活発な議論で「摩擦もエネルギーに変えて前に進みたい」
八重樫通氏は2022年3月、公立中学校校長として最後の職場となった茨城県つくば市の谷田部東中学校を定年退職した。現在は千葉県にある流通経済大学付属柏高等校にて、23年の中学校開設準備に向けて中高一貫教育推進部長を務めている。公立中学校時代の活動を知る同校の理事長に声をかけられたのがきっかけだったそうだ。
17年に赴任したつくば市立茎崎中学校では子どもの減少と教員の負担の限界を目の当たりにし、18年に「茎崎地区文化・スポーツクラブ」(以下、KCSC)を立ち上げた。これは民間と学校の協働による任意団体で、活動資金をクラウドファンディングで集めたことも斬新だった。次いで20年に異動した谷田部東中学校では、前任の校長から部活動改革プラン「洞峰地区文化スポーツ推進協会」(以下、DCAA)を引き継ぎ、さらに進化させた。この頃になると部活動改革の機運も高まっており、DCAAはスポーツ庁・茨城県・つくば市の公共機関との連携によって運営されることになった。社会人リーグで活躍する選手や大学生、プロ講師などを招いており、指導者のレベルも高い。
「茎崎中の全校生徒は約200人で、サッカーや野球のチームもつくれるかどうかというところでした。今後もさらに減少傾向です。また、教員の多くは核家族で、自分の子育てを誰かに頼ることもできない。もはや厳しいなどというレベルではなく、学校はすでに破綻していました」
部活動改革に着手したことを「パンドラの箱を開けた」と表現する八重樫氏。「でもそれは格好をつけた言い方かもしれません」と続ける。
「要するに、今までやってきたことに対して『もうできません』と白旗を上げたわけです。これは教頭時代までの私も含め、みんなが思っていたけれど、誰も言わずにきてしまったこと。クビを覚悟していましたし、その後の苦労は筆舌に尽くしがたいものがありました」
保護者への説明会で「敗北宣言」をした瞬間は体が震えた。だが揺るがなかったのは「子どもたちを置き去りにしてはいけない」という思いだ。そのためには教員の無償奉仕が限界であることを明らかにし、「お金をくださいと言うしかなかったのです」と振り返る。
部活動を地域に移行しようという八重樫氏の意見に対し、学内外の関係者や保護者、行政も含め、あらゆるところから反対意見が出た。賛成してくれた相手からも、「生ぬるい」などという突き上げがくる。だが同氏は「あえて摩擦を起こしている面もあるのです」とほくそ笑む。
「根回しなど円滑にするための努力もしますが、多様な意見を集めて摩擦を起こすことが前に進むエネルギーを生むと考えています。議論は活発なほうがいいので、今もSNSなどを活用し、情報発信には積極的に取り組んでいます」
「ボトムアップなら変えられる」と実感した、ある取り組み
八重樫氏が情報発信を重視する理由はもう一つある。KCSCを立ち上げたばかりの頃は何度も諦めそうになった。どの窓口へ陳情に行っても、門前払いかたらい回しが関の山だったためだ。
「部活動の運営方法を含め、日本型教育は戦後約80年ほぼ変わらずにきました。だからこそ破綻をきたしているのですが、80年変わらなかったものを私が変えるなんて、やっぱり無理なんじゃないかと思うこともありました。校長とはいえ、全国に公立中学校は約1万校あります。私はその1万分の1人にすぎないのですから」
八重樫氏の折れかけた心を支えたのがクラウドファンディングだった。プロジェクトは目標金額の100万円を大きく上回る133万6000円の支援を集め、その結果に大きな手応えを感じたと同氏は言う。
「全国の見ず知らずの人たちがこんなに応援してくれるのかと驚きました。偉い人に頼んでも物事はそうそう変わらない。でもボトムアップなら変えられるかもしれない、と気づいたのです」
八重樫氏はこれまで、現場が動いて行政に結果を見せることの重要性を実感してきた。だからこそ情報発信にも注力しているのだ。現場の議論を盛り上げようと発信する同氏のSNSには、若い教員から多くの悩みが寄せられる。そうした声にも真摯に答えているが、八重樫氏が最も訴えかけたい相手は全国の校長だという。
「学校は残念ながら、校長を無視して変わることはできません。だからこそ現場の声を聞き、校長先生に動いてほしいのです。私自身、校長にならなかったらここまでの責任感を抱かなかったかもしれません。今は文部科学省からも方針が出され、新しい取り組みも進めやすいはず。私が辛酸をなめていた頃とは違うのですから、ぜひやってほしいですね(笑)」
「ちょっとやそっとの戦いには負けない自信がつきました」と冗談めかして、後続のための道をならしてきた自負をのぞかせる八重樫氏。だが数々の苦労の中で、今も忘れられないことがあると語る。部活動の地域移行に当たって、受益者負担型の団体をつくろうと提案した時のことだ。
「ある先輩校長に、『子どもたちからお金を取るなんて、そんなことをしていいと思っているのか』と言われました。教育として、そんなことがあっていいのかと」
八重樫氏は「いいと思っていることと、やらなければならないことは違います」と言う。「でも私も、子どもたちからお金を取っていいとは思っていません」と寂しげに目を伏せた。
管理職たちも「泥の中をはいずり回る思いで働いている」
文科省は2021年2月に「公立学校の教師等の兼職兼業の取扱い等について」という通知を出し、部活動指導を望む教員に別途謝礼を支払って活用する指針を示した。例えばDCAAでは、兼業の教員が男子バスケットボールクラブを指導している。大会での成績も優秀だが、八重樫氏は安易な教員の兼業にはリスクを感じている。
「このクラブは、1年前は全国大会で初戦敗退でした。それが今年の1月には全国でベスト8になりました。これはもちろん悪いことではありませんが、成績を重視して地域部活動が勝利至上主義に走ったのでは、部活動改革の意味がなくなってしまいます。教員の兼業は本来、苦肉の策でしかないはず。日頃の授業がおろそかになるようでは本末転倒です。谷田部東中ではそうならないよう、本人と相談しながら私がコーディネートしてきました。そうした危機感はつねに持っておく必要があります」
必要なのは指導者のマネジメントとコントロールで、DCAAでは土日の練習を禁止するなど、「部活動の肥大化」を避けているという。勝利至上主義の問題点が叫ばれて久しいが、そもそも部活動が肥大化してしまうのはなぜなのか。
「教員とは、あまり認められない存在なのだと思います。献身的な犠牲も当たり前だと思われているし、学習指導の結果はもちろん生徒の努力によるもの。教員自身の自己有用感を求める思いが、部活動の成績というわかりやすい結果に走らせてしまう要因のひとつだと思っています」
試合に勝ったときの生徒の笑顔は何にも代えがたいし、教員冥利に尽きるものがある。「私にもそうした俗人的な部分はあります。部活動改革を評価されればうれしいし、気持ちはわかる」としながら、あくまで「子どものため」という目的を忘れてはいけないと語る。
「少し前にはSNSで『教員の顧問拒否運動には賛成できない』と発言して炎上しましたが、部活動改革を教員の働き方改革の側面だけで捉えると子どもが置き去りになる。それでは勝利至上主義の部活動と同じだと考えています」
働き方改革自体、本来は子どものためのものだと八重樫氏は強調する。
「教員が授業の研究や準備をする時間がないような状態では、生徒にとっていい授業ができるわけがない。だから働き方改革が必要なのです」
部活動改革で大きな実績を残してきた八重樫氏だが、「それだけでは学校は変わらない」と言う。
「お話ししたとおり、すでに学校は破綻しています。最大の目的は、生徒のために授業をどうよくしていくかということ。そのためには学校経営全体への改革が必要であり、部活動改革はその1つにすぎません」
八重樫氏は「学校の管理職は皆、泥の中をはいずり回る思いで働いています。何かを変えようとすると、さらにハイヒールで頭を踏みつけられるような状態になる」と例える。その中でもがきながら活動を続け、初めてスポーツ庁が茎崎中に視察に来たときは「それまでのつらさを思って涙が出た」と語った。定年を迎えた際には「あぁ、これでやっと解放されるんだ、という感覚でした」。
しかし八重樫氏は現在も全国の教員に語りかけ、行政へ提言を行い、活動を続けている。
「先週は福岡、今週は山形で、その前は愛媛に講演に行きました。校長時代はそう学校を離れることができなかったので、少し自由になった今、できることをしたいと思っています」
同氏を動かすのは、「子どもからお金を取っていいのか」というあの言葉だ。
「あのとき言い返せなかったことに、答えはないと思っています。それでも私はずっと考え続けています」
それは学校だけに押し付けていい問題なのか、社会全体で考える“べき”ことではないのか。だが八重樫氏はその問いをニヤリと受け流した。
「何かをすべきだという『べき論』は、何の力にもなってくれません。私はそれより、自ら物事を動かす実践家でありたいのです」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:Graphs / PIXTA)