何もない教室の中で、子どもは教員でなく自分と向き合う
「近年、荒れる子どものタイプに変化を感じています。愛着形成に課題があり、先生が大好きだからこそこっちを向かせたい、独占したいという理由で暴れるケースも増えています」
現役の小学校教員であり、困りを抱える子どもたちを支援する古田直之氏はこう話す。
クラス経営を難しくする要因はほかにもある。こうした子どもは激増する発達障害の子どもたちと混同されやすいが、後者には効果的な対応が、近年の荒れる子どもには裏目に出ることもある。教員には、困りを抱える子どもの特性を見極める力も求められているのだ。また、学校現場の人手不足も見過ごせない。ほかの教員に助けを求めることができず、一人で困っている担任も増えている。しかし古田氏は「人が多ければいいというものでもありません。私が大事にしているのは、運転手を増やしすぎないという方針です」と言う。
「今の私は、担任の先生からのSOSを受けて駆けつけるという役割をしています。あくまで大切なのは担任と子どもとの信頼関係であり、クラスの運転手は担任ですから、いわば『担任を立てる』気持ちでサポートに徹しています」
子どもが興奮したり暴れたり、授業を受けられる状態でなくなると、古田氏のもとに担任教員からトランシーバーで「応援に来てください」と連絡が入る。「死ね」などと暴言を吐く子どもとともに古田氏が向かうのは「クールダウンルーム(CDR)」と呼ぶ何もない教室だ。そこで子どもは古田氏とサポートの教員に見守られながら、じっくり自分と向き合うことになる。大切なのは教員が子どもを威圧したり説き伏せたりすることではなく、子ども自身が自らと対話できるように導くことだ。だから古田氏は、CDRでは子どもの心が整うまでひたすら待ち続ける。
「問題行動を起こす子どもは、まわりの子どもや教員のことを非常によく見ています。自分が暴れることで教員が感情的になれば、それは子どもの狙いどおり。彼らは暴言を吐いたりさまざまな交換条件を出したりして、つねに主導権を握ろうとしてきますが、私たちはそれに乗ってはいけません。同じ視点で主導権を争うのではなく、何が子どもの成長につながるかを考えるべきです」
例えば、子どもが少し落ち着いてきて「教室は嫌だけど、図書室でなら勉強する」と言ってきたとしよう。その子の提案に飛びつきたくもなるが、それを受け入れれば主導権は子どものものだ。今度は最初から図書館に行きたがったり、保健室ならいいと言ってみたり、条件がエスカレートしていくおそれもある。果たしてそれは、子どものためになるだろうか。
荒れる教室対応、キーワードは「安心感」と「賢い」
古田氏は重視しているものとして、まず「安心感」というキーワードを挙げた。
「今、子どもたちは家に帰ってもオンラインで友達とつながっているなど、つねに刺激に晒されています。こうした生活の中で、『自分を誰かに見ていてほしい』という脆さも生まれていると思います。しかし何もないCDRの中で、自分で自分を見つめさせるためには、強さと安心感が必要です。これが子どもたちの成長を促すと考えています」
教員は子どもがどれだけ暴れていようとも対話の姿勢を崩さず、それをほかの子どもたちの前でも隠さずに見せ続ける。
「大人の目は問題行動を起こす子どもに向かいがちですが、教室の多数派を占めるのは、教員の話をきちんと聞いて授業を受けている子どもたち。教員が問題行動のある子どもにどう接するかを、彼らはしっかり見ています。それを意識して私たちが行動すれば、それ自体が教室全体への指導になり、安心感にもつながるでしょう。例えば、暴れる子どもがCDRに行くことについても、担任は決して揶揄したり蔑んだりする言葉を使いません。『◯◯さんはいったん教室を出るけれど、落ち着いたら戻ってくるよ。みんなで迎えてあげようね』といった言葉をかけます。教員の行った指導を子どもが家に帰って保護者に伝えたときにも、『それは先生が正しいね』と言ってもらえるよう振る舞っています」
こうした家庭での会話は保護者から教員への信頼を生み、大きな安心材料になるだろう。さらに、CDRなどによるサポート体制の確立は、担任教員にとっても「協力してもらえる、リカバリしてもらえる」という安心感につながると言う。
古田氏はさらに、子どもへの声のかけ方や言葉の選び方もポイントだと続ける。
「子どもたちにどんな自分になりたいかを考えさせるとき、どんな言葉なら伝わるか。考えた結果、たどり着いたのは『賢い』というワードでした」
古田氏が、子どもたちに「学校って賢くなるための場所だよね」と言うと、たとえ1年生であっても意味が伝わる。そして彼らはうんうんと頷く。
「じゃあ、賢いってどんなことかな」
「テストで100点取れること?」
「じゃあテストで100点取った子が、ほかの子をバカにしていたらどう? それって賢い?」
古田氏の言葉に、子どもたちははたと考え込むそうだ。
「テストの点数や何かが早くできるなどの価値観に、教室は非常に強く縛られています。そして問題行動を起こす子どもは、その価値観の中で自信を失っていて、フラストレーションを溜めていることが多くあります。しかしこの『賢い』という言葉は、子どもたちの成長とともに意味がアップデートされ、教室の尺度の呪縛から子どもたちを解き放ってくれるものだと考えています。CDRでも『一生懸命に自分と向き合っているあなたは、賢いと言えるんだよ』と伝えています。子どもが自己の調和を図る上でも、これはとても有効な言葉です」
指導をぶれさせることなく、学校全体として明確な線引きを
古田氏がCDRを提唱したときには、「隔離すること」に対してよくない印象を抱く教員もいた。だが実際の効果によって、その評価も変わってきた。
「お仕置き部屋のようなイメージは学校全体でかなり薄れてきていて、最近は子どものほうから『落ち着きたいからCDRに行きたい』と言い出すこともあります。また、不登校の子どもが一度ここを経由してから教室に行く、といった使い方もされるようになりました。見えない部屋の中から興奮した子どもの叫び声が聞こえるのですから、最初は周囲が戸惑ったのも当然だと思います。しっかり説明や研修を行いましたが、子どもや教員にいちばん響いたのは、CDRを出る子どもの表情が明らかによくなっていったことだと思います」
古田氏が目指しているのは「自分がいなくても問題ない環境」であり、誰が実践しても効果が出る体制と方法の継承だ。
「教員個人の存在は、子ども自身の成長の陰で、溶けてなくなってしまっていいと思っています。子どもが特定の教員の言うことしか聞かないのでは意味がない。問題行動のある子どもの指導を自分の成果と考えるのではなく、学校全体の知見としてやり方を譲り渡していくことが大切なのです」
そのためには、指導をぶれさせることなく、つねに明確な線引きを示すことが必要だ。例えば「あの子は家庭が複雑だから」「まだ春先だから」と対応を変えたりすることは、この線引きを曖昧にする言い訳になってしまう。これは教室が荒れやすい長期休暇後についても同じことが言える。「夏休み明けだから仕方ない」などというその場しのぎの行動は、子どもからの不信感を生むだろう。
だが、今日はその子を落ち着かせ、きちんと対話に導くことができたとしても、明日はまた「死ね」と言われるかもしれない。終わらない指導にどんな希望を持って臨めばいいのか問うと、古田氏は穏やかにほほ笑んだ。
「私もサポートのない状態で担任を務めてきたので、先生方の大変さはよくわかります。でも対話の姿勢を持ち続ければ、『死ね』という暴言の回数や、CDRを出るまでの時間は確実に減っていくはずです。子どもは駆け引きもするしずるさもありますが、それは人間の本質であり、きっと自分にもそういうところがあると思えば日々勉強になります。悩むこともありますが、私はやっぱりこの仕事が嫌いではないんだなと感じます」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:Graphs / PIXTA)