療機関、心理士など、専門家との連携をつくりましょう。
3つ目は学校でできることをやること。それは何といっても教育です。学習の成果が上がることほど、子どもの自尊心を伸ばすものはありません。トラウマ系発達障害の子はネグレクトや不登校が多く、解離という記憶を飛ばす症状もあって、学習が遅れがち。だからこそ、一人ひとりに合った学習が必要なのです。
(文:吉田渓、注記のない写真:Fast&Slow / PIXTA)