「ばん走」は、一言で言うと「見る」仕事

教育関係者なら、その名前を一度は耳にしたことがあるだろう。

石川晋氏。ワークショップ型授業や特別支援教育などさまざまなテーマに先進的に取り組んできた教育研究団体「NPO授業づくりネットワーク」(1988年設立)の理事長を2013年から務め、機関誌『授業づくりネットワーク』(年3回刊行)による情報発信やセミナー開催などを行っている。

国語科教育のエキスパートとしても知られる石川氏は、北海道で中学校国語科教員を28年務め、17年3月に退職し上京。新たな道を模索する中、当時、東京都国立市・国立第一中学校の理科教員で現在は軽井沢風越学園スタッフである井上太智氏から「僕の理科の授業を見に来てくれませんか?」と声をかけられたのが、ばん走の始まりだったという。

「ばん走は、一言で言うと『見る』仕事。当たり前ですが、学校生活の大半は、授業です。いくら給食が充実していても、放課後の活動をよくしても、本丸の授業が子どもたちにとって楽しくないと、学校が『暮らしやすい場所』にならないですよね。学校には、ベテランから若手までさまざまな教職員がいます。その方が困っていることや『一緒に考えたい』と思っていることを引き出し、その方の授業(教室)を見る。その後、僕に見えたものをその方との対話を通して一緒に見てもらうことで、リフレクションを促す仕事であると捉えています」

石川 晋(いしかわ・しん)
NPO授業づくりネットワーク理事長、学校および学校教育関係者の「ばん走者」
1967年北海道旭川市生まれ。北海道教育大学大学院修士課程・国語科教育専修修了。89年以降28年中学校国語教員を務め、2017年3月に退職。その後、全国の学校や教員に「ばん走」しながら活動を続ける。『対話で学びを深める 国語ファシリテーション』(共著/フォーラム・A)、『学校でしなやかに生きるということ』『学校とゆるやかに伴走するということ』(ともにフェミックス)、『くらしと教育をつなぐWe』(フェミックス)では隔月でばん走の様子を連載している

当初はボランタリズムを貫いていたが、ぽつぽつ継続するうちに全国各地から「僕の(私の)授業を見てください」「うちの学校に来てください」と声をかけられるようになり、「ボランタリズムを根っこにおいた生業」として成立するようになったという。

なぜ「伴走者」でなく「ばん走者」なのか

近年、学校外の第三者が「伴走者」として学校現場に入り、学校や教職員のさまざまな課題を支援するケースが増加傾向にある。オンライン対話で教職員のキャリア、学級経営、授業などの悩みに伴走するサービスなども存在し、教育の世界で「伴走」という言葉が頻繁に使われるようになってきている。

「いろいろな伴走の方法があっていいと思っていますが、僕が大切にしているのは、まず現場に行って、見て、話すこと。それも1回きりでなく最低でも複数回足を運び、校内のいろいろな人と関わりながら学校・教室にどっぷり入って対話やリフレクションを重ね、最終的にその学校や教職員の役に立てるような関わりを継続していくこと。

1時間ほどのオンライン対話でのやり取りも否定しませんし、オンライン対話は僕も行っていて大切だとは思いますが、僕が学校現場に実際に入って行っている伴走とはまったく異なるものだと思っています。ちまたに多く存在する『伴走』と自分の仕事とは違っているように思えて、ある時期から『ばん走者』と名乗るようにしています」

石川氏のばん走のパターンは、

・ 呼ばれた先生個人の授業を見て、その先生と振り返りをする。
・ 呼ばれた先生の教室で授業をする。
・ 校内研修の講師として授業づくりや学級づくりについて提案する。
・ 校内研修のデザインとファシリテーションを丸ごと担当する。

以上の4つで、教職員や学校のニーズを聞きながら必要に応じてこれらを組み合わせることが多いという。

「例えば、ばん走を依頼してきた先生から『うちの学校では協働学習が全然行われていないから、学校中を“協働色”に染めてもらいたい』など、願いを込めて声をかけていただくケースもあります。その場合でも、僕自身の知識や経験から『その方の理想を実現するために何をするのか』を助言するのではなく、その学校のスタイルやこれまでの経過、校長先生の思いなどを重ね合わせながら、その学校にいちばんよい形をつくるために、どうお手伝いをさせていただくのがよいのか。そこをスタート地点として、先生方と一緒に考えながらばん走しています」

ばん走4年目を迎える江戸川区の公立小では

2023年6月のとある日。石川氏の「ばん走」の様子を一日見学させてもらった。訪れたのは、江戸川区立鹿骨(ししぼね)東小学校(児童数:465、学級数:16、校長:中田伸代)。

特別支援教室拠点校で、学区外からも多くの児童が通う。21年度は江戸川区教育課題実践推進校として、SDGsの視点を取り入れた学校づくりに取り組んだ。

石川氏のばん走は、今年度で4年目を迎えるという。校長を務める中田氏は、こう話す。

「私は前任校では副校長だったのですが、国語の授業研究を行った19年、現場の教員から『石川先生を講師に呼びたい』と声が上がり、1年間で6回来ていただきました。当の石川先生から『“飛び込み授業”をさせてほしい』『子どもたちの様子を見たい』と言われ、全学年に国語の授業をしていただいたのですが、私自身も非常に学びになりました」

中田伸代(なかた・のぶよ)
江戸川区立鹿骨東小学校 校長

20年から鹿骨東小学校の校長に就任。期せずして同校でも国語の授業研究を行うことになり、迷わず石川氏にばん走をお願いしたという中田氏。

「初任の教員が多かったこともあり、授業力や学級経営力の向上が喫緊の課題でした。子どもたちにとって、わかる楽しい授業でないと、学校が“我慢の時間”になってしまいます。“我慢の時間”にしないためには教員が授業を頑張るしかないのですが、初任者が最初からわかる楽しい授業を行うのは困難ですし、学級経営がうまくいかず授業までたどり着かないクラスが出る可能性もあります。石川先生にばん走をお願いし、教職員が『できる』『わかる』授業づくりの楽しさを味わい、笑顔で授業を行っていくことで、子どもたちの幸せにつなげたいと思いました」(中田氏)

20年度はコロナの真っただ中だったが、石川氏は年間7回学校に足を運び、国語の飛び込み授業も行った。密を避けるため各学年の授業はビデオに撮り、校内Teamsのオンライン会議で石川氏を交え研究協議会を行いながら学びを深めていったという。

「石川先生は、難しいことをいっさい言わず、一緒に考え、その先生、その学校に合わせた助言をくださいます。私は校長なので、学校として抱える課題や学校経営の悩みをお話しすることもあります。石川先生は『僕はマネジメント経験はないですから』とおっしゃいますが、全国のたくさんの学校の景色を知っている先生からの助言は本当にありがたく、私にとっては校長のばん走もしていただいているつもりでいます。先生の言葉で、教職員も、校長である私も元気をもらえます。石川先生は、教職員、学校に『もっといい授業をつくりたい』『もっといい学校にしたい』と思わせてくれるファシリテーターなんです」(中田氏)

飛び込み授業を担任が見ることで、担任自身の成長に

この日のばん走は、3、4時間目に2クラスある6年生の各クラスで国語の飛び込み授業(同じ単元)を行い、5時間目に6年2組の国語「パネルディスカッションをしよう」の単元の研究授業を見たうえで、6時間目に校内の教員による研究協議会のファシリテーターを務めるという内容だ。

3時間目。6年1組で国語の授業を行う。単元は、詩『イナゴ』(まど・みちお)。導入で、スクリーンにイナゴの写真を映し出す石川氏。対話型ギャラリートークの手法を詩の読みに生かすスタイルを取っている。子ども同士の対話をベースに、

「イナゴって知ってる?」
「イナゴ、食べられるんだよ」
「漢字でどう書くと思う?」など、子どもたちの興味関心も引き出し、「イナゴ」と「ぼく」の関係を考えていく。

6年生の国語の飛び込み授業。単元は、詩『イナゴ』(まど・みちお)

追い読みによる音読では、速さや順番を変えながら音読する石川氏に元気に呼応しながら、詩の世界に浸る子どもたちの姿が見られた。4時間目は隣の6年2組で、同様の授業を行う。

石川氏の授業を食い入るように見つめる6年生の担任の先生たち。中田校長も、石川氏の授業やクラスの様子、担任の様子を見守る。

担任の先生には、同じ授業なのにクラスによって展開や子どもたちの反応が違うことなどを見てもらう

「先生方が教室で大変な努力や苦労をされていますから、ほんのわずかな時間をお借りして授業をさせてもらうことで、僕自身もその努力や苦労の一端を体験させていただこうと思っています。また、僕のような外から来た人間が授業を行うことで、担任の先生は、授業そのものはもちろん、同じ授業なのにクラスによって展開や子どもたちの反応が違うことなどを肌で感じることができます。自身のクラスのカラーを再確認したり、授業づくりや学級経営について新たに発見したりしてもらいながら、成長してほしいと思います」(石川氏)

中田氏も、こう続ける。

「石川先生が、担任のクラスで授業を見せてくださることで、担任は『ああ、あの場面はこうすればよかったのか』など客観的に気づくことができます。人に言われるよりも、自分の目で見て、自分で気がついたほうが、教員自身の学びにつながると感じています」

「明日にでもまた、研究授業をやりたいです」

5時間目は、6年2組の担任・磯望氏による国語の研究授業だ。磯氏は教員4年目だが、毎年自ら手を挙げて石川氏に授業を見てもらっており、今年で3回目になるという。

研究主題は「主体的に学び、考え、表現できる児童の育成」で、単元名は「パネルディスカッションをしよう〜鹿骨東小学校のよさについて語り合う」。司会の児童、パネリストの児童3〜4名、パネリストの発表を聞いたり質問したりするフロアの児童に分かれ、授業では、司会による進行の下、パネリストが資料を提示しながら鹿骨東小学校のよさについて発表し、フロアからの質問に答える形式で、計2回のディスカッションを行った。

6年2組の担任・磯望氏による国語の研究授業
(写真:東洋経済撮影)

このパネルディスカッションで深まった考えを基にして、次の単元「パンフレットで知らせよう」では、下級生、保護者や地域の人、他校の人に向けた学校紹介パンフレットを作ることをあらかじめ子どもたちに知らせておき、ゴールイメージを持たせているという。石川氏は、同校の教員に交じり、教室の前のドアが開いた向こうから、メモを取りながら授業を見ている。

そして6時間目。研究授業を見た教員が体育館に移動し、低学年担任、中学年担任、高学年担任のグループに分かれ、よかった点や新たな気づき、課題に感じた点などを付箋に書き出してホワイトボードに貼り、磯氏の研究授業の振り返りを始めた。

研究協議会で磯氏の研究授業の振り返りを行う
(写真:東洋経済撮影)

石川氏は前の席で磯氏の横に座り、研究協議会のファシリテーターとして、教員たちの発表を聞きながら、磯氏も交えて対話を進めていく。

何人かの教員から「子どもたちの質問内容が、『学校のよさを伝えたい』というテーマからそれていたことがあった。1回目と2回目のディスカッションの間に軌道修正の声かけが必要だったのでは」「他者と自分の意見を比較し、自分の考えを深められるような“質問力”を上げるには、教員はどのように関わればよいのか」という問いが出た。

そのタイミングで石川氏は、磯氏に「国語の教科書では、パネルディスカッションのテーマは『地域の防災』になっているけれど、あえて教科書とは異なるテーマに変えた理由は何ですか?」と聞いた。

「防災がテーマだと、子どもたちにはちょっと難しくて自分事として考えにくく話しづらいのではないかと思いました。また『学校が大好き』という児童が多いので、『学校のよさ』なら身近なテーマで話し合いやすいと思いました」と述べる磯氏。

そこで石川氏は、「『学校のよさ』という身近なテーマでパネルディスカッションを行うことにより、得られたと思うことと失われたと思うことについて、みんなで話してみましょう」と、教員たちに再度対話を促した。

最後に石川氏は、「磯さんの授業は、クラスの雰囲気がとてもよかったです。子どもたちの発言を聞きながら、『家庭科は僕も苦手だな』『言わなくてもみんな知ってるし』など、緩やかでちょっとユニークな合いの手のような言葉を挟むことで、子どもたちはディスカッションしながらしきりに相づちを打っていました。教室全体が楽しげな雰囲気だったのは、磯さんの日頃の関わりの賜物ですね」と、よかった点を褒め、子どもたちの質問力を上げるための教員としてのアプローチの必要性や、次の単元のパンフレット作りの目的や伝えたいターゲットに何をどのように伝えるのかをより明確にすることが、質問力の向上につながることなどについて、平易な言葉で伝えた。

石川氏の総評を受け、「今日で3回目の研究授業をさせていただきましたが、経験が成長につながることを実感しています。うまくいかなかった点が、たくさんあります。人前でこんな経験をさせてもらえるのはうれしい反面、悔しさもあるので、明日にでもまた、研究授業をやりたいぐらいです」と、目を輝かせる磯氏。そのポジティブな姿や磯氏を囲む教員たちから醸し出される空気から、ばん走が及ぼす多大な影響力が伝わってきた。

“点”が増えていくことで、学校全体の土壌がよくなっていく

教員の長時間労働、精神疾患の増加、教員不足。今の学校教育現場は、ばん走者・石川氏にはどのように映っているのだろうか。学校に元気を取り戻すには、どうしたらよいのだろうか。

「『どこの学校がどうです』など具体的なことは言えませんが、体感として、学校教育の現状自体はどんどん深刻になってきているように感じています。子どもたちの人間関係がしんどい教室、担任不在の教室などが増え、内部のリソースだけで展開していくのは極めて困難な状況の中、日々地をはうようにして頑張る先生方の姿には心を揺さぶられます。

僕にできるのは、僕の半径数メートルの場所で、自分の見えるところを丁寧に見ながら対話をベースに先生方と一緒に進んでいくこと。自分にできることを愚直にやり続けるしかないと思っています。ただ、先生コーチングでも学校コンサルティングでも、関わり方は異なるけれども僕のような学校を支援する“点”が全国レベルで増えていけば、学校全体の土壌はよくなっていくのではないでしょうか」

石川氏がばん走に入った学校同士が地域の垣根を越えてつながり、情報交換したり、お互いに授業を見に行ったりするケースも少なくないという。また、教員個人のばん走の際は、その授業に他校の教員が見学に来ることもあり、そこで教員同士のコミュニティーが生まれ、お互いに切磋琢磨することもある。

「ばん走は恐ろしく疲れるけれど、学校や教職員と苦楽を共にしながら一緒に進んでいくことが恐ろしく楽しい」という石川氏。

「ばん走は、僕が最初に始めた一人です。パイオニア(笑)だからこそ、金銭的なことも含め1つのモデルのようなものを示す必要があると思っています。学校を元気にしていくためにも、今後僕のような動き方をする人が増えていくことを願っています」

(企画・文:長島ともこ、注記のない写真:今井康一)