疲弊した学校の現状に危機感を抱いた市長

今年4月に設置された天理市の子育て応援・相談センター「ほっとステーション」は、市長の危機感によって生まれた。

並河健(なみかわ・けん)
天理市長
2003年東京大学法学部卒業、外務省入省。2011年に退職して広告代理店で戦略プランナーに携わり、2013年天理市長当選。現在3期目。天理市社会福祉協議会会長、天理市社会福祉事業団理事長、山辺・県北西部広域環境衛生組合管理者

現在、全国で精神疾患によって休職に追い込まれる教職員は増加傾向にある。13の公立校(小学校9校、中学校4校)がある天理市においても、昨年の1年間だけで6名が退職、8名が休職し、校長・教頭など管理職も確保できない状況にあった。

天理市長の並河健氏は、地域連携など改革の提案を教育現場に伝えていたが、「余裕がない」「疲弊している」といった声しか戻ってこない。幼稚園や保育所も、同様の状況にあった。並河氏は「行政の立場からあまり首を突っ込むわけにはいかないと思っていたが、もう看過できない」と感じたという。

「管理職を確保できない背景を探ってみると、教職員があえて昇進試験を受けないからだということがわかりました。荷が重い管理職になりたくないという教員が増えてしまったのです。教職員志望者も教育実習で疲弊した現場を目の当たりにし、進路を民間に切り替える学生が多くなっている。そんな現状に危機感を抱きました」(並河氏)

そこで天理市は、市内すべての学校の教職員と幼稚園・保育所・こども園の職員らにアンケートを実施。結果、学校教職員の77.5%と園・所職員の72%が「日常業務で保護者対応を負担に感じている」と回答した。さらにいずれも約7割が「過去に保護者から納得のいかない理不尽なクレームを受けたことがある」と回答、学校教職員の25.8%と園・所職員の19%が「過去に保護者からの理不尽なクレームの心労により、1日以上休んだことがある、または同等以上に業務に支障が出た」と回答するなど深刻な状況が浮き彫りとなった。

「本市の山間部の学校では1クラス10人前後しかいませんが、保護者対応の負担は学級人数に関係ないんですよね。課題を抱えるお子さんやご家庭があれば、先生はその対応で疲弊し倒れてしまうことはあるのです。最近は働いているご家庭が多く、保護者の要望に個別対応しようとすれば夜の7~8時に呼び出されて残業時間が増えてしまう。そのまま日付が変わるまで教員が叱責されるケースも珍しくないことがわかりました」(並河氏)

年々保護者の要求は厳しくなっており、子どもへの悪影響も懸念された。過度な要求に対して教職員が我慢をして頭を下げた結果、子どもの口から「うちの親が言えば、学校は何でも聞いてくれる」「先生を辞めさせろ」といった発言が飛び出すことがあったのだ。

こうした現状を改善するために、天理市は保護者対応の専用窓口として「ほっとステーション」の設置に至った。

小中学校「13校のうち11校」の残業時間が減少

ちょうど文科省も、保護者や地域からの過剰な苦情や要求が学校運営上の大きな課題になっているとして、学校管理職OBなどを活用して学校問題解決支援コーディネーターを教育委員会などに配置する体制づくりを構想していたところだった。こうしたタイミングも合い、天理市のほっとステーションは、今年度の文科省「行政による学校問題解決のための支援体制の構築に向けたモデル事業」に採択されている。

「本市が初と言われているのが、学校や園への加配ではなく、専門部隊を設けた点。保護者の要望や苦情はまず市のほっとステーションで対応するようにしたのです」と、並河氏は言う。

現在、校長や園長を経験した退職者らが務める相談員15名と、5名の心理士(師)が、ローテーションで相談に対応する。過度な要求や攻撃から教職員を守るため、ほっとステーション専属の顧問弁護士も揃えた。

基本的に相談窓口では、電話、メール、来所などを通じて、相談員と心理士(師)がペアで対応。家庭ごとにカルテを作って事案の全体像を整理して見立て(その子どもにとってどんな手立てが必要であるかの具体的な見通し)を行い、保護者に説明する。必要に応じて教育総合センターや福祉部門などと連携して子どもや保護者をサポートし、子どもへの丁寧な対応が必要な場合は学校現場と情報を共有し対応を講じていく。市長と教育長もすべての事案を把握し、日々サポートを行っているという。

「ほっとステーションが橋渡しとなり、市全体で横断的に対応している点も本市の特徴です。例えばいじめや特性への対応については、家庭や子どものプロファイリングがないまま表面的な対応をしても、かえってこじれることが多い。担任から見えていることのみで判断せず、生い立ちや家庭環境なども含めて状況を把握し、何が不安やトラブルの要因かを分析する必要があります。そのほか、学校と学童での過ごし方や就学前からのコミュニケーションの悩みなどが影響している場合など、横断的に取り組まないと難しい事案は多いです。ほっとステーションができてからは、問題の背景を踏まえた見立てに基づく対応がしやすくなりましたね」(並河氏)

4月にスタートしてから約4カ月、129の家庭から相談があった。複数回の相談に上るケースもあり、計279件の相談に対応してきたが、長期的な対応を必要とする事案はあるものの、今までと比べて極端に事態が悪化している事案はないという。

「相談員に校長や園長の退職者を起用してよかったと思っています。教育事情に詳しく経験も豊富なので、見立ての話や専門家を入れることの必要性をすぐに腹落ちしてくれましたし、現場も大先輩がついていると安心感を持つことができます。結果的に、中学校は4校すべて、小学校は9校のうち7校が去年と比べて残業時間が減っています」(並河氏)

保護者の不安に寄り添い「こどもまんなか」の視点で対応

しかし、単なる苦情受付窓口ではないと、並河氏は強調する。

「設置当初、本市がモンスターペアレント対策の窓口を作ったとの報道もありましたが、それは誤解です。最も重視しているのは保護者の不安。多くの保護者が子どもに対し、どうアプローチすればよいかわからず不安になっています。中には、相談の際にご自身の生い立ちや苦悩を吐露される保護者も。そうした不安や苛立ちが過度に攻撃的となって、先生のほうへ向かってしまうのです。

起きた事象の当事者である子ども、そして保護者の不安や不満の原因は何なのか、中長期的に安心して過ごせるようになるにはどうしたらよいのか。その見立てのためにも、傾聴やカウンセリングを大切にしています」(並河氏)

ほっとステーション

保護者に寄り添いながらも、見立ての軸とするのは「こどもまんなか」の視点だ。子どものためにならない状況であれば、保護者が納得して落ち着いた場合でも解決とはみなさないこともあるし、保護者の要望に対応しないこともある。

「例えば、『わが子とケンカした子どもを視界に入らないようしてほしい』といった要望もいただきますが、仮にトラブルの相手と接触しないよう見張りをつけたりしたら、お子さんは孤立しますよね。そのような場合には、要望への対応はお子さんのためにならないことを説明して『対応しません』と伝える必要がある。『できない』のではなく、『こどもまんなか』の視点から『しない』のです。

学校や園がそうした主体性を取り戻して初めて、保護者との歪んだ関係が是正されていくと思うのですが、それを先生方だけでやるとなると負担が重すぎます。だから、保護者の相談に先生が直接タッチしない仕組みをつくったのです」(並河氏)

一方で、教職員側のアップデートも必要だ。とくに見立てや子どもたちの特性についてはもっと学ぶ必要があると考え、全教員を対象に心理士や作業療法士などによる研修を設け、適切な対応ができるようサポートも行っている。

ほっとステーションの開設に当たっては、仕事に熱心な教職員ほど反発し、「私たちの頑張りを否定しているのか」「保護者との信頼関係の下で教職員は育っていくのに、別部隊に任せてしまったら後進を育成できない」という意見もあった。しかし、専門家による研修を通じて、教職員たちの見立ての重要性に対する理解が深まってからは風向きが変わってきたという。

「これまでは各教職員の経験則や忍耐力に頼りすぎていました。かといって、仮に加配で対応しても予算との関係で限界は見えてきますから、教職員以外の専門スタッフを入れながらチームで対応したほうがはるかに効率的です。行政のチームと学校現場が一緒になって『こどもまんなか』の視点で見立てを行い、子どもや保護者の不安を取り除いていく。本来身に付けるべき力はそうした対応力であることが、現場でも理解されつつあります。すべての先生とここを共有することが今後の課題です」(並河氏)

保護者を孤立させず、教育と福祉が足並みを揃える重要性

教育長の伊勢和彦氏は「管理職からは『現場がこの取り組みに感謝している』と聞いています」と話す。

伊勢和彦(いせ・かずひこ)
天理市教育委員会教育長
1982年皇学館大学卒業。奈良県内の公立小学校で教諭、教頭、校長を務め、2020年定年退職。2021年より現職

例えば、「学校への苦情の電話がほとんどなくなったので、心理的負担が軽減した」「今まで教員だけが保護者の苦しい心情を長時間にわたり聴くときがあったが、ほっとステーションの臨床心理士が、カウンセリングも視野に入れて代わりに対応してもらえるのは大変ありがたい」「若い教員が多いので、子どもに対する心理士(師)の専門的な見立てやアドバイスが子どもに向き合う際の参考になり、学級経営の自信を少しずつ取り戻すことができた」などの声が教員から寄せられているという。

ほっとステーションがうまく機能した理由について伊勢氏は、「保護者を孤立させず、しっかり話を聞いて街として支えていく。市長の旗振りの下、教育と福祉が足並みを揃えながら、同じ目線で対応できたことが大きいと考えています」と述べる。

並河氏も、「行政がなぜここまで首を突っ込むかというと、サポートが必要な家庭も多いからです。今までは教育と行政の連携は弱かった。きちんと拾えていなかったSOSを福祉部門も含め対応できる体制を取るという意味でも、非常に重要な取り組みだと思っています。今後は産前産後の女性を支えるドゥーラもチームに入ってもらうなど、生まれたときから孤立しない体制を整えたいと考えています」と話す。

現在、官庁をはじめ、全国の教育委員会、校長会などによる視察や問い合わせがあるという。天理市と同様の取り組みを行うに当たっては、どこに留意すればよいのか。

「行政が形式的に相談窓口を作ってもうまくいきません。教育現場で保護者対応するという発想を手放すことが重要です。また、本市では私と教育長がすべての事案に目を通して日々やり取りしていますが、本市の規模だからできることかもしれません。人口の多い地域では中学校区ごとに窓口を設けるなど工夫も必要でしょう。しかし、何より大事なのは、保護者の声に対し、長い時間がかかっても傾聴し続け、街ぐるみで子育てを一緒にしていこうとする姿勢だと思います」(並河氏)

(文:國貞文隆、編集部 佐藤ちひろ、写真:天理市提供)