「共有不足」を指摘し、横並びの対応を求める保護者が増えた

「子どもがケンカしたのは、先生の学級経営が下手だからでは?」といった教員の心を踏みにじるようなクレーム、「うちの子のために選手決めをやり直せ」といったトンチンカンな要求、給食費の不払いや授業参観中の私語などのモラルのない言動。このような保護者トラブルについて、齋藤浩氏は「5年前、10年前にはあり得なかった理不尽なものが増えてきている」と話す。

とくに近年は、担任の対応が他の学年や学級と違うと、「先生たちの共有不足では?」と指摘する保護者が多いという。

「保護者の間では、学校でルール化されていないことでも横並びの対応を求める意識が強くなっていると感じます。授業での教え方や掲示物の内容など細かな違いについて、『それは先生個人の判断ですか? ほかの先生方とも共有していることですか?』と教員を問い詰め、わずかな対応の違いも許さない風潮があります」

なぜ、それほどまでに保護者が学校に向ける眼差しが厳しくなっているのだろうか。

「昨今は社会全体が不寛容になり、『言ったもの勝ち』の空気があります。それがそのまま学校にも持ち込まれているのではないでしょうか。多様な価値観が受け入れられる世の中になりましたが、それは行き過ぎると『自分の出した結論が正解なので、こちらが嫌がることは何とかしてほしい』という自己中心的な要求の正当化につながります。そこには学級・学校全体でのバランスやほかの子どもの事情を考える視点はありません」

保護者を2タイプに分類、クレーム対応の着地点を見極める

齋藤浩(さいとう・ひろし)
神奈川県内公立小学校、児童指導専任教諭。
日本獣医生命科学大学非常勤講師。
著書に、『チームで解決!理不尽な保護者トラブル対応術』『ひとりで解決!理不尽な保護者トラブル対応術』(学事出版)等がある。2月末に『追いつめられる教師たち』(草思社)を刊行
(写真は本人提供)

理不尽なクレームや要求には、「基本的にはチームで対応した方がよい」と齋藤氏は言う。

「理想を言えば、児童指導主任が学校での決まりや正論を述べる“憎まれ役”を引き受け、担任に“おいしいところ”をあげるのです。担任が『主任はこう言っていますが、私のクラスでは折衷案としてこういう対応ができます』と保護者に寄り添う形で話を進めると、その後の担任と保護者のやり取りが円滑になります。学校のシステムや人員配置、予算などの理由で対応が限られるときは、管理職がチームに加わって説明すると理解を得られやすいです」

チームでの対応は、保護者との間の「言った」「言わない」論争を防ぐ上でも有効だという。保護者から「今から来校するので話がしたい」と電話がきた場合は、「教員同士で対応の方針を相談して役割分担をしてから話し合いに臨めるように、電話を受けてから45分後以降にアポを設定するとよい」と齋藤氏はアドバイスする。

ただ、実際は、電話のやり取りだけで完結するなど、担任が1人で対応するケースも少なくない。そこで慌てずに対応できるようにするには、保護者のタイプに応じて「ここに落とし込めば納得してもらいやすい」という“ウィークポイント”を知っておくことが重要だという。

齋藤氏はクレームを言ってくる保護者を、精神病理学者の忠井俊明氏の分析に基づいて、「何でも悪く受け取るシゾイド型クレーマー」と「教師をギャフンと言わせたいナルシスティック型クレーマー」の2つに大別している。

「シゾイド型クレーマーはネガティブな思い込みに基づいた自己主張が延々と続くことが多く、心の病気を抱えている可能性もあります。担任が1人で対応すると疲弊しがちなので、複数の教職員で対応するとよいでしょう」

このタイプと話し合う際は、前担任も同席して『以前はこの対応でうまくいったので今回もこの対応でいきます』と伝えたり、子どもが活躍できている教科の専科教員が同席してその子の長所や成長の様子を伝えたりすることで、ネガティブな思い込みを払拭できることがあるという。

「一方、ナルシスティック型クレーマーは、教員を言い負かすことで自分の存在を証明したいという思いが強いため、自分が負ける可能性のある議論に挑むことはありません。話し合う際は、論理的な説明に長けた教職員が対応すると解決しやすくなります」

ただし、保護者の性格は上記のタイプに簡単に二分できるものではなく、双方の気質を持つ人も少なくないとのこと。その保護者からこれまでに寄せられた相談やクレームを事前に調べ、着地点を決めてからチームで話し合いに臨み、対応後は反省会を開いて今後の対策を練ることが重要だという。

「非がなければ謝らない」、毅然とした態度が再発防止になる

学校としての保護者対応のスタンスは、「組織」や「体制」のあり方よりも、「人」の考え方に左右されやすいと齋藤氏は指摘する。

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「クレームが入った場合、管理職や児童指導担当が『触らぬ神に祟りなしだから、とりあえず謝っておきましょう』という考えだと、担任に非がなくても謝らざるを得ません。その場合、担任の自己肯定感は下がり、保護者側も『先生は何でも聞き入れるから、不満は言わないと損』と考えて、いつかまたクレームを入れてくる可能性が高まります」

自らに非がなくても謝ることが常態化すると、そのストレスから心の病を発症して休職に追い込まれる教員も少なくない。さらに、その様子を見聞きした教員志望の学生たちが教職を敬遠するようになれば、教員の確保も難しくなるのではと齋藤氏は懸念する。

「教員側に非がある場合は、こちらが至らなかった点を具体的に伝えて反省する必要がありますが、教員側が正しければ決して謝らないという毅然とした態度を取ってほしいです。このような保護者対応について、大学の教職課程や教員研修で学べる機会を設けることも必要なはずです」

齋藤氏は保護者から「訴えますよ」と言われたこともあるそうだ。こうした脅し文句にはどのように対応しているのだろうか。

「私は、自分に非がないのであれば謝罪はしたくないので、『訴える』と言われたら『どうぞ』と返答してきました。それでも実際に訴えられたことはありません。『ほかのお母さんたちもこう言っていますよ』と言う保護者には、『具体的な名前を5人以上挙げてみてくれますか』とお願いしてみたら、相手が言葉に詰まって会話が終わりました。『SNSで拡散しますよ』と言われることもありますが、SNS内のことは教員自身が知る由もありませんし、コントロールできるものでもないため、この一言のために対応を変える必要はないと思います」

齋藤氏は若い頃、授業参観中に私語を続けていた保護者を「子どもの『教育を受ける権利』を奪うことになる」と教室から退出させたこともあるという。

「一度毅然とした態度を取れば、『授業参観中に私語をすると怒られるらしい』とSNSでも広まるでしょうから、再び同じケースが起こることはまずありません。保護者同士はSNSで教員の噂を話すことも多いので、それをある意味、利用しようというわけです。こちらはあくまでも子どもの権利を守るために対応しただけなので、注意した保護者とその後トラブルに発展したこともありません」

「保護者」vs「教員」の対立構図ではなく、間に「子ども」がいる

保護者との間にトラブルが生じると、「保護者」対「教員」という対立の構図で捉えがちだ。しかし、齋藤氏はこの構図こそ見直す必要があると言う。

「保護者と教員の間には『子ども』の存在があります。共に子どもの成長を願っているはずなのに、すれ違っているだけではないでしょうか。クレームは親がわが子を溺愛している証拠でもあるので、『お子さんの未来をよりよくしていくために、こんな方法も考えられませんか?』と、子どもを主体にした話をすると理解を得やすくなります。クレームが入った時点では、保護者が上、教員が下という関係になりますが、子どもを中心に置けば同じ土俵で話し合えるのです」

教員同士での「共有不足」を指摘された場合など、「担任だけでは対応しきれないことに関しては『持ち帰って検討します』としてもよい」と齋藤氏。ただ、その場合も、いかにして保護者に納得してもらうかより、子どもにとって重要なことを考える視点が欠かせないと話す。

「子どもの未来を見据えれば、全クラスの掲示物の内容が揃っているかどうかよりも、もっと本質的で大切なことがあるはずです。そこを話題の中心にして、『こうした部分でお子さんはとても頑張っているんです』と子どもをほめると、多くの保護者にとってクレームはもうどうでもよくなり、話題が変わることもあります。子どもがよりよく成長していけば、保護者と教員の関係も自ずと良好になるはずですから、『共に子どもの未来を見据えて最善の方法を考えましょう』という原点に立ち返ることが、トラブル解決の近道になるように思います」

(文:安永美穂、注記のない写真: foly / PIXTA)