よくやった、1学期サバイバー!
私が初めて教職に就き、夏休み初日を迎えた時、「1学期を生き延びた!」と心から思いました。同じ言葉をそれから20年以上経ち、教頭になって初めての夏休み初日にも呟きました。
さて、初めて教職についた、初めて学級担任をもった若い先生方、4月からの3カ月半が永遠のように感じたことはありませんでしたか。慣れなくて右往左往、思い通りにならなくて悔しい、自分なりに工夫してやったことについて上司や先輩から注意される。子どもたちや保護者から、厳しいことを言われる、複数の先輩教員からそれぞれ違う助言を受け、どうしたらいいかわからなくなる、日曜日の夕方になるとブルーな気分になる……これらは私自身が初任者の時に体験したことですが、皆さんはいかがでしょう。
楽しい思いはすぐに忘れますが、辛いことはなかなか忘れられないから、いまだに若い先生方を見ると「困ってない?つらいこと、ない?」とおせっかいな気持ちになります。ともあれ、夏休みまでの怒涛の日々をサバイブした皆さんに、「よく頑張ったね!」と心からの労いを伝えます。そして、この夏休みに心も身体も元気になって、初秋からも元気で進めるよう、おせっかいなわたしから言葉をかけたいのです。
まずは体と心をしっかり休める
ワーク・ライフバランスの代表取締役社長の小室淑恵氏は著書『労働時間革命 残業削減で業績向上!その仕組みがわかる』の中で、慶応義塾大学の島津明人教授の研究結果を紹介しています。それは、「人間の脳が集中力を発揮できるのは目覚めてから13時間以内で、集中力の切れた脳は酒気帯びと同程度、さらに15時間を過ぎた脳は酒酔い運転と同じくらいの集中力しか保てない」というものです。
「朝、何時に起きていますか。そして何時まで仕事していますか」と尋ねると多くの学校の先生たちは13時間を大きく超えて、まだ職員室で採点業務や教材作成をしている実態があります。

青森県教育改革有識者会議副議長、文部科学省CSマイスター、元北海道公立中学校長
校長在任中に、シンプルに本質を問う学校改善に取り組む。前例踏襲や同調圧力を嫌い、「ブルドーザーマキコ」というニックネームで呼ばれる。雑誌、新聞等に執筆活動、全国で講演活動や、地方教育行政へアドバイザーとしても活動を行っている。著書に『「子どもが主語」の学校へようこそ!』(教育開発研究所)。北海道小樽市在住
(写真:本人提供)
私は中学校勤務でしたので、部活動を終えた18時頃からパソコンに向かう先生方の姿を日常的にみていました。その時点で勤務時間終了から1時間15分経過しているわけです。酒気帯び状態で自分のテストやレポートを採点されるのは子どもの立場でも困る。さらには、集中に欠ける状態で、車を運転して自宅に帰るなんて恐ろしいこと。
教育研究家の妹尾昌俊氏は、公立小学校の教員の約4割が不眠症傾向にあるということに論文※を示して警鐘を鳴らしています。
学校の働き方改革という言葉は世間でよく知られるようになりましたが、いまだに一人ひとりの先生が両手に持ちきれない仕事を持ち、背中に背負い、どれも消化しきれずに翌日に持ち越している状況があります。
まずは、夏休みは睡眠をしっかり取り、心と体を休めましょう。ショートスリーパーだと自負している人でも、短い睡眠で身体の疲れは取れても、メンタルの疲労の回復には至らないようです。メンタルが疲れていると、イライラして、つい言い過ぎてしまう、そのことについてくよくよして眠れない、翌日もすっきりできず……という悪循環、誰もが経験あるのではないでしょうか。
疲れを侮るべからず。そして自分を過信しないこと。私は長い教員生活の中で、20代、30代、40代、50代と、一緒に働く仲間を突然の病気や事故で失った経験があります。ご家族の悲しみを思います。
※「公立小学校教員の不眠症に関する業務時間分析 ー公立小学校・中学校等教員勤務実態調査よりー」 堀大介 青木栄一 神林寿幸 他
「コンフォートゾーン」を抜けて越境する
出口治明氏は人間を成長させるものは「旅、本、人」と述べています。教員として働いていると、かなり気をつけていないと、この3つは欠乏していきます。読書する時間がない、土日も部活動などで旅なんて行けない、学校以外の人と会ったりお喋りしたりする機会がない……そうやって、一生懸命働いて、働いて「学校の先生以外の自分」がやせ細っていくのは残念。
職場に行けば、よくも悪くもあなたのことを知っている人がいて、気の置けない仲間もいるかもしれませんが、そういったコンフォートゾーンの外に出ていって、外の人や社会と出会うのも大切なことです。
例えば学校の先生って、校区にお祭りがあれば、見回りに夜出てくる。それが当たり前だと思っていたし、地域の中で生徒と出会う楽しさもあるでしょう。だけど、あなたが校区に住んでいるのでなければ、自分の住んでいる地域の行事や祭りに「地域住民」として関わるほうが得るものは大きいのではないでしょうか。教員が「〇〇学校の先生」としてだけではなく「居住する町の住民」としての居場所や活動の場を持っていたら、世の中はもっと豊かになると思うのです。
学校の先生は大変な仕事だし、忙しいことを世の中の人が理解してくれている。私はそれを免罪符にしてしまい、地域や家族をないがしろにするところがあったと、自分を振り返って後悔しました。
例えば、いつもの駅で降りないで終点まで行ってみて町を歩く、そんなことでも発見はあるはず。いつものルーティーンを外す小さな旅や、知らない人が集まる勉強家やイベントに参加してみるとか、読んだことのない本や普段は観ないジャンルの映画を観るなどの小さな越境をしてみることを勧めます。
「今までこうだった」を疑おう
「ゆでガエル」という言葉があります。変化のスピードが遅い時には、それに慣れすぎて危機認識が遅れる、ということのたとえです。社会の変化のスピードは速い。ChatGPTが登場したのはほんの2年前。当時生成AIに懐疑的だった人たちも今は使いこなしています。
ところが、教育の大きな変わり目を迎えている、次期学習指導要領についての議論も活発に行われている、どうやら今以上に大きな変化が起きそうだ……って、職場ではそんな話をしていますか。厳しい言い方をするけど、いまだに10年前と同じことを見直すこともなく続けていないでしょうか。
新しい取り組みを紹介されても、「自分がファーストペンギンになるのは嫌だな」とか「ほかの学校はどうやっているか様子を見てから」そんな会話が学校でなされていないですか。若い先生方にはそんな時間の流れを踏襲してほしくないのです。
私は、水族館に行くと「チンアナゴ」の水槽の前でじーっと見入ってしまうのです。砂の中から顔だけ出しているのもいれば、うんと長く砂から体を出しているものもいる。背伸びしているチンアナゴは遠くが見えるし、自分と同じように背伸びしている仲間をみつけることができるはず。
従順にならず、子どもたちにも従順を求めず、人生100年時代どう生きるか、そんなことを考える、遠くも近くも見つめられる先生になれるよ、あなたも。
(注記のない写真: zak / PIXTA)