ベトナム駐在時に「日本の教育を変えなければ」と思った
――大学卒業後、すぐに教員にならずに富士通に入社されたのはなぜですか。
父が教師だった影響もあり、教育学部に進学しました。卒業後すぐに教壇に立っても、生徒に伝えられることには限りがあるような気がして、まずは社会で揉まれる経験をしようと思いました。

就職先として富士通を選んだのは、今後はITが社会を支える基盤インフラになるだろうとの予想があったことに加え、当時は苦手意識を抱いていたIT分野の知見を広げておこうと考えたからです。
――富士通での仕事内容について教えてください。
富士通には4年間在籍し、主にプリセールスという技術営業を担当していました。そのうち約7カ月はベトナムでの市場調査に従事しました。プリセールスとは、ITに関する技術的な知見を基に、営業担当やエンジニアと連携しながら、顧客に対して製品やサービスの価値を訴求する仕事です。顧客の困りごとをヒアリングし、自社の製品やサービスがどのように課題を解決できるかをご提案していました。

長崎県立長崎北高等学校教諭
富士通に勤務した4年間で技術営業やベトナムでの市場調査に従事した後、長崎県の公立高校で英語科教員を10年務める。英語教育における生成AIの活用を積極的に推進し、英文の添削やスピーキングの練習、英語でのディベートなどにおいてChatGPTを活用した授業を実践している。生成AIの教育への活用とその普及戦略について研究するため、2025年秋よりハーバード教育大学院への留学を予定
――ベトナム勤務はご自身で希望されたのですか。
そうです。将来、教員になるとしたら、英語でビジネスをした経験があれば、生徒への指導や言葉も説得力が増すと思い、入社当時から海外勤務を希望していました。
ベトナムでは現地の商工会議所に派遣されて、日本企業がベトナムで市場を開拓するに当たってのポテンシャルの調査を担当し、IT系のセミナーに参加したり、IT企業を訪問して自社製品を紹介したりしていました。
現地では、韓国のサムスン電子やヒョンデ、中国のファーウェイなど他国の企業が市場で存在感を発揮している一方、日本企業は低迷している状況を目の当たりにして、日本の国際競争力の低下に危機感を覚えました。同時に、自らの英語力やITの専門性が、韓国や中国、ベトナムの企業の社員よりも低いという現実も突き付けられました。

人脈を築くためにセミナーに参加した際、ランチタイムに名刺交換をしながら話をすることがあったのですが、私は英語力が足りず、会話に入っていくことができなかったのです。当時のTOEICスコアは940点でしたが、スコアを持っているだけでは通用しない現実に直面し、心をへし折られて帰るような毎日でした。
――そのような経験をされる中で、なぜ教員になろうと思われたのですか。
日本の学校教育という枠組みの中では、それなりに適応できているつもりでしたが、社会に出た途端に挫折感を味わう。この現実に疑問を感じ、もしかしたら、原因の一端は日本の教育にあるのではないかと思うようになりました。
そして、ベトナム駐在の最後の日に、何かやり残したことはないかと考えたときに思いついたのが、「ベトナムの教育訓練省(日本の文部科学省にあたる)を訪問して教育の実態を聞いてみよう」ということだったんです。そのときに、自身の関心は教育分野にあることを再認識するとともに、教育を少しでもよくするために自分ができることに挑みたいと強く思いました。その結果、教職の道へ進む決意が自然と固まりました。

現地の教育訓練省では、ベトナムと日本の英語教育について、とくに学生のスピーキング力の違いを中心に意見交換をしました。その結果、分かったのは、ベトナムの学生は「自分たちの国をよくしたい」という思いを持ち、英語を社会に出た後のビジネスツールや武器として捉えているため、英語に対する取り組み方が日本の学生とは根本的に違うということです。
日本の学生にも動機づけの観点から、入試だけに捉われない目的意識を持った英語学習を促すにはどうすればよいかという視点を得たことが、その後の教員生活につながっていきました。
生徒に伝えたいのは、「知識」よりも「学び方」
――地元の長崎県で公立高校の教員になられてからは、授業でどのようなことを伝えていらっしゃいますか。
外国語を学ぶことの重要性をつねに伝えてきました。例としてよく話していたのが、ベトナム駐在時のエピソードです。
私は現地の生活を知りたくて、会社が用意してくれた住まいではなく、現地の人が住むアパートに暮らしていたのですが、すぐに住民からの嫌がらせが始まりました。ドアを開けると3人の若者から生卵を投げつけられることが数日間続いたので、ある日、ベトナム語で「どうせ卵を投げるなら、せめてゆでてくれ」と頼んでみたんです。すると翌日、きちんと殻を剥いたゆで卵が飛んできました(笑)。
現地の言葉でコミュニケーションを取ることで、こちらの思いが伝わり、相手も心を開いてくれるようになる。それくらい、言葉って大切なものなんですよね。卵を投げつけてきた彼らとはその後、仲良くなり、今でも友人関係が続いています。こういった体験談を伝えることで、生徒に外国語を学ぶことの意味を分かってもらえたらという思いがあります。
――英語の授業で工夫していることはありますか。
生徒たちには英語の知識以上に学び方そのものを身につけてほしいので、同じ授業をルーティン化しないようにしています。教科書の内容を自分の言葉で要約してから意見を述べるリテリングや、ChatGPTを活用した英文添削やスピーキング練習を取り入れるなど、授業ごとに違った角度から英語にアプローチできるようにしています。生徒から「今日の授業は何をするんですか」と何気なく聞かれると、授業の繰り返しを避けるという意図がマンネリ化を防ぎ新鮮な気持ちで授業に臨んでくれることにつながっているのかなと感じます。
――教員の仕事に民間企業での経験が生きていると感じることはありますか。
自分が海外勤務で味わった悔しさや挫折を、次の世代の子どもたちに感じさせたくないという思いが、授業を形づくっていくうえでの指針になっています。また、他部門や他社との共同プロジェクトを実施してきた経験から、企業や自治体などと連携した越境的なつながりを楽しめること、プリセールスを通して身につけた手段と目的を切り分ける思考も、教員生活の中で生かされています。
ChatGPTを家庭教師としてハーバード教育大学院に合格
――2025年秋からはハーバード教育大学院への1年間の留学を予定されています。なぜ留学を考えられたのでしょうか。
「ハーバード」という名前が頭によぎったのは、ベトナムで働いていた時期です。日本の教育をよくするには圧倒的な知見と経験が必要だと思い、世界の最高峰であるハーバードに行くんだという思いが自分の中で盛り上がりました。その後、2022年に父が66歳で亡くなったことで人生の終わりを意識するようになり、「やり残していることはないだろうか」と自問した際に、ハーバードへの思いが再燃しました。
生成AIの登場により、効果的に活用すれば生徒一人ひとりのニーズに応える学習が可能になるという期待感がある一方で、教員がこのツールを活用するか否かが、学びの格差につながりかねないという危機感もあります。
自らのAIを活用した実践を研修会や講演会などでお話しする機会をいただいたのですが、本当の意味で先生方に腹落ち感を持っていただくには学術的な裏付けが必要であると考え、大学院でより効果的な活用手法や普及戦略を学びたいと考えています。生成AIを活用することが、生徒の認知能力と非認知能力にどう影響するかについても研究する予定です。
――大学院進学のための試験対策や留学準備はどのように進めたのですか。
英語試験のスコアアップ対策は3年ほど前から始め、その後は推薦書、エッセイ、奨学金の申請などを同時並行で進めていきました。ハーバード教育大学院の場合(2025年度入学)、入試は現地に行く必要はなく、エッセイなどの提出物をオンラインで送る形になります。奨学金の申請は、複数の財団にエントリーし、それぞれ異なる審査基準や面接があったため、自分の考えを明確に言語化する上で最も時間と労力を要しました。
出願準備では、ChatGPTを家庭教師として活用しました。具体的には面接官やアドミッションオフィス(入学審査部門)の役割を担ってもらい、模擬面接やエッセイの添削に役立てました。エッセイでは、自分の人生について述べる中で、「なぜあなたが」「なぜハーバードに」「なぜ今、入学する必要があるのか」という3つの「Why」に答えなければなりません。
過去の合格者のエッセイと自分のエッセイのどちらが優れているかを、ChatGPT、Claude、Perplexityの3つの生成AIに質問し、3つ全てが自分のエッセイの方がいいと回答するまで修正を繰り返しながら、内容をブラッシュアップしていきました。
――徹底的に生成AIを活用されたのですね。教員の業務との両立は大変ではなかったですか。
高校3年生の担任をしていたのですが、大変ながらも楽しく両立ができました。私自身も受験勉強に取り組んでいたため、その経験を生徒たちの指導に応用できたんです。例えば、英語の志望理由書を準備する中で学んだ、論理的な英文の書き方や効果的なフレーズを、推薦入試などで志望理由書が必要な生徒たちに具体的に伝えることができました。
――では、大学院卒業後の展望をお聞かせください。
海外で高度な教育理論や指導法を学んだとしても、それが生徒の成長につながらなかったら意味がないと思うので、まずは学校現場に戻るつもりです。大学院で学んだ知見を日本の学校現場で生かすにはどうすればいいのかを検証しつつ、その成果や課題を全国の先生方と共有しながら、現場からのボトムアップで日本の教育をよくする活動ができればと考えています。
(文:安永美穂、注記のない写真:本人提供)