優しいのがよい教師?ほめて伸ばす時代にあるべき「上級の叱り」の4ステップ 「子どもに嫌われたくない」を理由に逃げないで

人の成長にとって「叱り」は不要なのか
パワハラ、セクハラ、モラハラ、カスハラ……。これらの言葉に象徴されるように、現在、さまざまな「ハラスメント」が社会問題化しています。その影響もあり、とくにこの数年間で、日本社会は指導すること・叱ることに対して肯定的ではない風潮が強くなっているように感じます。
実際に、ビジネスの現場では、新入社員や若手社員に対して厳しく指導することが難しくなっているといわれます。現在は「ほめて伸ばす」ことをモットーとする企業やリーダーが増えており、「叱る」ことがまるで悪いことのように感じることさえあります。
しかし、人の成長にとって「叱り」は本当に不要なのかと問われれば、多くの人が「否」と答えるはずです。危険な行為をしていたら、わが子の命や安全を守るために、親は叱って禁じるはずです。いじめや人に迷惑をかける行いをしていたら、わが子をいさめるために叱って教えるのが親というものでしょう。「叱り」は古今東西を問わず行われてきた教育的行為であるともいえます。
学校現場においても、現在は子どもに対する指導には細心の注意を払って行わなければならなくなっています。昨今の学校や教師に対する社会の「目」を考えると、一昔前に私たちが受けてきた(行ってきた)ように、あからさまに厳しく叱ることに対しては、注意を払わなければならない時代です。
「指導」と称して大声で罵声を浴びせたり威嚇したりするのはもってのほか。たとえ教師にそのつもりがなくても、子どもがショックを受けたと感じるような指導は控えなければなりません。
例えば、ほかの子が見て、明らかに叱られているとわかるような指導をすると、「友達の前で恥をかかされた」とショックを受けて保護者の苦情につながってしまいます。今の時代は、子どもや保護者との信頼関係を築くためにも、子どもが納得できないような叱り方は控えるべきです。
叱らなければ子どもや保護者との間に波風は立たないが
ただし、「叱ることはいけない」「叱らなくてもよい」という考えで、子どもの指導が十分できると勘違いしないでほしいのです。
例えば、身の安全を脅かす行いや、弱い子をいじめたり、利を得るために友達をおとしめたりといった、人として明らかに間違っている行いに対しては厳しく叱る必要があります。親もそうですが子どもも「本当に自分のためを大切に思っていれば、ダメなことはダメだと指導してほしい」と思っているはずです。
確かに、叱らなければ子どもや保護者との間に波風を立てることはないように思われます。しかし、それは一時だけのことです。私たち教師が考えている以上に、子どもは自分の力を伸ばしてほしいと望んでいます。親はわが子に豊かな人間性を育んでほしいと望んでいます。いざという場面で叱らない教師を信頼する親や子はいないでしょう。
明らかに間違ったことをしているにもかかわらず真剣に叱ってくれない教師は、子どもや親にとって、「自分(わが子)に無関心な教師」と受け取られるでしょう。子どものためと思ったことは、必ず指導するのが教師というものです。