「不親切な教師」こそ親切、子どもの主体性を育てるために教師が身に付けるべきこと 「みんな」への誘導が子どもを苦しめることも
もちろん、丁寧な対応を心がけることは大切です。しかし、行き過ぎた親切心や過剰な配慮は、保護者に逆に不安感を与えたり、教師への依存を強めたりすることもあります。対応の仕方に適度な線引きを設けることが必要です。
例えば、保護者から「小さなことでもすぐにすべて報告して」と要望があっても、逐一報告すれば、小さな問題を必要以上に重大事と認識させてしまうリスクがあります。学校での出来事は学校で処理するのが原則で、それがプロとしてのあるべき対応です。
問題を適切に処理し、必要に応じて要点のみ簡潔に保護者へ伝えるように心がけてこそ、保護者に安心感を与えられるのです。
この「不親切教育」の考え方は、家庭での子どもとの接し方にも通じます。例えば、子どもが困難な課題に直面した際、母親がすぐに手を差し伸べるのではなく、まずは子ども自身が考える時間をつくることが重要です。「これはお母さんがやることではなく、あなた自身が考えるべきことだよ」という言葉は、子どもの自己解決能力と自信を育むきっかけになります。
その入り口の具体的方策としては、何よりも朝自分で起きられるようにすることです。一日の始まりである朝、新しい人生のスタートを他人の手に委ねているようでは、その先が覚束ないことは自明です。これは、4月の保護者会でも確実に伝えておくべきことで「たとえそのせいで遅刻しても構わないので、目覚ましを100個かけてでも、とにかく自分で起きるよう習慣づけてくださると助かります」と要望します。これこそが子どもの将来を見据えた「不親切教育」の基本姿勢です。
教師と保護者がともに「適度に手を引く」姿勢を共有できれば、子どもたちは自分自身の力で成長し、健全な自立へと近づくことができます。例えば、「親鳥が雛鳥にエサを与えるのをやめるのは、巣立ちを促すため」という話を引き合いに出すと、保護者にも響きやすいでしょう。教師と保護者の双方がこの方針を理解することで、学校と家庭の信頼関係を深めることができます。
ただし、すべてを不親切にするわけではありません。家庭が本当に困難な状況にある場合や、特別な配慮が必要な子どもには柔軟な対応が求められます。学校と家庭が連携し、子どもが安心して学べる環境をつくることが最優先です。
つまり、保護者の要望にすべて応えようとするのではなく、優先順位をつけて子どもの成長に寄り添う「不親切」への勇気をもつことが大切です。この姿勢が、子どもたちの主体性を育み健全な自立を促すと同時に、学校と家庭の信頼関係をうまく保つためのカギとなるでしょう。
子どもたちは、大人が想像する以上に自ら成長し、困難を乗り越える力をもっています。その力を信じ、過度な干渉を避けることが、真の教育の一歩だと考えます。ここで示した考え方や提案が、教育現場における新たな視点や行動のヒントとなれば嬉しく思います。
(注記のない写真:msv / PIXTA)
執筆:千葉県公立小学校教員 松尾英明
東洋経済education × ICT編集部
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