ヨーロッパでは「政治が変われば生活が変わる」が浸透している
――区長選に出馬されるまで、政治とはまったく別の世界にいらっしゃったそうですね。
2001年に起こった「9.11(米国同時多発テロ)」直前にオランダに移住し、03年にアムステルダムに拠点を置く国際政策シンクタンクNGO「トランスナショナル研究所(TNI)」に就職。水やエネルギー、食物を中心とした公共サービスに関する調査をしていました。政治家ではありませんが、社会の課題に働きかけるポリティカルな仕事を一貫してきました。その後、ベルギーのルーヴェンという街に移り住み、帰国したのは22年の出馬直前。海外生活はトータルで20年ほどになります。オランダに移住した理由は、オランダ人のパートナーとの間に子どもが生まれ、生活拠点を1つにする必要があったからです。
――地方自治や政治に興味を持ち始めたのはいつ頃からですか?
ずっとです。海外で長く暮らす中で「日本の民主化のために働くこと」が自分のミッションであることはわかっていました。それに近づくために仕事の傍らで日本語での執筆活動を始めたのが5年程前です。そんなときご縁があって杉並区長選への出馬を打診いただいたのです。「この機会に挑戦すべきだ」と直感が働きました。
日本と違い、欧州では頻繁に政権交代するので、政治が変われば生活が変わることを国民が身をもって感じています。とくに子育てを含む福祉政策は影響が大きい。海外にいたからこそ得られた知見は、杉並区の政策テーマ「さとこビジョン」に生かされています。子どもの権利の擁護や性の多様性の尊重を地方政治から積極的に進めていきたいと思いました。
選挙の論点で「児童館廃止」に反対した訳
――選挙の際、児童館廃止の是非について議論が巻き起こり、大きな注目を集めました。改めて、区長としての考えをお聞かせいただけますか。
児童館を存続させるか、解体して学校内に組み込むか。放課後を子どもがどうすごすかは保護者にとって大きな関心事です。児童館が選挙の論点になったことはめずらしいかもしれません。子どもの視点に立って、学校や家庭以外の子どもたちの居場所が必要という認識が広がったのだと思います。
学校や家庭以外の居場所、サードプレースの存在は、子どもたちの幸福度に直結します。児童館はサードプレースの象徴。児童福祉を心得た職員に見守られ、赤ちゃんから高校生まで、子どもたちが自由に、安全に過ごせる施設です。一度なくなったものを作り直すことは困難です。建物の老朽化などの問題はありますが、それらに対処するときに全面的な児童館の廃止が行政からのトップダウンで進められたことに多くの人が違和感を持ったのだと思います。児童館を廃止ではなくアップデートすることもできると。
従来、杉並区の多くの児童館には学童クラブが併設されています。児童館をなくして学童や放課後の遊びを学校内に移転するという計画が進みました。児童館は児童福祉の拠点として区職員が職務にあたりますが、学校内の居場所は民間事業者の委託事業になることもこの計画の特徴でした。委託事業者は広い学校内で子どもたちの安全を守るために管理的にならざるをえません。学校にいきづらい子どもたちもいます。そんな中で、18歳未満の子どもすべてが自由に利用できる児童館の存在意義が、国の議論で再認識されています。
――「さとこビジョン」には児童館のことだけでなく、ジェンダー平等についても記されていますが、女性区長としてどのような点にジェンダーギャップを感じていますか。
女性首長の割合が圧倒的に少ないですね。首都東京都のトップに小池百合子都知事が就いたことは大きな意味があったと思います。例えば、男性知事のもとで育児は、「未来を担う子どもを育てる大切で尊い仕事」とする「育業」という言葉は生まれなかったでしょう。
昨今の選挙で23区で女性区長が6人となりました。私が就任する前は長い間足立区の近藤弥生区長ただお一人でしたので、23区区長会の景色は大きく変わりました。私は、首長をはじめ政治に女性が挑戦することへの垣根は高いと感じます。女性は根強い性別役割分業の中で子育てや高齢者の介護など、家庭の中のケアワークを多く担っています。自分のキャリアよりも家族全体のありようを優先する習慣が内在化されています。家庭内での家族のケアの共有や長時間労働の是正など、女性がリーダーシップを発揮できる社会的な土壌を生み出さなくてはなりません。
“ないない尽くし”の欧州と、“子育て罰”の日本
――欧州の子どもをめぐる環境は、日本とは異なる点が多そうですね。
私が暮らしていたオランダとベルギーでは、小・中学校ともに1クラス20人編成でした。小学生に宿題を出すことは禁じられていました。中学校では部活動もない。授業時間も少ないし、塾という存在がないので、特に小学生はのびのびしていました。自分も日本で教育を受けたので当たり前だと思っていましたが、運動会や学芸会、入学式や卒業式など親が参加する行事がほぼないことは新鮮でした。“親のために子どもがパフォーマンスする行事”はあまりいらないと思います。学校の教員の業務負担が減り、先生たちも子どもたちも学習に注力できると思うのです。
日本では、子どもは宿題や塾の勉強、部活動に習い事など、膨大なタスクに追われている印象です。子育てにお金がかかりすぎます。義務教育でも隠れ教育費があり、学校以外の教育費の重さから “子育て罰”という言葉があるほどです。子育て世代を財政的に支援するだけでは少子化は止まりません。若年層が長期的に安心して働ける経済政策が必要です。少子化に歯止めをかけた国々に習って、教育分野への公的資金の支出の優先度を上げなくては。子どもは未来そのものであり社会全体で育てるという社会的合意と政治が必要です。
――日本の子どもは幸福度や自己肯定感が低いという話が出ましたが、子どもたちがこれからの社会を幸せに生きていくには、どんなことが必要だと思いますか。
人と共同で何かを成し遂げる体験を積み重ねることでしょうか。地方自治は民主主義の練習場とよくいわれるのですが、学校もまさにそう。教員とともに子どもたちが訓練できる場です。例えば、納得のいかない校則を変えるために何ができるのか動いてみる。その時に、“自らが主権者である”ということを子どもの頃から感じられるように、周りの大人は支援することが大切です。「自分たちが社会をつくり、変えていける。それが自分の幸福度につながっている」という実感をどれだけ持てるか。そのためには大人が、子どもが権利の主体者であることを十分に理解する必要があります。子どもの自己決定権や自己表明権の理解を地方自治の中で深めたいと思っています。現在他自治体から学びながら「(仮称)杉並区子どもの権利に関する条例」の制定に向けた準備を始めています。
現在、区役所内や地域社会の中でまちづくりや公共施設のあり方の議論が進んでいます。その中で“子どもの視点”でまちづくりを考えよう、とか子どもの意見を聞こうという機運が高まっています。
子ども一人ひとりの特性を尊重する多様な居場所づくりを進めることは、すべての人に優しいまちにつながると思います。また、女性・外国人・障害者・マイノリティーなど多様な人々へのエンパワーメントも欠かせません。“多様性”は大きな力になります。今後の社会における大切なキーワードなので、引き続き向き合っていこうと思います。
(文:せきねみき、編集部 田堂友香子、写真:風間仁一郎)