努力不足だと見なされがちな「境界知能」の子どもたち

──「境界知能」に注目が集まりつつあります。改めて、その定義について教えてください。

まずお伝えしたいのが、境界知能とは病名や診断名ではないということ。境界知能は、IQ(知能指数)の数値が70~84の域を指します。一般的にIQ85〜115の範囲内が平均とされ、IQ70未満は明らかに低いとされますから、「IQ値の目安が50〜70未満の軽度知的障害の人たち」と「平均といわれるIQ85~115の人たち」との間にあるIQ値の人たちが、境界知能ということになります。

IQは正規分布するので理論上、人口の約14%、日本では約1700万人の人が境界知能に該当するといわれています。例えば、多い報告でも発達障害は人口の約10%といわれていますから、かなりボリュームがある層といえるでしょう。問題は、この層の困難が見落とされがちだということです。

──なぜ見落とされてしまうのでしょうか。

近年、DSM-5(「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版」)では、知的障害の診断基準が変わり、改めてIQだけで診断しないことが記載されています。IQで判断できる記憶や言語、数学的思考などの「概念的領域」だけでなく、 対人コミュニケーション能力や共感力などの「社会的領域」、金銭管理や自身の行動管理などの「実用的領域」といった、日常生活を送るうえでの適応度も含めた評価を重視するようになったのです。

しかし、軽度知的障害かどうかについては、適応行動評価を含めてきちんと診断できる医師は少ないのが現状です。境界知能の方が抱える適応度の困難さは、軽度知的障害の方の困難さと類似しているはずですが、主にIQだけで「知的障害ではない」と診断され、公的支援につながれない人がかなりいるのではないかと思われます。

また、境界知能のお子さんの適応度の問題は主に就学後に表れてきますが、学校でも見過ごされやすいです。学校の先生はお忙しく、保護者や発達障害のある子の対応などに追われ、学習や適応度の問題に気づいていたとしても「様子を見ましょう」となりがちなんですよね。IQ70台で特別支援学級の対象となることもありますが、発達障害などさまざまな特性の子の対応や定員の問題で入室できないことも多いです。

通常学級には、このように適切な支援を受けられずに「努力不足だ」と言われ続け、達成感を得るのが難しくなってしまう子がいる可能性があるわけです。自己肯定感が育まれないまま社会に出て、仕事がうまくいかないなど、さらなる困難に遭遇する方も多いように思います。

古荘純一(ふるしょう・じゅんいち)
青山学院大学 教育人間科学部教育学科 教授、医学博士
1984年昭和大学医学部を卒業後、88年同大学院を修了。小児科専門医、小児精神科医として臨床現場で診察を行いながら、発達障害や自己肯定感に関する研究を行っている。日本小児科学会用語委員長なども務める。『自己肯定感で子どもが伸びる 12歳までの心と脳の育て方』(ダイヤモンド社)など著書多数、近著に『DCD 発達性協調運動障害 不器用すぎる子どもを支えるヒント』(講談社)
(撮影:尾形文繁)

社会に出て問題が顕在化、犯罪などに巻き込まれるケースも

──境界知能に関する研究は進んでいるのでしょうか。

知的障害や発達障害についてはさまざまな研究が行われていますが、境界知能については、国内でも海外でもあまり行われていません。研究費もギフテッドなどの目立つところに注がれる傾向がありますから。日本では知的障害に対する偏見が強い時代があり、本人やその家族が支援を求めにくい状況が続いたため研究自体が広がらなかった面もあります。医師も医学的な診断尺度がないから薬を出せませんし、「様子を見ましょう」となりがちなのが現状です。

こうした状況のため、自分が境界知能だと認識している人は少ないと思われます。何かのきっかけでIQ検査を受けて境界知能だとわかり、「自身がそれまで抱えていた困難さが納得できた」とおっしゃる方もいます。

──学習能力を伸ばす方法はありますか。

特効薬のような方法はありません。大人になったときの影響までしっかりと明らかにされたトレーニングは存在しないのが実情です。

また、境界知能の方の中でも個人差があります。言語理解もワーキングメモリーも数理的な処理も、全体的に苦手という方もいます。一方、飛び抜けて得意な領域がある方もいますが、そういう方はたいてい発達障害の特性のある方ですね。

そうした得意・不得意に対するアプローチをはじめ、短期集中で取り組むのがいいのか、できないことは手伝ったほうがいいのかなど、きちんと研究・実証された支援プログラムはまだありません。

「IQを上げるにはどうすればいいですか」という質問もよくされるのですが、IQとは「精神年齢(何歳相当の発達かを表す指標)÷生活年齢(暦年齢)×100」で表します。発達とともにできることが増えても、同時に生活年齢も上がるので、IQの向上を目指すのは意味がありません。むしろ本人のストレスになります。IQやテストの点数を上げることよりも、自立を目指すことが大事です。

──現状、境界知能の方はどのような進路を選択されているのでしょうか。

高校生や大学生にも境界知能の方はいますが、問題がより顕在化するのは、就職活動の時や社会に出た時です。実際、私のところにも、卒業を前に「卒業できない」「就職できない」と相談に来られる方がいます。

学校にいる間は計算や文章の読み書きなどは何とかパスできても、境界知能の方は適応度も低い傾向にあるため、就職活動では面接官の意図がくみ取れずうまくいかないなどのケースが見られます。

社会人になったとしても、「お金の管理ができない」「人にだまされる」「トラブルや犯罪に巻き込まれる」「乗っていた電車が止まったが適切な迂回ルートを探せない」「お客さんのニーズに応えるのが難しい」といった問題に直面する方が少なくありません。

親や先生は「今の環境でうまくやれること」「進学すること」など目先の目標に意識が行きがちです。しかし、大切なのは将来、その子が自立できるかどうか。早期から中長期的な視点で、自己肯定感を育み、応用が利かない傾向がある点をいかにサポートするかが重要です。

学校現場は「成功体験を積みにくい子」がいることに気づいて

──自立を目指すためにはどのようなことが必要でしょうか。

境界知能の方は苦手なことが多いため、達成感が乏しく自己肯定感も育まれにくい。だから、問題を乗り越える力が弱い傾向にあります。成功体験がないので、やりたいようにやれる状況に置かれたとしても動けないのです。

まずはやり方を提示して、成功体験を積ませることが重要です。こうしたプロセスを就職や社会生活と同時並行で行うのは難しいので、早期から支援を受けられるのが理想です。

しかし、発達障害や知的障害にはそれぞれ学校に支援体制があるのに対し、境界知能にはありません。通級や特別支援学級につなげるかどうかは、文部科学省や教育委員会の判断になると思いますが、現在は定員オーバーのところが多く、先生方も多忙で手いっぱいの状態だという課題もあります。

本来なら、学校は一律一斉の授業ではなく、一人ひとりがそれぞれ有意義な時間を過ごせるインクルーシブな環境づくりを整えるべきではないかと思います。文科省は「個別最適な学び」、厚生労働省も「切れ目のない支援」と言っていますが、それが現場や社会に届いていないと感じます。

(撮影:尾形文繁)

──境界知能の方が何らかの支援につながる方法はないのでしょうか。

私の患者さんは発達障害のある方や不登校のケースが多いのですが、あるときこれまで診てきた患者さんのIQを振り返ってみたところ、境界知能に該当する方が多くいることに気づきました。

きちんと分析したわけではないのですが、発達障害のある患者さんたちのIQは、ボリュームゾーンのピークがIQ90くらいだと推測しています。発達障害のある方のIQが正規分布すると考えるならば、理論上はIQのボリュームゾーンは、境界知能の範囲とされるIQ70〜84の側に寄っていることになります。そのため、発達障害と境界知能を併存する人は多いのではないかとみています。

これも臨床経験に基づく仮説ですが、境界知能の方は、反応性愛着障害や不登校などとの併存が考えられる人も多いように思います。よって、困難がある場合は、まずは診断を受け、その診断名での公的な支援を受けることを入り口に適切な支援につながっていくという方法は考えられます。

しかし、境界知能の方は、学校や社会で「自分は努力不足なのだ」というメッセージばかり受け取ってきたため、自分から「助けてください」と言うのは非常にエネルギーを要します。また、「相談してもうまくいかなかった」「助けてほしい時に助けてもらえなかった」というネガティブな経験を持つ方も多く、支援を断ってしまう傾向にあります。あるいは親御さんが「障害があるとなると、もっとつらい目に遭うかもしれない」と考えて、支援を断ってしまうケースもあります。ここも難しいところです。

──教員が意識すべき点があれば教えてください。

境界知能の子は小学校から高校までわからない授業を聞き続けることになり、有意義な楽しい時間を過ごせていないという現実があります。学校で幸せな時間を過ごせないことはつらいことですし、問題ですよね。まずは学校の先生をはじめ、多くの方に境界知能について知ってもらえたらと思います。学校の先生は、これまでたくさん努力して成功体験を積んでいらした方が多いのではないでしょうか。だからこそ成功体験を積めない、積みにくい子どもがいることを知っていただけたらと思います。

(文:吉田渓、注記のない写真:yosan/PIXTA)