「不親切な教師」こそ親切、子どもの主体性を育てるために教師が身に付けるべきこと 「みんな」への誘導が子どもを苦しめることも

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こうあるべき、という学校に当たり前のように存在する慣習や価値観が子どもたちを苦しめていることがある。良かれと思って行われていることも多く、それが逆に子どもの成長を妨げることも。「余計な親切をしないことこそが、子どもたちの主体性を育てる。自らの力を発揮できる環境をつくるのが真の親切」と話す松尾英明氏の新著『不親切教師はかく語りき:主体性を伸ばすための47の対話』から一部抜粋、再構成して、子どもたちの可能性を最大限に引き出す方法のヒントをお届けする。

まずは教師が自分の無理解に気付くこと

教育現場において、教師としての最大の課題は、子どもたちを深く理解することです。しかし、「自分は理解している」という思い込みが、実は最大の妨げになり得ることに気付いているでしょうか。

松尾英明(まつお・ひであき)
千葉県公立小学校教員
「自治的学級づくり」を中心テーマに千葉大附属小などを経て研究し、現職。単行本や雑誌の執筆のほか、全国で教員や保護者に向けたセミナーや研修会講師、講話などを行っている。学級づくり修養会「HOPE」主宰。ブログ「教師の寺子屋」主催。著書に『不親切教師のススメ』『不親切教師はかく語りき』(ともにさくら社)
(写真:松尾氏提供)

教師がもつ知識や経験に裏付けられた自信。それ自体は尊いものです。ですがその自信が、時に子どもの本当の気持ちや状況を見落とさせることがあります。この「無理解」を認めること、つまり「無知の知」をもつことこそが、教育の根本を支える土台となるべきです。

例えば、「子どもは教師の話を聞くもの」という前提を捨て、子ども自身が主体的に動き出すきっかけをつかむためには、まずは教師が自分の無理解に気付く必要があります。

子どもの行動や問題を安易に「指導の成果」と捉えず、それが発達の一環であるかどうかを見極める視点は重要です。おもらしや暴力行為の裏には、心理的な要因や助けを求める声が隠れている場合があります。

それを見逃さずに捉えることができれば、子どもたちは安心して自分を表現できる環境を手にします。マラソン大会で苦しむ子どもが存在することや、背の順は当たり前という固定観念に違和感を抱くこともまた、教師自身の無理解に気付くきっかけとなるはずです。

ここで重要なのは、介入の仕方です。感情的かつ親切に介入するのではなく、合理的かつ不親切な対応を選ぶ方が、子どもの本質に寄り添えることもあるのです。

教育者が、子どもの行動や言動の奥に潜む背景を見つめるための第一歩は、現状をすべて把握することではありません。それよりも、「教師の目や耳には限界がある」という事実を認め、その上で周囲と協力しながら支援の形を模索する姿勢が必要です。

見えていないことを認めることで、子どもたちの本当の声に耳を傾ける力が育まれます。それこそが、教育の本質に近づくカギとなるのです。

凹みを気にして埋めない、凸の部分を削ろうとしない

学級には、多様な子どもがいます。一口に多様と言いますが、その実態はまさに千差万別です。『教室マルトリートメント』の著者である川上康則氏の言を借りると、子どもはみんな「こんぺいとう」だそうです。こんぺいとうは、トゲトゲの部分があるからこそ、こんぺいとう足り得ます。それを削り取って丸くしようという発想は誤りなのだそうです。

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