「授業準備の時間は、職員室から教室に向かう間だけ」
大坪圭輔氏は武蔵野美術大学で教職課程の指導をしながら、部活動の地域移行に携わる活動にも取り組んでいる。自身も美術教員として20年以上、中学・高校の教育現場を経験してきた。働き方改革が叫ばれる前から、部活動指導のあり方には疑問を感じていたという。
「OECDの国際教員指導環境調査結果を見ても、日本の教員は世界一働いており、長時間勤務の改善も急務です。しかし、私が部活動の見直しをすべきだと考える理由はそれだけではありません」
きっかけは大坪氏が教員になって間もない頃、早々にやってきた。大学時代にバレーボールをしていたことから、大坪氏は新任校でバレー部の顧問を任された。ちなみに美術部を担当していたのは「国語の女性の教員」だったという。その学校には強豪の女子軟式テニス部があり、社会科のベテラン教員が顧問として熱心に指導していた。
「新人だったこともあり、私はただでさえ授業準備に追われていました。部活動と授業を両立できる教員はすごい、と思っていました」
大坪氏がその社会科教員に「どうやって授業準備の時間を捻出しているのか」と尋ねると、彼は「自分の授業準備の時間は、職員室から教室に向かうまでの間だ」と笑って答えたそうだ。大坪氏は「とてもショックでした」と振り返る。
「教師の本来の仕事とは、子どもたちにとって必要な授業をきちんと行うことのはず。それが部活動によっておろそかにされては本末転倒です。大学では教員を目指す学生にもそう伝えていますが、部活動が負担になって思うような授業ができず、わずか1~2年で教員をリタイアしてしまうケースもあります」
専門知識のない教員が部活動を指導することのデメリットも感じていた。
「教員免許を取得する際、部活動のマネジメントに関する単位はいっさいありません。指導の仕方を学んでいない教員が、授業の片手間に部活動の指導をしているのが現状で、これでは文化やスポーツの発展にも禍根を残すと思います。ひょっとしたら、私がバレー部の顧問だったために、優秀な資質を持つ生徒の可能性を潰してしまったおそれだってある。そう考えると、今も胸が痛みます」
世界一働く日本の教員だが、それでいて授業の準備や研究に割く時間の割合は極端に少ない。
「教員の時間はもっと、授業研究のために充てられるべきです。教員の本分はあくまでも子どものためにいい授業をすること。もし『部活動に注力しなければやりがいを得られない』と感じる教員がいるなら、やりがいを感じられる授業にするにはどうしたらいいかを考えてほしいのです」
大坪氏は「部活動指導は教員の業務かどうか、それ自体がグレー」だと考えている。
主体性のない文化活動では「文化消費者」を育ててしまう
美術部や書道部など、文化部は個人で取り組むものが多い。作業に没頭する生徒を見守るため、顧問の拘束時間が長くなりやすいなどの課題があるという。また、いわゆる「ブラック部活」は運動部で問題になりやすいが、実は文化部にも無関係な話ではない。
「文化部でブラック化しやすいのは、合唱部や吹奏楽部などでしょう。集団で取り組むという点、全国コンクールなどでの成績が見えやすい点など、指導が過熱しやすい運動部との共通点が多くあります」
こうした部活動では教員の統率力が強く、その指示に子どもたちが従う形になっていることが多い。それはもはや、子ども主体の活動とはいえないのではないか。大坪氏が部活動改革を求めるもう1つの理由がここにある。
「文化や芸術は時代とともに変わっていくもので、決まったスタイルがあるわけではありません。でも学校の文化部のやり方には明確なスタイルがあります。それは文化・芸術を教育活動の手段として使ってきたから。中学校が荒れていた時代、子どもを押さえつけて学校に定着させる手段として部活動が使われてきたことと同じです」
大坪氏は、こうした文化部のあり方について、ずっと問題意識を持ってきたという。「文化部」と一口に言うが、そもそも文化・芸術とは何か。日本の社会ではこれまで、あまりその価値や意義が意識されることがなかった。例えば人気の漫画やゲーム、アニメは、文化・芸術でもあるが、大人が巧みにディレクションし、ヒットを狙って生産した「商品」でもある。こうしたコンテンツを主体性なく受け取るだけでは「文化消費者」にすぎず、真に豊かな文化活動とはいえないと大坪氏は危惧する。
「文化部の活動も、子どもを主体にせず教員が統率して行うと、やがて子どもは文化の消費者になってしまうのではないかと心配しています。子ども自身が、自分で作り出していいんだ、発信していいんだと感じられてこその文化活動です。地域移行は、そうした子ども主体の活動にシフトするチャンスになるといいですね。合唱でなくポップスだっていい。今までの型にこだわらなくていい。大切なのは、子どもたちの『やりたい!』という気持ちを受け止められる体制をつくることです」
大坪氏は、文化部の地域移行はとくに慎重に、自治体の経済状況や地域性を見極めて行う必要があると話す。図書館の規模や美術館・博物館の数、さまざまな公演の頻度など。人々が文化・芸術に触れる機会の多寡は、もともと地域差がとても大きい。それを無視して全国一律のやり方で地域移行を進めれば、必ず問題が生じるからだ。
「これまで教員の負担で安上がりに済ませてきたことを地域に移行するのですから、有料化は避けられません。文化庁も大学やNPO法人などの運営団体を募集していますが、政府や自治体の努力だけでは限界があります。地域の経済格差がそのまま教育格差になることを防ぐためには、民間の参入も重要だと思います」
大坪氏が民間企業に期待するのは、地域クラブの運営を社会貢献や慈善事業と捉えず、企業活動の一環として行う姿勢だ。
「例えば楽器メーカーが地域で音楽クラブを運営するのは、事業に直結する活動ですよね。こうした直接的な事業を持たない企業にとっても、地域クラブは人材育成につながり、利益をもたらすものになりうるはずです。企業の姿勢が変われば、地域クラブの費用負担も減らすことができるのではと思います。過去には文化・芸術は教育の手段でしたが、現在は文化・芸術そのものを学ぶ教育も求められるようになりました。お金にならないと思われてきたものが、多様化し、経済活動の中心に台頭してきたのです」
文化を経済と切り離さずに、企業活動の中でどう位置づけるか。大坪氏は「文化部の地域移行を議論するとき、これからの社会での文化のあり方についても考えるべき」だと続けた。
地域に根差し、社会に拠点があるのが文化の本来の姿
「ICTの活用は、文化の地域格差を埋めるための有効な手段の1つだと思います。公演をオンラインでつないだり、展示作品を共有したりと、離れた場所をつなぐことができるのは大きな利点です」
だが大坪氏は、文化の本質は人と人が触れ合うことにあると考える。その点ではICTでできることにも限界があり、同じ場にいて支援する指導者の存在は欠かせないと説明する。
「教員免許を持っていて働いていない人や、文化庁の芸術家の派遣事業に登録しているクリエーターなども、地域クラブ指導者の候補になりうるでしょう。外部から時折来てくれるような巡回型でなく、地域密着型の指導者が望ましいと思います」
学校での決まったスタイルを維持しようとすると、指導者が務まる人の条件は厳しいものになる。だが文化部が運動部と違う点の1つとして、「文化は学校の外にもある」という点が挙げられるだろう。学校の文化部の内容だけが「文化」ではない。過疎地域の伝統芸能や工芸の担い手として、子どもが活躍している例も多くある。こうしたことをヒントにすれば、指導者は地域のお年寄りが最適任になるケースもあると大坪氏は語る。
「地元のお祭りや神楽なども立派な文化活動です。むしろ地域に根差し、社会に拠点があるのが文化の本来の姿ではないでしょうか。例えば吹奏楽部の強豪校から、顧問を務めていた教員が他校に異動になったとしましょう。すると今度は、その教員の異動先が新たな強豪校になる。所属する部が強くなった子どもたちには自信もつきますが、これでは、子どもの主体性を育て、地域を豊かにする部活動だとはいえません」
大坪氏によると文化部の地域移行にはまだ具体的な実例がなく、反対する人に成功事例を見せることが難しい状況だという。だが期待できる取り組みも行われている。
「香川県の高松市では、自治体がさまざまな分野のアーティストを『芸術士』として独自に認定し、NPO法人の協力の下、市内の保育所や幼稚園に派遣するという事業を行っています。1つの施設を1組のアーティストが担当し、長期にわたり定期的に来てくれるので、子どもたちは継続的に指導してもらうことができる。さらにアーティストにとっても収入が安定するというメリットがあり、かなり成功しているケースだといえます。こうした取り組みを、今後は小学校や中学校にも広げていけないかと考えています」
大坪氏は地域移行の最大の障壁を「部活動に心血を注いできた先生方でしょう」と予想する。
「新学習指導要領が施行され、教育内容は濃く、複雑になりました。教員はそれに対応するために自らの本分を自覚し、認識を変えることを迫られています。しかし部活動の顧問は校長の裁量によるところも大きく、学校の中から変えることを困難だと感じる教員も多いでしょう。地域移行実現のスピードは、理念的な難しさもあり、運動部よりゆっくり進むことになると思います」
まずは自治体、教育委員会、教員や保護者が一堂に会して話し合える会議体をつくり、議論を進めていくこと。そして少しずつでも成功事例をつくり、示していくことが第一歩になるという。現場の苦労をおもんぱかりながら、しかし大坪氏は変化の兆しを語る。外国人も増え、多様化が進む社会では、地域の文化を育む重要性がさらに高まるとみているからだ。
「異文化を理解するためにも、子どもたちをはじめ地域社会が豊かな文化を持ち、それに親しむことが大切です。社会はすでに文化・芸術を教育の手段ではなく、それ自体が目的となる価値のあるものだと認識し始めています。そうなれば文化部に求められるものも変わります。社会が先に変化することで、学校の中も変えることができると考えています」
(文:鈴木絢子、注記のない写真:elise/PIXTA)