教育改革はゆっくり進むもの、まさにこれから
――2017年に改訂された学習指導要領に基づく児童生徒の資質・能力の育成に向けた「個別最適な学び」と「協働的な学び」は、学校現場に定着してきていますか。
2017年版学習指導要領は、これまでと比較しても高い支持を得られています。大きく変わったのは、個々の指導事項を身に付けるのではなく資質・能力の育成というコンピテンシーベースに移行したこと。こうした学力観や教育政策は、世界の動向と比較しても、グローバルスタンダードになっているといえます。
もともと「協働的な学び」は日本が得意とするところですが、17年改訂の後の「令和の日本型学校教育」では「個別最適な学び」が強調されました。そう言うと「個別最適な学び」が初めて出てきたかのように感じますが、個に応じた指導は30年前からあります。ただ「指導」という表現だと、教師が子どもにあてがうイメージになりがち。しかし本来的には、各自が自分に必要と判断した学びを自力で進めるべきで、それを「個別最適な学び」という言葉で仕切り直しました。
しかし学習指導要領に基づいて、20年に小学校が新たな教育の創造に向けて動き出した直後、コロナ禍に突入しました。未曾有の事態にどこの学校も新しい取り組みができずに、時間だけが経過し、23年になってようやく公開研究会が行われるようになっています。そのため改革はまだまだ始まったばかりです。
ただ、教育改革はそもそもゆっくり進むもの。学習指導要領は方針を示すもので、教育方法について細かくは規定していません。基本的に方法は現場に委ねられているので、現場の教師や保護者が納得しながらゆっくり進むべきで、まさにこれからといえるでしょう。
GIGAスクール構想の前倒しによる影響
――一方、コロナ禍でGIGAスクール構想が前倒しされ、小・中学校に「1人1台端末」が一気に整備されました。これらが与えた影響は大きいですか?
2017年の改訂当時、GIGAスクール構想はもっとゆっくり進むだろうと思われていました。しかしコロナ禍で急速に状況が変わり、子どもの学習環境はアナログに加えて選択肢が増え、デジタルの学習基盤ができました。
これにより子どもの学びを効率よく行うこと、学習の個別化がスムーズにできるようになりました。例えば、自分のペースやスタイルで勉強をする、苦手科目を克服すべくたっぷりと時間をかけるなどです。すると、子どもはこうやれば自分の時間をうまく使うことができると発見し、一人でもしっかりと学べるようになります。
――教師の意識にも変化はあったでしょうか。
1人1台端末により、教師と児童生徒のコミュニケーションのあり方が変わりました。これまでの伝統的な授業は、学ぶべき内容を教師が決めて児童生徒に届け、即時対応を求める同期型コミュニケーションでした。いきなりかかってきて相手に合わせなければならない電話と同じで、送り手(教師)が受け手(児童生徒)の時間を奪っていたのです。
しかし、1人1台端末を使うことで、お互いに都合のよいタイミングでアクションを起こせるようになりました。メールやチャットのような非同期型コミュニケーションが可能になったのです。これまで、子どもたちは教師が設定したタイミングに合わせるために、待たされたりせかされたりしていましたが、その必要がないので同調圧力もなくなり、伸びやかに学べます。
そもそも「1対35で電話をかけている」状況に無理がありました。でも同期型コミュニケーションしかない時代はやるしかない。それを学習規律で可能にしていたわけですが、ICTがあれば学習規律がなくても問題は起こりません。
――そうなると個々でしか学ぶことができず、「協働的な学び」につながらないといった懸念はないのでしょうか。
児童生徒は、実に自然に友達と声をかけ合って一緒に学びます。しかも、友達に聞きたいことがあるときは、迷惑をかけないタイミングはいつなのかをしっかり見ている。判断が各自に委ねられているからこそ、やさしさや配慮も生まれるのです。
「個別最適な学び」では、自立しているからこそ相互に支え合えるよい関係を築いていきます。わがままになるとすれば、それは授業づくりのどこかが間違っているのです。個別的に学ぶからこそ協働的な学びが生み出され、目標とする自立した学習者になることができます。
多様化により求められる「個別最適な学び」と「協働的な学び」
――このような教育が、なぜ求められているのでしょうか?
社会や教育の中で、多様性が高まっているという背景があります。例えば、学校現場でも海外にルーツを持つ子、発達障害を持つ子、特定分野に特異な才能のある子などが昔よりも増えましたよね。
不登校の増加も、深刻な問題です。子どもに理由を聞くと「授業がつまらない」「授業がわからない」という声が多い。学校は“やらなきゃいけないこと”と“やってはいけないこと”であふれていて、窮屈さを感じると。自分のやりたいことができる、やらなきゃいけないことでも、自分に合ったやり方でできる環境をつくろうというのが「個別最適な学び」です。
――「協働的な学び」も、多様性のある社会で生きていくには必要でしょうか。
そうですね。昔に比べて知識への価値観も変わりました。以前は知識をたくさん持つことがいいとされていましたが、現代では膨大な情報にいつでもアクセスできます。そこで重要になってくるのが「協働的な学び」です。
仲間と学び議論し、時には答えのない問題を追究していくことで、知識はアップデートされていきます。多様な他者と対話して最適解、納得解を得ることは民主主義の基本です。協働的な学びを通して行われるそれらの経験が、結果的に今後の産業社会が求めるイノベーション人材の育成にもつながっていくと考えます。
子どもは有能な学び手、教師の役目を見直して
――「個別最適な学び」と「協働的な学び」を実践するために、押さえておくべきポイントはありますか。
まず教師をはじめとする大人が考える「子ども観」を変えること。教師が教えないと子どもは学べないと思いがちですが、子どもは適切な環境と出合いさえすれば、自分で学ぶ力を持っています。
さらに教師の「仕事観」を見直すこと。子どもは有能な学び手です。教師は優秀、子どもは未熟、だから教師が上という考え方を改めるべき。子どもを見取りながら、できないことに足場を架け、できるようになったら外す……何ができてどこに向かおうとしているのかを丁寧に見てサポートするのが、教師の役目だと認識することが大切だと思います。
つまり教師の新しい仕事は、環境を整えること、そして子どもを見ること。教師が整えた環境で、子どもたちがどう学んでいるのかをよく見てください。そう考えると、授業が始まる前に勝負がついているともいえますね。ICTを使うなら、授業前にクラウドに教材を上げた時点で終わっているわけです。もし授業が始まって子どもが選べる選択肢が足りなかったと感じれば、急ぎ修正すればいい。不得意な子に向けて作ると、ほかの子もついてくることができるため、UDの視点で環境をつくれば多様性に応じることができます。
――進めていく中で、教師が直面しやすい壁はありますか?
日本の教科書はよくできているため、指示どおりに使えば若い教師でもある程度教えることができます。そのため教科書で授業をすることに慣れすぎてしまい、“どうしてこれを今、学ばなければ、教えなければいけないのか”を理解できていない教師も生まれてしまいます。
「今日は教科書のここの見開きだけ教えればいい」と1時間単位の短いスパンで考えてしまうと、何を目的として授業をしているのかわからなくなってしまう。すると子どもたちも、どうして今、この勉強をしなくてはいけないのか理解できず、スムーズな授業が難しくなってしまうのです。
どんなに学習指導要領が変わり、教育方法や学習形態が変わっても、授業づくりの基礎を培っておくこと。“教科書のこの部分を今日は教えればいい”ではなく、学習指導要領と教科書を突き合わせて、何のために何を学ぶのかをしっかりと理解し、自分なりに内容を再構成することが大切です。
プロの教師は、教師用の指導書など頼りにせず、児童生徒用の教科書だけで授業ができます。ほかの教科書も参照し、学習指導要領の解説を読み込むと授業はよくなります。こうした基礎ができていれば、どのような教育を実践することになっても応用が利くのです。
――奈須先生は、次の学習指導要領はどのようになると思われますか?
今のカリキュラムや学力の方向性が大きく変わることはないと思います。ただ子どもに学んでほしいことが多すぎる、カリキュラムオーバーロードへの懸念は世界的にも問題になっていて、日本も例外ではないかもしれません。
学習指導要領の中で、教育方法を限定的に示すことは好ましくありません。現場の足かせとなり、自分にしかできないよい授業をしたいという教師の気持ちを砕くからです。「個別最適な学び」や「協働的な学び」も、子どもの学びであって、それを実現する教育方法は多様に存在します。また発展するテクノロジーについて、学習指導要領でどこまで触れるのかというのも悩ましい問題ですが、授業の景色はさらに変わっていくかもしれません。
(文:酒井明子、撮影:梅谷秀司)