保護者対応についての実際の負担感
小学校に勤務する女性教諭が、こんなことを言っていた。
「子どもたちと過ごす仕事そのものは楽しいんですが、保護者からのクレームがときに大きな心の負担で……。保護者の心無い言葉が思い出されて、土日もゆっくり休んだ気になれませんでした」
保護者からの不当なクレームは、教員の長時間労働を常態化させ、教職を敬遠させる一因でもある。文科省によれば、教員の平均残業時間は小学校で月41時間、中学校で月58時間と推計されている(文科省「教員勤務実態調査(令和4年度)【速報値】」)。
もちろんこの中には、持ち帰りの残業時間は含まれていないし、保護者からの理不尽な言動に心を痛めるなどして犠牲になった休日の時間など、カウントされようはずもない。
保護者対応に割いた労力が、結果として学校や教員の資質向上をもたらすものなら、受け入れられる教員も多いのだろう。しかし、保護者が担任に寄せる連絡の中には、苦情めいたものや理不尽なものもある。
これは運動会での1コマだが、私の同僚が徒競走のゴール地点で着順を確認していたところ、背後から保護者の怒声が響いたという。
「おい! そこ、どけよ。お前がそんな所に立ってるから、ウチの子が見えないじゃねえか!」
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神奈川県内公立小学校、児童指導専任教諭、佛教大学研究員、日本獣医生命科学大学非常勤講師を歴任。『保護者クレーム劇的解決「話術」』(中央法規)、『学校に蔓延る奇妙なしきたり』(草思社)など著書多数。Instagram(hiroshi_saito4649)にて、保護者対応をはじめ教育関連の情報も投稿
(写真は本人提供)
当然、同僚には着順を付ける任務があるため、ゴール地点からは動けない。競技が終わるまで、「再び罵声を浴びせられないだろうか」と生きた心地がしなかったそうだ。
だが、話はこれで終わらない。競技が終わると、保護者は「なぜあそこに立つ必要があったんだ?」と同僚に詰め寄り、ものすごい形相で迫って来た。怒りを収めてもらうのに、ものすごく時間がかかったそうだ。
ほかにも、次のような苦情を受けたことがある。
「先生。どうしてウチの子が合唱コンクールのピアノ伴奏の選考からもれたんですか?」
「先生。ウチの子ばかり注意しないでください。これでは、とても平等に子どもを見ているとは言えません」
正直に答えてよいのであれば、いずれも回答は簡単だ。ピアノ伴奏者になれなかったのは、他にもっと上手な子がいたから。その子ばかりを注意するのは、注意されるようなことを何度もするからだ。だが、真実をストレートに伝えることは難しく、言葉を慎重に選んで対応しなくてはならない。そこまで気を使っても、しまいには「先生のことは信用できません」と言われることもある。
このような現状で、「無用な保護者対応に割く労力を削りたい」というのは多くの教員の本音だ。授業準備やプリントのコメント作成など、もっと子どもたちに関わることに労力を割きたい。
だが実際の日常は、保護者対応に多くの時間を取られている。本来教員にとって最優先ではない業務に、真っ先に取り組まなければならないという事実が、教員の職務に対するモチベーションを下げているのだ。
どのように民間事業者が保護者対応に介入するのか?
文科省は、学校に対する支援体制として、『民間事業者に委託し、都道府県・市区町村において、学校だけでは解決が難しい事案の解決のため、学校や保護者から直接相談を受け付ける体制』を構築するとしている。
具体的な事業は、『教育委員会・学校と連携し、保護者等から学校に対する電話やチャット等による連絡の一義的な対応を委託して整理・分類すること等を通じ、学校では対応困難な案件を行政によって早期対応する』となっている。
ただ、民間業者と言っても、誰でも構わずメンバーに入れるということではないらしい。文科省が『経験豊かな学校管理職OB等の活用も含め、さまざまな専門家と連携した行政による支援が必要』と指摘していることから、学校の事情に詳しい人材で構成されるであろうことがわかる。
つまりこれは、学校とは別組織の中に、学校や学校教育に詳しい人材が存在し、教育委員会や専門家チーム(弁護士、カウンセラー、医師など)、学校等と連携しながら、保護者の対応にあたる民間チームを組織しようという構想なのだ。
これまで、民間業者が学校教育に介入してくることはなかった。「学校に関することはすべて学校内で解決しよう」という考えが主流だったからだ。現場から外部協力を期待する声があがっても、「スクールロイヤーが各校に配置されるといいね」「スクールカウンセラーが保護者の不満の受け皿になってくれたら助かる」などと、あくまでも“学校の中に誰かが入ってくる”という意識があった。
それが今回、民間事業者に委託するという提案がされたのである。“ついに一線を越えた”という感覚だ。現状何とも言えない段階だが、「具体的にどんな形になるのだろうか?」と、期待と不安が入り混じった気持ちであることは間違いない。
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現場教員の受け止め方は「期待派」と「不安派」に分かれる
一方現場はというと、まだ各市町村で『学校における保護者等への対応の高度化事業』が始まっていないので、本事業に対する関心は薄い。だが、現場教員には、保護者対応を円滑に進めたいという切実な願いがある。精神的負担が減るうえ、授業準備など本来の業務に時間を割けるようになるのであれば、願ったり叶ったりだろう。
そもそも教員側は、保護者との連携も、本来は子どもたちのために向かうべきものだと心得ている。そのため、「保護者と話し合う機会を外部に委託してしまってよいのか?」「話し合いこそ保護者と信頼関係を築くチャンスなのでは?」と考える教員も少なくない。私としても、すべての連携を一律に民間業者に丸投げすることは避けたいと考えている。
この点、現場の小学校教員たちに、本事業への感想を聞いてみた。すると、下のように期待と不安に分かれる結果が得られた。
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神奈川県内の小学校に勤務し、私とともに保護者対応の研究をしている大田啓嗣総括教諭は、教員の評価が分かれる理由をこう指摘する。
「教員の業務は、授業準備のほかにも、子どもたちのノートや作品の評価や、テスト採点、定例の職員会議や研修など、数多くあります。さらに、学校運営に係わる業務(校務分掌)や、学校内外に提出する書類も、山のように抱えています。その結果、担任するクラスの仕事は一番後回しになってしまうケースが多い。教員は皆、『もっと子どものために仕事をしたい』と切に願っています。だからこそ、保護者のクレーム対応という、時間も気力も割く業務を外部機関が請け負ってくれることには賛成です。
一方で、外部機関と連携すること自体が、報告・連絡・調整などの業務増加につながっている実情も否めません。本事業はまだ始まっていないため、あくまで推測の域を出ませんが、外部との連携で予期せぬ仕事が舞い込む可能もあります。また、第三者が間に入ることで、保護者との関係がこじれてしまうという懸念もあるでしょう」
保護者対応を民間業者に委託することの是非は、まだわからない。結果として教員の仕事量が増えてしまうかもしれないし、保護者との関係がさらにこじれてしまうかもしれない。ただ、これまですべて学校任せだったことは事実だ。頼みの教育委員会は「学校ごとに頑張ってください」というスタンスで、本気で学校に介入する余裕もなかったと思われる。それがついに、思い切って民間の手を借りようと舵が切られたのだ。
もちろん、人材を確保できるのかという懸念はある。元校長や元教員らを活用するとして、彼らにいったい何ができるのか。現場で有効な解決策を示せなかった人物が、民間の立場になって突然解決力を身につけるとは思えない。絵に描いた餅になる可能性もあるだろう。
それでも、私は一歩踏み出したことを評価したい。本事業からは、保護者対応を学校だけの問題にせず、民間の力を借りてでも解決しようという意思がうかがえる。仮に、外部の力がうまく機能しなかったとしても、そのこと自体がまた大きな問題提起となるだろう。私は、それはそれで良いと考える。現状を改善しようとする姿勢に期待するとともに、この問題が社会全体で広く考えられるようになることを願ってやまない。
(注記のない写真:webweb / PIXTA)