部活動消滅の危機「学校運営だとあと10年」で厳しい状況の訳 教員の残業前提の指導、全員顧問制はもう限界

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部活動の指導を担う教員の負担は大きい。この問題については近年議論が活発になり、すでに国の提言も複数出ている。文部科学省は2017年に「学校における働き方改革に関する緊急対策」を発表し、翌18年には「部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」を策定。提言では今後の部活動運営を、地域団体など学校外の組織が行う可能性にも触れている。教育の観点から部活動を研究する学習院大学教授の長沼豊氏に、部活動や学校を取り巻く今と未来について聞いた。

「部活動改革なくして働き方改革なし」変化は当然の流れ

学習院大学文学部で教えながら、「改革仕掛人」として部活動の現場を見つめ続ける長沼豊氏。昨今の動きについて「部活動改革なくして働き方改革なし。これは当然の流れです」と断言する。もはや教員による部活動指導の維持は限界を迎えているとし、メスを入れるべき問題点は大きく2つに分けられると説明した。

「問題の1つ目は、そもそも教員の残業を前提とした時間設計になっていることです。国は教員の残業の上限を月45時間としていますが、部活動ガイドラインのとおりにやったとしても、その時点で残業が44時間になる計算です。勤務時間の上限時間を超えずに部活動の指導をすることは、私はできるはずがないと思います。2つ目の問題は、過熱した部活動は子ども主体のものではないということ。勝利至上主義による軍隊式指導の部活動は、もはや教育活動ではありません。勝ち負けにこだわらず、純粋に楽しみたい子どもへの寛容さもなくなってしまいます」

前者は教員にとって、後者は子どもにとってよくない点だろう。また、部活動の指導に当たる教員の半分は自分が経験したことのないスポーツなどの担当をしており、不慣れな指導では教員・子ども双方にとっても効率が悪い。「教員数の問題もあるが、全員顧問制は即刻やめたほうがいい制度」だと長沼氏は断じる。

「文科省が『部活動の適正化』を掲げたということは、つまり現状が適正ではないということです。本来は子どもたちのためのものである部活動が子ども主体でなくなっていること、教員に無理な働き方をさせる前提で設計されていること。これまでが異常だったのだということに気づいて、価値の転換を図る必要があるのです」

では部活動のあるべき姿とはどんなものだろうか。長沼氏は、コロナ禍が1つの方向を示したと語る。全力で取り組みたい子どもたちにとってはもちろん大きな苦難だったが、一方で、休校期間中の活動には希望を感じたそうだ。

「大人数で集まることが難しい状況下、多くの子どもたちは、過去の大会や有名選手のトレーニングなどの動画を活用し、各自で練習に励みました。SNSでも連絡を取り合って情報を共有し、自分たちで主体的に工夫して取り組んだのです。これは活動時間の量が確保できなくても、やり方次第で質を保つことができるという好例でしょう」

長沼氏は、適正化すべきは主に中学校と高校の部活動だと指摘する。この世代では部活動単位の大会やコンクールがあるため、活動が過熱しやすく、行き過ぎた指導が発生しやすい。

「例えば、神奈川県立希望ヶ丘高校では、生徒が自分たちで部活動の顧問を探さなければいけないという仕組みがあります。顧問は1年契約制で、教員自身も子育てや介護など、自分の生活を尊重しながら生徒に条件を出すことができます。折り合えず顧問が見つからなければその年は廃部。厳しいようですが、これこそが子どもの自主性に任せるということではないでしょうか」

理想的な形を挙げながら、長沼氏はさらに「改革のヒントは小学校と大学にある」と続ける。授業の枠組みの中で行われる小学校の必修クラブでは、教員はあくまで助言指導と監督責任を果たす程度。子どもたちは互いに相談したり、6年生が下級生を指導したりする傾向が強いという。

また、大学のサークルは学生主体の活動そのものだ。特定のスポーツの強豪校であっても、同じ学内に、同じ競技をのんびり趣味として楽しむ別のサークルも存在する。やりたい人がやりたい楽しみ方で、主体的に取り組む。中高の部活動もこうした形になるといいと長沼氏は語った。

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