わが子の活躍が見たい「自子中心主義」の保護者が招く「桃太郎役16人」の惨状 壮絶な運動会の場所取り、合唱祭の伴奏者選抜
「ゴールする顔を撮れる位置」にカメラ席の設置を要求
さらに保護者たちの意識は30年ほど前から、行事を「見たい」から「撮りたい」に変わりました。最近はスマートフォンの性能が良くなったので、ビデオ三脚の設置に関する騒動は下火になりましたが、それでもカメラの放列はいたるところで見られます。臨場感と躍動感を余さず記録したいという思いから、時として小競り合いが起きることもあります。
例えば保護者から、「徒競走のゴール付近にカメラ席がなくて後ろ姿しか撮れなかったので、来年は設けてください」という要求が来ると、教員はただでさえケガが発生しやすい運動会での安全な進行とどう調整を図るのかと悩むのです。

(画像は massan111 / PIXTA)
一方で、文化祭は体育館で行われることが多いため、あらかじめ保護者席や立ち見スペースが設けられています。「スマホはマナーモードにしてください」「保護者席では頭より高い位置での撮影はご遠慮ください」「立見スペースは譲り合ってご利用ください」から始まり、最近ではプライバシー保護のために「写真・動画のSNS等への掲載はおやめください」と際限がありません。
「自子中心主義」の保護者が招いた、「桃太郎16人」の演劇
「クラス演劇」に力を入れている学校もまだ残っていますが、40年ほど前から、保護者からの「なぜうちの子が端役なの?」という苦情や、「うちの子を主役にして!」という遠慮のない要求が増えてきました。
笑い話ではないのですが、とある保育園のお遊戯会「桃太郎」では桃太郎役がわらわらと16人も出てきて、鬼はたったの2人。あっという間に退治されたといいます。「オズの魔法使い」ではドロシー役が5人、さらに声の吹き替えが5人で、合計10人が主役をしたケースもあります。配役にクレームが多くてこうなった、という悲しい話です。
このエピソードを聞いたのは15年近く前のことでしたが、私が大阪大学に在職していた約5年前にゼミナールの学生に尋ねると、彼らが幼稚園の時にはすでに主役が複数いるのが普通だったと言います。
保護者たちはより、「わが子のことしか考えなくなっている」傾向にあると感じます。学校や園は、子どもの背後にそれぞれの保護者の顔を思い浮かべてしまうため、配役の調整もできず、過剰防衛的に子どものやりたい役を認めざるをえないのです。演劇の台本を持ち帰らせ、「どの役をやりたいか、保護者とよく話し合って決めてきてください」と勧めている学校もあります。
教員が気にしているのは、劇の完成度や子どもたち自身の喜びより、保護者の満足だと言っても過言ではありません。子どもたちの成長をつぶしているのは、保護者の「自子中心主義」かもしれません。