人の成長にとって「叱り」は不要なのか

パワハラ、セクハラ、モラハラ、カスハラ……。これらの言葉に象徴されるように、現在、さまざまな「ハラスメント」が社会問題化しています。その影響もあり、とくにこの数年間で、日本社会は指導すること・叱ることに対して肯定的ではない風潮が強くなっているように感じます。

実際に、ビジネスの現場では、新入社員や若手社員に対して厳しく指導することが難しくなっているといわれます。現在は「ほめて伸ばす」ことをモットーとする企業やリーダーが増えており、「叱る」ことがまるで悪いことのように感じることさえあります。

しかし、人の成長にとって「叱り」は本当に不要なのかと問われれば、多くの人が「否」と答えるはずです。危険な行為をしていたら、わが子の命や安全を守るために、親は叱って禁じるはずです。いじめや人に迷惑をかける行いをしていたら、わが子をいさめるために叱って教えるのが親というものでしょう。「叱り」は古今東西を問わず行われてきた教育的行為であるともいえます。

学校現場においても、現在は子どもに対する指導には細心の注意を払って行わなければならなくなっています。昨今の学校や教師に対する社会の「目」を考えると、一昔前に私たちが受けてきた(行ってきた)ように、あからさまに厳しく叱ることに対しては、注意を払わなければならない時代です。

「指導」と称して大声で罵声を浴びせたり威嚇したりするのはもってのほか。たとえ教師にそのつもりがなくても、子どもがショックを受けたと感じるような指導は控えなければなりません。

例えば、ほかの子が見て、明らかに叱られているとわかるような指導をすると、「友達の前で恥をかかされた」とショックを受けて保護者の苦情につながってしまいます。今の時代は、子どもや保護者との信頼関係を築くためにも、子どもが納得できないような叱り方は控えるべきです。

叱らなければ子どもや保護者との間に波風は立たないが

ただし、「叱ることはいけない」「叱らなくてもよい」という考えで、子どもの指導が十分できると勘違いしないでほしいのです。

例えば、身の安全を脅かす行いや、弱い子をいじめたり、利を得るために友達をおとしめたりといった、人として明らかに間違っている行いに対しては厳しく叱る必要があります。親もそうですが子どもも「本当に自分のためを大切に思っていれば、ダメなことはダメだと指導してほしい」と思っているはずです。

確かに、叱らなければ子どもや保護者との間に波風を立てることはないように思われます。しかし、それは一時だけのことです。私たち教師が考えている以上に、子どもは自分の力を伸ばしてほしいと望んでいます。親はわが子に豊かな人間性を育んでほしいと望んでいます。いざという場面で叱らない教師を信頼する親や子はいないでしょう。

明らかに間違ったことをしているにもかかわらず真剣に叱ってくれない教師は、子どもや親にとって、「自分(わが子)に無関心な教師」と受け取られるでしょう。子どものためと思ったことは、必ず指導するのが教師というものです。

「叱り」には、教師が子どもに真剣に向き合う姿勢が表れます。教師の姿勢に、自分(わが子)に対する真剣度を感じれば、子どもからも親からも信用を得ることになるはずです。反対に、叱るべきところで子どもを叱れない教師は、いずれは保護者からも子どもからも信頼を失い見限られることになってしまいます。

優しい、親しい教師が「子どもを理解しているよい教師」?

一般的には、子どもは叱る教師より優しい教師が好きです。優しさや親しさは、子どもとの人間関係を築くために必要な要素であることに間違いはありません。しかし、それらが「本当に子どもの将来を考えたうえで」の優しさであるかどうか、よく考えてみる必要があります。

中嶋郁雄(なかしま・いくお)
奈良県公立小学校 校長
1989年奈良教育大学卒業後、奈良県内の小学校に勤務。「子どもが安心して活動することのできる学級づくり」を目指し、教科指導や学級経営、生活指導の研究に取り組む。子どもを伸ばすために「叱る・ほめる」などの関わり方を重視することが必要との主張をもとに、「中嶋郁雄の『叱り方』&『学校法律』研究会」を立ち上げて活動。著書に『校長1年目に知っておきたい できる校長が定めている60のルール』『仕事に忙殺されないために超一流の管理職が捨てている60のこと』(ともに明治図書出版)、『残業しない教師の時短術 フツウの教師・デキる教師・凄ワザな教師 』『信頼される教師の叱り方 フツウの教師・デキる教師・凄ワザな教師』(ともに学陽書房)などがある
(写真:中嶋氏提供)

単に、子どもとの関係を上手にやりたい、子どもに嫌われたくないという理由で子どもを叱ることから逃げてはいないでしょうか。もし、そうあれば、その教師は本当に優しい教師とは言えません。学校が子どもにとって学びの場であり、教師が子どもにとって教える人である以上、「叱り」という教育的行為から逃れることはできません。子どもは、叱られることによって学び、自分を向上させていく存在であると言っても過言ではないからです。

しかし現在は、優しい教師や子どもと親しい教師が、子どもを理解しているよい教師であるかのような風潮があります。若い教師の中には、叱りに対してマイナスイメージを抱いている人が増えているように感じます。

ここ数年、「叱らない指導」「ぶつからない指導」といった言葉を耳にするようになりましたが、「叱りは、子どもとの信頼関係を崩す」「叱りでは子どもは伸びない」と、捉えてしまう若い教師が少なくないように感じます。

しかし、「叱らない指導」「ぶつからない指導」方法は、決して「子どもをまったく叱らない」というものではありません。些細な場面で子どもの言動に釘をさすことによって、厳しく指導しなくても子ども自身に自らの間違いを気づかせ改善していく指導法です。ですから、実は教師が叱って指導しているのです。

このような指導は、あからさまに厳しい態度で臨む状況に至らせないための叱り指導方法であると言うことができます。「叱っていない」のではなく「叱られたと感じさせない」指導のことであり、「上級の叱り」の類の指導方法とも言えるものです。

もし、経験も指導力も未熟な若い教師が、表面的な言葉だけを捉えて、「叱らなくても指導ができる」「叱って指導してはいけない」などと勘違いしてしまえば、必要な時に的確な叱りができない教師になってしまうおそれがあります。

「叱らない指導」「ぶつからない指導」とは、叱り技術に長けた名人級の教師が、長年の経験と研究によって身に付けた「叱り指導法」であって、決して叱ることを否定した指導方法ではないと、私は解釈しています。

とくに、集団生活のきまりを教え、生活習慣の基礎を教える小学校では、子どもを叱らないで指導することなど考えられません。叱ることで子どもを教え導くことは、時代が流れ、子どもたちを取りまく社会状況が変化し、人々の価値観が変化しても、変わることはありません。

今の時代に合う「叱り力」とは

現在の教師には、現在の子どもや社会に応じた叱り方を身に付ける必要があります。教師の感情を子どもにぶつけるような旧態依然の叱り方は通用しません。そこで私は次のような「叱りの4ステップ」を提唱しています。

1. 気づかせる
まず、なぜ叱られるのか、子どもに気づかせるようにします。「何が悪いと思う?」「なぜ、叱られるの?」などと問いかけることによって、子どもに自分自身の不足に気づかせることから始めます。

2. 納得させる
自分の過ちや不足に気づかせることで、「自分が間違っていた」「先生から叱られるのは当然」と納得して叱りを受け入れる姿勢にすることが可能になります。

3. 反省させる
自分の行いに対して納得して叱られることにより、子どもは心から反省することができるようになります。

4. 改善させる
教師の叱りを受け入れて反省するからこそ、自分の行いを改善する心がけが生まれます。

 

教師も人間ですから、子どもの言動に感情を刺激されてしまいます。それで、いきなり反省を求めるような叱り方をしてしまうことがあります。ひと昔前までは、それで十分効果があったのかもしれません。しかし、ハラスメント防止が叫ばれ、教師に対する世間の目も厳しくなっている今日では、そのような叱り方は通用しません。

いきなり教師から「反省しなさい」と押し付けられるような叱り方をされれば、子どもは納得できないままです。自分の行いに対して反省するどころか、教師の指導に対して不満と不信を抱いてしまいます。

今の時代には、子どもに自分と向き合って考えさせ、心から反省することができるように導くような叱り方が必要です。子どもだけでなく後ろにいる親も納得させることができるような叱り方が、これからの時代に必要不可欠な教師の力量になるでしょう。

(注記のない写真:mits / PIXTA)