教員を悩ませる保護者対応、背景に「3つの要因」
文部科学省の2022年度調査によれば、公立学校では教職員の精神疾患による病気休職者数は過去最多の6539人を記録した。なぜ、心を病んでしまうほど追い詰められる教職員が増えているのか。
公立小学校で15年間の教員経験があり、三重大学教育学部附属小学校の校長を3年間務めた同大教授の松浦直己氏は、背景の1つに保護者対応の難しさを挙げる。
「学校の先生は、利害関係者が多すぎます。児童生徒をはじめ、保護者、同僚、管理職、地域の人など、これほどの数のステークホルダーと毎日関わる仕事も珍しいですよね。中には不当な要求や過剰な要求を繰り返し、モンスター化した保護者もいます。クレーマーに対応する業種はほかにもありますが、大きな違いは『出禁』という選択肢がないこと。学校の先生は、子どもが間に存在するため、保護者との関係を断ち切ることが不可能なのです」
さまざまな学校から保護者対応の相談を受ける松浦氏によれば、学校や教員が悩む保護者対応の背景や要因は、大きく分けて3つあると話す。
「1つ目は、親子のパーソナリティの境界が曖昧なケース。子どもを大事にしすぎるあまり、子どものしんどさを自分のしんどさとして感じてしまう保護者がいます。例えば、子ども同士のトラブルがあった場合、冷静に判断して子どもの背中を押すことが大切です。しかし、子どもを別人格と見ることができない親はそうした対応ができず、『このしんどさを何とかしろ!』と学校にトラブルの解決を丸投げしてしまいます」
2つ目の背景としては、「世の中があまりに複雑になってしまったこと」を松浦氏は挙げる。
「例えば、夜中に塾の友達とネットゲームでギャンブルをして負けた、というトラブルがあったとします。現在の保護者が子どもの頃にはなかったタイプのトラブルなので解決の仕方がわからず、学校や先生に解決を要求してしまうのです。しかも、学校でのトラブルではないにもかかわらず、一方的に指導や問題解決を学校に要求してくる保護者が一定数いらっしゃいます」
そして3つ目は、「いじめた側の責任を問わない」という日本社会のあり方を指摘する。
「いじめの重大事態が発生すると、日本では社会もメディアも学校や学校設置者である教育委員会の責任を追及しがち。本来ならいじめの加害者の責任を問うべきです。もちろん、先生や学校ができることを見逃していたのであれば、率直に反省や改善をすべきですが、そもそも子どもの養育の第一義的責任者は保護者です。保護者の中には、家庭で教えるべきことや解決すべきことまで先生や学校に丸投げしてしまう方がいらっしゃいます。とくに若い先生には保護者対応のスキルも裁量権もありませんから、困難な場面に発展すると、精神疾患や休職といった状況に追い込まれやすいのです」
「自分は被害者である」という認知の歪み
保護者が教員に相談をすることや疑問や思いを伝えること自体は、当然のこと。しかし、教員が対応に苦慮する保護者は、次のような傾向が見られるという。
「心理学的な観点から言うと、共通するのは被害者意識という認知の歪みがあること。しかも、学校に『解決しろ』と言いながらも『被害者であること』をやめたくないケースが存在します。99%の保護者は通常の対応で大丈夫なのですが、『自分は被害者である』という認知の歪みが強い保護者の場合、もっと合理的・科学的なスキルで対応する必要があります」
とくに次のような傾向が見られる保護者の場合、「まずは相手に寄り添って共感する」という対応での解決は難しいという。
(1)自分が被害者であることを強く訴える
(2)「自分は純粋無垢で相手は悪」という認識で話す
(3)教員や相手に対する共感に欠ける
(4)被害経験を反芻し、復讐心を大きくしていく
「被害者意識が強い保護者は、被害経験を滔々(とうとう)と述べ、学校を動かして相手に復讐しようとします。多くの先生は『何とかしてあげなければ』と共感的になりますが、その被害経験が正確であるとは限らず、実はむしろ加害的であったという場合もあります。『自分は純粋無垢で相手は悪』と思い込みがちで『うちの子はまったく悪くない』と主張したり、共感性に欠け、『こちらがこんなに苦しんでいるのだから相手(学校側も含む)が苦しむのは当然だ』と攻撃したり。被害経験を反芻する中で復讐心が大きくなっていくのも特徴です」
そのため、被害者意識が強い保護者に対してはじっくり時間をかけるのではなく、初動が重要だと松浦氏は語る。
「寄り添って対応に時間をかければかけるほど、その間に被害経験を反芻して『相手をもっと痛めつけたい』という欲求が増大し、モンスター化していきます。しかし、こうした保護者も最初からモンスターなのではありません。ケースによっては、問題が起きたときに素早く保護者の特性をアセスメントし、問題解決よりも暴走化させないことを目標にすることが重要になります」
保護者をモンスター化させない「3つの枠組み」
保護者の暴走化を防ぐためには、「学校はこの枠組みの範囲でしか対応しません」とはっきり示す覚悟が必要だという。
「学校として枠組みを決め、教員1人ひとりは、裁量権を持つ校長の指示命令系統の下で対応する。すべての教員が枠組みを共有し、学校の統一見解として淡々と常識的対応策を保護者に伝えていくのです。それが、保護者をモンスター化させないポイントです」
では、枠組みとは具体的にどんなものなのか。松浦氏は小学校の校長に就任した際、以下の3つを実行したという。
(1)教育的に正しいかどうかを、保護者対応の最優先基準とする
(2)家庭訪問は原則禁止
(3)電話対応は30分以内
まず重要なのが、校長の対応だ。前述のように、現場の教員は子どもという存在が間に入るため、保護者との関係を断つことができない。そのため、不当な要求であっても、保護者の思いに応えなければと葛藤してしまう。
だからこそ、保護者からの不当な要求があった際には、「校長が『その対応は教育的に正しくありません』と保護者に言うべき。校長は教員のモデルになり、『できない』と伝える練習をすべきです」と、松浦氏は強調する。
また、いじめについては、保護者に協力を求めた。
「『いじめをしない』『いじめは止める』『止められなければ先生か親に言う』ということを親からお子さんに年間10回は話してくださいとお願いし、いじめが起きた場合は加害者の責任を問うこともお伝えしました。なぜいじめが卑怯でダメなのかを保護者が時間を取って真剣に話すことは、いじめをなくすうえで重要なことだと考えています」
そのほか、家庭訪問を原則禁止とした。松浦氏によれば、家庭訪問は相手の檻に自分から入っていくようなものであり、何時間も話を聞かされたり怒鳴られたりして、なかなか帰してもらえないケースがあるという。
「認知の歪みがある保護者に対してうまく対処するスキルを持たない先生に、対応を丸投げして家庭訪問をさせてはいけません。そこで、先生方には『家庭訪問は禁止されているので、必要なら校長室に来てください』と保護者に言うよう伝えました。これはすごく先生方に喜ばれましたが、校長として当然の対応です」
松浦氏は、電話対応においても、教員に「30分以上を超える電話対応は校長から禁止されています」と保護者に言うよう伝えていたという。
「電話対応でも面談でも、30分を超えると同じ話の繰り返しになります。被害者意識が強い人や過度に怒っている人は、長時間になればなるほど怒りの強度が増していきます。そのため30分という制限を設けましたが、なかなかそれを保護者に言えない先生が多いので、伝える練習をかなりさせましたね」
「保護者の不当な要求」には国が制限をかけるべき
モンスターペアレントの問題は1990年代頃から社会問題化したが、今もなお教員が苦しんでいる状況が続く。とくに経験の浅い若手教員の負担は大きく、保護者対応が原因で精神を病んでしまう教員も多い中、「学校教育は国家の基盤。保護者の不当な要求には国が制限をかけるべきではないか」と松浦氏は指摘する。
「事実上、長年にわたって国はこの問題を放置してきたと言えます。法的根拠のない現状では、学校は毅然と保護者に対応することはできません。例えば、少年院法では、『少年院の長は、必要があると認めるときは、在院者の保護者に対し、その在院者の監護に関する責任を自覚させ、その矯正教育の実効を上げるため、指導、助言その他の適当な措置を執ることができる』とあり、少年院長は保護者を指導できるようになりました。極端なケースに限られますが、養育責任を十分に果たさず問題を学校に丸投げしたり、学校に不当な要求をしたりする保護者に毅然と対応するためには、学校教育法にも『学校長は、必要があると認めるときは、保護者を指導できる』などの法的根拠が必要ではないでしょうか」
新年度、教員は新たな児童生徒や保護者との出会いがある。新たに管理職に就く人もいるだろう。現場で奮闘する人へ、松浦氏はこうエールを送る。
「とくに若い先生方にお伝えしたいことがあります。世の中には教育の美談があふれていますが、それと比較して『できていない自分はダメだ』と思わないでください。教育は限界だらけですから、一生懸命やっても成功より失敗のほうが多いもの。だからこそ、限界をしっかり知っておく必要があります。枠組みをつくることは、いわば限界を知ること。そこから何をすべきかが見えてくるはずです。先進国では保護者対応の大変さから先生の成り手が少ないことが共通の課題になっていますが、日本は長時間勤務の問題も相まって、とくに由々しき事態となっています。将来有望な若い先生たちを守るためにも、保護者対応を変えていきましょう」
教育現場を疲弊させる保護者対応の問題。教員を守るためにも、また、子どもたちの未来のためにも、学校の「枠組みづくり」を実践する価値はありそうだ。
(文:吉田渓、注記のない写真:beauty-box/PIXTA)