意外に知られていないのが、「教員採用試験合格辞退者」の存在ではないだろうか。教員不足が叫ばれる中で、せっかく教員採用試験に合格しても辞退している人が少なからずいる。それが、教員不足に拍車をかけてもいる。

文部科学省が都道府県や政令指定都市など全国68の教育委員会を対象に今年4月に行ったアンケート調査では、小・中学校や高等学校、特別支援学校での教員不足が「1年前より悪化した」との答えが全体の43%を占めた。教員不足といわれる状況は、改善しないどころか、悪化する一方のようだ。

「教員不足の状況」68教育委員会へのアンケート調査
「悪化した」43%(29自治体)
「同程度」41%(28自治体)
「改善した」16%(11自治体)
出所:文科省「『教師不足』への対応等について(アンケート結果の共有と留意点)」

 

そうした中で講師(臨時採用)探しの負担が、校長や教頭に重くのしかかっている。あちこちに連絡を取り、高齢の定年退職者まで引き戻している例も珍しくない。それでも教員不足は解消されず、「もう手がない」と嘆いている校長や教頭も多い。

教採倍率は高いのに採用予定数を割り込む高知県

今年3月には、高知県の長岡幹康教育長ら教育委員会職員12人が街頭に立って教員確保を呼びかけて話題になった。そんなことで教員が集まるはずがないと思ってしまうが、そこまでしなければならないほど教員不足は深刻になってきているということだ。

しかし、高知県の教員採用試験(以下、教採)の受験者が少ないわけではない。2022年に実施された23年度教採における競争倍率は、例えば小学校では6.7倍(時事通信社調査)だった。全国平均が2.0倍なので、かなり高い競争率で、受験者は多かったことになる。

ところが、実際に教員になった人数は少ない。23年度の高知県の小学校教諭の採用予定数は130人程度だったが、実際の採用人数は94人でしかなかった。受験者数は多いが、教員になった数は極端に少ないわけだ。だからこそ、教育長自らが街頭に立たなければならない事態になったといえる。

その理由を高知県教育委員会教職員・福利課の担当者は、「教採に合格しても辞退者が多いためです」と話す。高知県では、この状況が23年度だけではなく、ここ数年続いている。

辞退者の多い理由を聞くと、「他県に比べて教採実施日が早かったことと高知県内だけでなく大阪にも試験会場を設けていることで『併願』がしやすくなっているからだと考えられます」との返事が戻ってきた。

教採は7月に実施する自治体が多い。試験日が近くなることで、まったく無理ではないが、併願をしにくいのは事実だ。しかし、高知県は6月と早い実施で、さらに大阪にも会場があるため高知県まで足を運ぶ必要もなく、他県との併願がしやすい。そのため受験者が多くなり、倍率は上がるというわけだ。

ただし、併願受験して複数合格すれば、1つを選択しなければならない。高知県と他県の教採を受験し、両方で合格しても、他県を優先すれば、高知県を辞退することになる。こうした辞退者が多いことが、教採の倍率は高いにもかかわらず実際の採用者数は予定数にも達しないという現実につながっている。

併願での辞退は珍しくない

併願は、高知県だけの特殊な事情でもない。ある私立大学で教採指導をしている教授は次のように話す。

「併願は、できないわけではありません。同じような時期であっても、まったく同じ日程ではないので、調整すれば可能です。大学としても、併願受験を勧めてもいます。理由は、『滑り止め』のためです。本命試験の前の『力試し』で受験する学生もいます。ですから、併願受験は少なくありません」

併願受験が多くなれば、それだけ辞退も多くなる。高知県と同じようなことが、多くの自治体でも起きていると考えられる。

「親の希望もあって地元自治体の教採も受けました」と言うのは、東京都で中学校教員をしている松田明(仮名)さんだ。「東京で学生生活を送って、東京での生活に慣れたせいか、地元に帰って実家で暮らすのは苦痛に思えました」と、松田さん。そして、地元は辞退して、東京での教員を選んだのだ。

松田さんの大学時代の同期でも、併願は多かったという。ただ、松田さんのように東京を選ぶケースばかりではないという。「地元で暮らすほうが知り合いも多いし、楽だと考える人も少なくありません。そういう人は東京を辞退して地元を選ぶようです」とも続けた。

民間企業希望者は早い時期に「教採を捨てる」

併願は、教採の併願だけなのだろうか。教採と民間会社の採用試験を受けて、両方とも合格したけれども、民間会社を選んで、教採の合格は辞退した、なんて例があってもよさそうだ。そういう辞退者に話を聞きたいと思い、いろいろなところに声をかけて探してみた。

しかし、なかなか見つからない。そうした中で、山﨑明代(仮名)さんに話を聞くことができた。山﨑さんは、今年、私立大学の教育学部を卒業したのだが、IT系の会社に就職した。

「親が教員だったこともあり、早くから教員を目指していて教育学部に進学しました。教員免許は取得しています」

ただし、山﨑さんは教採を受験していない。その理由を次のように説明する。

「小学校で教育実習したとき、2021年度から必修化になったプログラミングの授業を何度か見学させてもらいました。そこで目にしたのは、教えるための十分なスキルがないまま授業をしている先生たちの不安そうな表情でした。時代の変化が速い中で、教員が教えることも変わっていくはずです。そういう場に身を置いて、不安な気持ちのまま子どもに接しなければならないのかと考えたとき、『教員の仕事は自分に向いていない』と思いました。それで、教員になるのはやめました」

宮川洋(仮名)さんも、今年、関西にある大学の教育学部を卒業したが、コンサルタント会社に就職した。大学1年生くらいまでは、教員志望だった。

「高校の先生が親身に生徒の相談に乗ってくれる人で、『こういう先生になりたい』というのが教員を志望した理由です。それで教育学部に入学し、大学1年生くらいまでは『絶対に教員になる』と思っていました」

その決心が揺らいだのだ。その理由を、宮川さんは次のように話してくれた。

「いちばん大きいのは、収入です。先輩とかの話を聞いていると、教員の年収は40歳くらいで700万円くらい。それがコンサルタント会社では、30歳くらいで1000万円は超えています。それなら、やはり年収の高い職業がいいな、と考えました」

宮川さんも山﨑さん同様、教採は受験していない。ただし、教員免許は取得している。「将来、教員をやろうと思ったときに、免許さえあればやれますからね。教員免許は保険みたいなものです」と、宮川さんは言った。

それでも、教採も民間企業の採用試験も受験してみて、それから選択するということもできたはずだ。それを聞くと、2人の答えは同じだった。民間企業を受験するにも、会社訪問や面接など準備が大変だ。しかも、複数受験が普通なので、いくら時間があっても足りない。それと並行して教採の準備をすることは不可能なのだという。宮川さんが続けた。

「私の周囲でも、民間企業への就職は早い時期に決める人が多かったです。そうしないと、準備が間に合いません。民間企業と教採の両方を受験するのは、かなり珍しいのではないでしょうか」

そのため、民間企業に合格したので教採の合格は辞退するというケースは、ごくまれでしかないことになる。文科省は今年5月31日、教採の早期化・複数回数実施などについて方向性を取りまとめて提示している。教採の時期を早めたり、受験回数を増やすことで、教員を確保しようというわけだ。

しかし民間企業でも試験時期を早める傾向が強まる中で、いくら早期化しても追いつかない事態になるのは目に見えている。併願での辞退もいっそう増えることになる。もしも教採の受験者が増えたとしても、教員の働く環境が変わらないままでは、両方に合格すれば、教採合格の辞退者が続出することになりかねない。教採が、単なる「滑り止め」になってしまう可能性も高い。教採の早期化・複数回数実施は、辞退者の問題を大きくするだけかもしれない。

(写真:EKAKI / PIXTA)