教頭のピストル音で保護者が開門ダッシュする運動会

小野田正利(おのだ・まさとし)
大阪大学名誉教授
教育学博士
著書に『「迷惑施設」としての学校―近隣トラブル解決の処方箋』(時事通信社)、『イチャモン研究会―学校と保護者のいい関係づくりへ』(ミネルヴァ書房)などがある
(写真は本人提供)

日本の学校では、入学式・卒業式、運動会、マラソン大会、学習発表会、合唱コンクール、そして修学旅行に遠足あるいは野外活動といった「学校行事」がたくさんあります。その意図は、年間計画の適切な時期に行事をちりばめることで学校生活にいろどりと良いリズムを生み出すと同時に、集団への所属意識を高めることにあります。

この数年間は、長引いたコロナ禍の影響で、思い出づくりにつながる修学旅行が中止あるいは短縮を余儀なくされ、精選されたり廃止されたりした行事もありました。同時に、準備にあたる教員の労働時間の長さも問題視されていますし、一部の行事に対する子どもたちの嫌悪感も関係して「見直し」がおこなわれつつあります。

それでも、「わが子が活躍する姿を見たい」という保護者の期待を袖にすることはできないため、運動会や文化祭などは外せないでしょう。しかし「できるだけ良い条件で見たい」という思いが高じると、時としてトラブルが発生し、運営側の教員が悩ましい状態に陥ることがあります。

小学校では運動会の「場所取り」で、保護者席の確保のために熾烈な競争が起きることがあります。校門の開放は午前7時と決まっていても、その前からシートを抱えた人たちの列ができ、ちゃっかりフライングするケースもあって学校に苦情がきます。

私が思わず爆笑した事例では、定刻に開門するために教員が正門や通用門に張りつき、教頭が朝礼台に立って開門のピストル音を鳴らして猛ダッシュが始まるというものでした。この時点から運動会はもう始まっています。

20年ほど前には、一部の家族が昼の休憩時間にバーベキューをしたことが話題になりました。翌年から「火起こし禁止」にすると、カセットコンロを持参する。「火気厳禁」にするとデリバリーを頼む、といういたちごっこ。5年ほど前からは、強い日差しを避けるために家族用テントが乱立する学校もあります。さながらキャンプ場のような光景です。

「ゴールする顔を撮れる位置」にカメラ席の設置を要求

さらに保護者たちの意識は30年ほど前から、行事を「見たい」から「撮りたい」に変わりました。最近はスマートフォンの性能が良くなったので、ビデオ三脚の設置に関する騒動は下火になりましたが、それでもカメラの放列はいたるところで見られます。臨場感と躍動感を余さず記録したいという思いから、時として小競り合いが起きることもあります。

例えば保護者から、「徒競走のゴール付近にカメラ席がなくて後ろ姿しか撮れなかったので、来年は設けてください」という要求が来ると、教員はただでさえケガが発生しやすい運動会での安全な進行とどう調整を図るのかと悩むのです。

徒競走でゴールインするわが子の顔を前から写真に収めたいと学校側に要求する保護者もいる
(画像は massan111 / PIXTA)

一方で、文化祭は体育館で行われることが多いため、あらかじめ保護者席や立ち見スペースが設けられています。「スマホはマナーモードにしてください」「保護者席では頭より高い位置での撮影はご遠慮ください」「立見スペースは譲り合ってご利用ください」から始まり、最近ではプライバシー保護のために「写真・動画のSNS等への掲載はおやめください」と際限がありません。

「自子中心主義」の保護者が招いた、「桃太郎16人」の演劇

「クラス演劇」に力を入れている学校もまだ残っていますが、40年ほど前から、保護者からの「なぜうちの子が端役なの?」という苦情や、「うちの子を主役にして!」という遠慮のない要求が増えてきました。

笑い話ではないのですが、とある保育園のお遊戯会「桃太郎」では桃太郎役がわらわらと16人も出てきて、鬼はたったの2人。あっという間に退治されたといいます。「オズの魔法使い」ではドロシー役が5人、さらに声の吹き替えが5人で、合計10人が主役をしたケースもあります。配役にクレームが多くてこうなった、という悲しい話です。

このエピソードを聞いたのは15年近く前のことでしたが、私が大阪大学に在職していた約5年前にゼミナールの学生に尋ねると、彼らが幼稚園の時にはすでに主役が複数いるのが普通だったと言います。

保護者たちはより、「わが子のことしか考えなくなっている」傾向にあると感じます。学校や園は、子どもの背後にそれぞれの保護者の顔を思い浮かべてしまうため、配役の調整もできず、過剰防衛的に子どものやりたい役を認めざるをえないのです。演劇の台本を持ち帰らせ、「どの役をやりたいか、保護者とよく話し合って決めてきてください」と勧めている学校もあります。

教員が気にしているのは、劇の完成度や子どもたち自身の喜びより、保護者の満足だと言っても過言ではありません。子どもたちの成長をつぶしているのは、保護者の「自子中心主義」かもしれません。

こうした事情から演劇に代わって増えたのが、合奏(楽器演奏)です。その証拠に、昔からあった「学芸会」は、「学習発表会」や「音楽会」という名称に変わりました。しかしここでもまた、楽器の選定と割り当てをめぐって不満が出ることがあります。最近では、特定の子どもが目立つのを避けるため、集団でのダンスやパフォーマンスを取り入れるところも出てきています。

今後はピアノ伴奏者が複数人?オーディションの実態

それでも、小学校や中学校での「合唱コンクール」や「卒業生を送る会の学年合唱」ではどうしてもピアノ伴奏者と指揮者が目立ちます。

指揮者の選定でこじれることは少ないですが、ピアノ伴奏者の選定には教員たちも気を遣っているようです。20年近く前から、立候補者2名以上になった場合には「選考の公平さ」を期すために「オーディション」で選ぶことが増えました。

女子男子を問わずエレクトーンやピアノを習っている生徒が増え、本人がその腕前を見せたいだけでなく、親も晴れ舞台を見たいと願うのでしょう。高校入試で提出する内申書にピアノ伴奏の経験が記載されることもあります。そこで候補者(の保護者)は必死になり、通っているピアノ教室に課題曲の楽譜を持ち込んで特訓をお願いすることもあるそうです。

それゆえ学校側は、慎重に手続きを決めて、できるだけ客観的な審査を心がけるよう配慮するようになりました。昼休みの音楽室で音楽の担当教員を含めた数人で実施するのですが、甲乙つけがたい場合もどうにか判定せざるをえません。

過去に、とある音楽の先生が審査の途中から参加したため判定に加わらなかったケースがありました。すると、保護者から判定結果に不満の声が上がったのです。落選したわが子の落胆ぶりを心配して「ひいきしているのではないか」「音楽専科の先生を加えて審査をやり直してほしい」と言い出して学校側とトラブルになり、私が相談に乗った事例もあります。クレーム対策のために審査演奏をビデオ録画する学校も出てきました。

こうなると、主役が複数いる演劇のように、歌の1番はAさん、2番はBさんというように、ピアノ伴奏者が2名以上で瞬時にリレーしたり、もしくは2名が横に並んで連弾で伴奏するような未来も、ありえない話ではないかもしれません。

(注記のない写真:seAsOw / PIXTA)