「You話法」と「I話法」で印象はここまで変わる
例えば、子どもが母親に対して「クソババア」と吐き捨てたとしよう。
親としては、どこでそんな言葉を覚えたのか、どんな友人と関わっているのか、などと環境のせいにもしたくなるだろう。とはいえ、子どものコミュニティーを制限するわけにはいかず、人間関係をコントロールするのも難しい。
そこでつい、「汚い言葉を使うと頭が悪くなるよ」「乱暴な子だと思われちゃうよ」「友達や先生に嫌われるよ」などと「あなたが/君は」というトーンで声をかけてしまうのだが、こうした「You話法」での受け答えはフェアではないと五百田氏は語る。
「対人コミュニケーションにおいて、こういった返答は一方的な押し付け、偽善に陥りがちです。親にはまず、わが子が人格を持った、『家族』という社会コミュニティーの構成員の1人であることを念頭に置いてほしいのです」
五百田氏は、子どもに対しては「You話法」ではなく「I話法」で答えるべきだと語る。
「一対一のコミュニケーションなのに、『みんなにどう思われるかな〜?』と第三者を持ち出すのは大人の狡さです。子どもは、自分が『乱暴な子』と思われて困るのが親の都合であることを見抜いています。冒頭の『クソババア』に対する声かけは、『私はその言葉を使ってほしくない。だからやめてほしい』と伝えるのがよいでしょう」
親は“全知全能の神”⁉ 子どもには説明しないと伝わらない
「I話法」を意識することに加え、五百田氏は「理由を添えること」も大切だと話す。他人を説得するには、なぜそうしたいのか、自分の思いを付け加える必要がある。その一言があるだけで腑(ふ)に落ちるのは、相手が大人でも子どもでも同じだ。
一方で、親にも肉体的・精神的な余裕がないと、健全なコミュニケーションは実践できないと五百田氏は言う。
「子どもに限らず、大人も感情的に発言してしまうことはありますよね。むしろ、大人のほうが、子どもに対してやってしまいがちかもしれません。親にも『わが子相手なら、別に構わないだろう』という甘えがあるのかもしれません。
もしくは、『子どもに理由を説明してもわからないだろう』と思って、『いいから早くやりなさい!』と声をあげてしまうのかもしれません。しかし子どもは、『なるほど。親はそういう説得の仕方をするのだな』と学んでいます。その結果、『いいから〇〇買って!』とねだるようになるのです」
子どもに真っ当なコミュニケーションを身につけさせたい場合、家庭内や夫婦間での連携も欠かせない。たとえば子どもに、「お水ちょうだい」と言うように教えていた場合、夫や妻に「水!」と言われて持って行っては矛盾が生じる。子どもも、なぜ自分だけ「水!」ではいけないのか、混乱してしまうのだという。
五百田氏は、昨今は世の中のトレンドとしても「言語化」が求められていると分析する。大人の間でも、「異なる価値観をわかりあうには、言葉にしなければならない」のが通説で、エモーショナルな表現よりも言語力が求められる。
「コミュニケーションは技術です。運動神経にばらつきがあるのと同様に、言語化能力にもばらつきがあります。子どもは、大人から話し方を学び、訓練を積みながら言語化を習得していきます。子どもが歩いたからといって球技ができるわけではないように、喋るようになったからといって、気持ちを適切に言語化できるわけではないのです」
その分、親が子どもに感情的に当たってしまいがちな場合は、親のほうも、きちんと感情を言語化すべき。「今、私は機嫌が悪くて、感情的になってしまっている」と言葉にして伝えることが重要だ、と五百田氏は言う。
「子どもは、親のことを“全知全能の神”だと思い込むものです。その誤解は早めに解いておくことをおすすめします。親も機嫌に左右される生き物だということを伝えて初めて、子どもは『親の行動が完璧で正しいわけではないのか……!』と気付くのです」
正しい言葉遣いと、「子どもらしいかわいさ」は別物
そもそも「言葉遣いが悪い」というのも、言葉には流行があり、良し悪しの判断も個々人の好みであると五百田氏は話す。言葉遣いの良い悪いは人によって変わるし、大人側の好き嫌いにも左右されているというわけだ。
「以前、20代の女性の知人が『これ、クソうまいですよ!』と言ったのを聞いて、一瞬『えっ?うまいの?クソなの?』と混乱しました。しかし、冷静に考えれば、“すごくおいしい”との優劣はつけようがありません。あくまで言葉を受け取った側の感想ですし、『クソうまい』をはしたなく感じた自分の凝り固まった価値観に気付かされました」
とはいえ、「『クソ』と口にしていると品がない人間に育ってしまうのでは」と心配になる気持ちも理解できる、と五百田氏。しかし、「ごきげんよう」と挨拶すれば必ず上品に育つかといえば、そういうわけでもないだろう。
「言葉はあくまで道具であり、そこに人格を重ねなくてもよいのかもしれません。子どもに言語化を求めることは、わが子に大人っぽさを要求することにもなります。現代では子どもが少ない分、親は子どもの表情をしっかり見てすぐに察してあげますよね。そんな中で、『ママ、私はお腹が空いたので、パンをちょうだい』なんて言い始めたら、ちょっと驚くのが本音かもしれません(笑)。
学校でも、『プリントが足りないので2枚ください。手元になければ刷ってきてください』と言うと、かわいげがないと思われる可能性も。私は幼い頃からませていたので、先生によく『お前はうるさいんだよ』と言われていました(笑)。正しい言葉を遣うことと、子どもらしくかわいがられることは別なのかもしれないですね。その意味で、家庭ではわが子の子どもらしい言葉遣いを受け入れるというのも選択肢だと思っています」
一方で、子どもでもTPOをわきまえることは必要だ。また、汚い言葉を知っていることと、その言葉が相手を傷つけると認識したうえで口にすることには違いがある。
子どもの言葉遣いが気になるときの2つの選択肢
そこで五百田氏によれば、子どもの言葉遣いが気になる時の親の選択肢は2つだ。
「1つは、家庭内では甘んじて受け入れるという選択。『先生や他の人には言っちゃダメだよ』と伝え、あとは子どもを信じるのみです。万が一先生に『クソババア』と言ってしまったら、子ども自身が先生にしっかりと怒られて、学べば良いのです。ここでも、親はあくまでも『I話法』を意識しましょう。『先生に嫌われるよ』『あなたのために言ってるんだよ』とYou話法で諭すのではなく、たとえば『あなたが先生にその言葉を使うと、仕事中に学校から電話がくる。私が迷惑だからやめてほしい』などと伝えます。親心としては、お子さんのために叱っているのも事実ですが、こう工夫することで押し付けがましさが減り、子どもも受け入れやすいのです。
もう1つは、『わが家ではその言葉はダメ』とはっきり伝え、親も含めて使わないよう徹底するという選択。『家族の構成員として生活するのであれば、うちの経営方針に従いなさい』ということです。ただし、理由を添える必要はあります。『クソババア、と言われると悲しくなるからやめて』『死ね、と言われると、私が本当にあなたを残して死んでしまう日のことを考えてしまうからやめて』『キモい、と言われると、あなたが今どのくらい怒っているかわからず、戸惑ってしまうのでやめて』……ここは親の都合であれ、正直に伝えることがフェアなコミュニケーションでしょう」
どちらを選ぶかに正解はない。それより重要なのは、親が本心から感じることを、心を込めて伝えることだと五百田氏。子どもは、大人の言葉に「体重」が乗っているかどうか、すぐ見抜いてしまうのだ。親も人間であり、完ぺきではない。最後に五百田氏は、「だからこそ、大人自身も『親たるもの、~すべき』という呪いから自由にならないと」と、語った。お互いの気持ちを素直に伝え合い、フェアなコミュニケーションを心がけながら忍耐強くわが子と向き合うことが大切なのだろう。
(文:せきねみき、注記のない写真:なないろひまわり / PIXTA)