無自覚に子どもの人権が侵害されている
「教育の世界では、あまりに無自覚に子どもの人権が侵害されていて、呆然とします」
そう語るのは白井智子氏。つねに笑顔を保ちつつも、その口から発せられる言葉の切れ味はとても鋭い。
白井氏は、幼少の頃をオーストラリアで過ごし、帰国後は東京大学を卒業して松下政経塾へ入塾したという経歴の持ち主。入塾当初は、政策スタッフとして教育の世界を国の中央から変えていきたいと意気込んでいたが、学校の現場を見て翻意する。
「暗い顔で学校に来て居場所のなさを感じている子や、自分の能力に気づくことすらできず才能を潰されている子がたくさんいることに気づきました。でも、法律や制度で変えようとしたら5年、10年という時間がかかるという時代でした。それでは、目の前にいる子どもたちは大人になってしまう。本当に安心していられる場所、『ここは楽しい』と思ってもらえる場所を少しでも早くつくりたいと思いました」
そして、フリースクール開設に動くのだが、教育の世界の実情を知れば知るほど法学部を卒業した白井氏には考えられない“常識”が広がっていた。その驚きと怒りの発露が冒頭の言葉だ。これにはまだ続きがある。
「そもそも、学校の成績が悪ければ切り捨てられるという状況に納得がいかなかった。本当は才能や情熱があったとしても、成績が悪いという理由だけで否定された子どもたちが、わかりやすくグレていったり、自分に自信をなくしたりするのを見てきました。そういう仕組みをよしとするのは、教育という名を借りた虐待に近いと私は思います。それに、切り捨てられた後の公的な不登校対策はあってないようなものだったんです」
子どもたちが学校にいる間、接する大人は教員しかいない。なのに、教員から否定されたらどうなるか。否定されないようにするための行動を取るか、諦めて否定された存在に甘んじるしかない。2つとも選べない場合、「学校に行かない」という道を歩むことになるが、そうすると学校での居場所はなくなってしまう。
実際、居場所を渇望する子どもたちが多数いることを、白井氏はすぐに実感する。1999年に沖縄でフリースクールを開設したときは、全国から130人が集まった。2003年に開設した日本初となる公設民営フリースクール「スマイルファクトリー」では、常時100人程度を受け入れている。その背景は千差万別だ。
「不登校になって何年も経っているという子もいれば、一般的には発達障害といわれる“発達の凸凹が強い子”もいます。『今年のクラスが合わない』『今年の担任の先生の押し付けが強い』と悩んで、一時避難的に通っている子もいます。確実に言えることは、一人ひとりが求めている教育が違うし、万人に合う教育はないということです」
もちろん、リソースは限られているから「スマイルファクトリー」でも一人ひとりにぴったりマッチした教育を提供できるわけではない。ただ、子どもたちに対する接し方に関しては、一貫した方針を固めている。
「一人ひとりの絶対的な味方になるということです。『否定された』と感じない環境を保ち、自分の能力をしっかり伸ばせる教育を一緒に探すことだけは共通して実施しています」
「過去を聞かない」を守り続けて
ずっと否定され続けてきて傷ついている子に、どうやって「否定されない場所」と感じさせるのか。白井氏がずっと守り続けているのは、「過去を聞かない」ということだ。
「そもそも、普通の大人同士の人間関係でも、初対面でいきなり嫌な経験を聞かないですよね。信頼関係が構築されて初めて心を開いて過去のことやトラウマについて話してくれたりするわけで、まずは人として当たり前のコミュニケーションを子どもたちとも取っています」
そうやって接することで、「そのままの自分でいいんだ」「初めて家の外で味方ができた」と子どもたちも感じることができ、目に見えて様子が変わっていくという。
「もう本当に、みるみるうちに落ち着いていきます。『あのトゲトゲしかった子がありがとうって言ってくれたよ』とスタッフ同士で泣きそうになることが毎日のようにあって、いかに否定されてきたと感じている子どもたちが多いかを痛感しています。うれしいのは、『1回つまずいたけれど、ここで助けてもらったから今度は助ける側になりたい』と言ってくれる子が多いことです。卒業後にスマイルファクトリーのスタッフになったり、福祉の世界で活躍したりという子がたくさんいます。自分自身が学校教育になじめなかった経験を持っているので、不登校の子の気持ちがよくわかるということもあって、自治体の教育委員会で重宝されている卒業生もいます」
教育は、時代の動きに追いついていない
興味深いのは、スマイルファクトリーを目当てに家族全体で引っ越してくるケースも多いことだ。そのことを大阪・池田市の教育委員会や学校も理解しているため、おのずと多様な子どもたちを受け入れようという土壌が醸成されてきていると白井氏は語る。
「スマイルファクトリーを目指して引っ越してくると聞いていたのに、いつまで経っても来ないなと思ったら、池田市の公立小学校には通えていたという話もあります。民間と連携することで『スマイルに行く子も含めていろいろな子がいる』と池田市の学校の先生方に理解いただいているのは大きいのかなと思っています」
多様な子の受け皿になるのはフリースクールの性質そのものでもあるが、公教育と連携すれば、より多くの子どもたちを受け入れられる。そして、このような連携は先生にも救いとなる可能性がある。
「20年以上フリースクールの運営に携わって、学校の先生方ともたくさん話をしてきました。やはり30~40人を十把ひとからげに教育するのはもう無理だと感じていますし、先生方からもそういう声を聞くようになりました。無理なのに先生方は頑張って指導しようとして、ブラックな環境で過重労働に苦しんでいらっしゃる。社会がSociety 5.0に向かって構造的に変わりつつある中で、従来の学校教育の価値観ややり方をそのまま押し通すのは難しいということを認めたほうが、先生方も子どもたちも保護者も楽になるのではないでしょうか」
白井氏の話でわかるように、フリースクールは学校教育の枠組みに収まりきらない子どもたちを受け入れる場所として大きく期待できる。しかし、文部科学省の2019年度調査によれば、小中学校の不登校児童・生徒が18万1272人いる一方で、フリースクールに当たる「民間団体・民間施設」で出席扱いを受けたのは3316人(※)と2%にも満たない。別の文部科学省調査によれば、15年時点でフリースクールの施設数は474カ所であり、すべての子どもたちを受け入れるのは厳しいのが現実だ。
※文部科学省「令和元年度児童生徒の問題行動調査」
スマイルファクトリーと池田市は先進事例であり、現実的には多くの学校がしばらく30~40人学級での授業を続けることは変わらない。現状の環境で、一人ひとりに合わせた教育をするにはどうしたらいいのか。白井氏は、コロナ禍によって前倒しで実現したGIGAスクール構想による“1人1台PC”の環境に期待を寄せる。
「“1人1台PC”の環境は、それぞれに合ったやり方で学べる可能性を大きく広げると考えています。例えば読み書き障害があって字が書けなくても、キーボードや音声で入力できることで能力を大きく伸ばすことができる。発達の凸凹が大きな子たちの学びの機会も広がります。逆に、教える側が使い方を規定しすぎてしまったり、従来と変わらない一斉授業での利活用にとどまってしまったりすると、可能性を狭めてしまいかねません。教員の皆さんにも、一人ひとりに合った学び方を探す絶好機だと捉えていただけると、たくさんの子どもが助かると思います」
逆にいうと、白井氏が指摘するように、ICTの活用によって十把ひとからげではない一人ひとりに合わせた教育を模索していくことが、学校に求められているといえよう。その模索のプロセスを、子どもたちと共有することも大切だと白井氏は指摘する。
「超がつくほどの情報化社会が到来している中で、コロナ禍の状況もあり、残念ながら時代の動きに教育は追いついていません。これは日本だけでなく、世界中どこでも同じです。このことを子どもたちと共有したうえで、ともに模索していこうというスタンスを示したほうが、信頼関係を構築しやすいと思います。明確な正解はないという現状を認めたうえで、子どもたちと一緒にそれぞれに最適な教育を探していくことが、子どもだけでなく、世代を問わず自分の能力をしっかり磨いて伸ばすことのできる社会の実現につながるのではないでしょうか」
今の学校の管理職を務める世代はICTに疎い人も多く、子どもたちはデジタルネイティブだ。今こそ教員に柔軟な発想が求められているのかもしれない。
(写真:NPO法人トイボックス 今中裕司)