社会問題伝えるたかまつなな、祈るだけの「日本の平和教育」は転換期と語る訳 平和はつくるもの、ウクライナ取材を教材に

「おびえてばかりいては暮らせない」、戦争が日常になっていた
――たかまつさんは今年8月、ウクライナに取材に行かれました。なぜ危険な紛争地をあえて取材しようと思ったのでしょうか。
第1の目的は、平和学習をアップデートしたいと思ったからです。今、日本の平和学習は沖縄戦や広島、長崎で原爆を体験された方など、戦争経験者の方からお話を聞くことが主流になっています。しかし、戦争を語れる方も高齢化しており、今後は今までのようなやり方はできなくなります。新しいものをつくらなければならないと感じていました。
日本では誰もが、二度と戦争を繰り返してはいけないとわかっていますが、具体的に何をすればいいのかはわかっていません。日本の平和教育は“平和を祈ること”で終わっているからです。これからは、平和を守るのではなく、平和をつくることが重要になると考えています。そのために私たちは何をすればいいのか。まさに戦時下にあるウクライナで人々の声を聞くことが、これからの平和教育のヒントになると考えました。
――実際ウクライナでは、どのような取材をされていたのでしょうか。
現地に住んでいる日本人にコーディネーターを依頼し、ポーランドからバスで17時間かけて現地入りしました。ウクライナには1週間ほど滞在し、首都のキーウ、近郊のイルピン、ボロジャンカ、ブチャの4カ所でインタビューを行いました。子どもや若者を中心に街頭インタビューを行い、ジャーナリストや政治家なども紹介してもらって30人ほどから話を聞きました。

――現場の状況はどうでしたか。
キーウに到着し、人々が普通の日常生活を送っているのを見て驚きました。空襲警報が鳴っても誰も逃げない、シェルターには私しかいないんです。とくにボロジャンカは被害が甚大だった地域で、大きなマンションが爆撃されて真ん中がごそっと崩壊している所があるのですが、その目の前の公園で子どもたちが遊んでいました。
街中も、ホテルやショッピングモールが再開しており、人々はおしゃれをして歩いている。戦争をしているということを忘れるくらい、平穏な暮らしを営んでいるように見えました。しかし話を聞いてみると、戦争が日常になっており、おびえてばかりいては暮らせない現実があった。薄氷の上に成り立っている平穏な暮らしを見て、逆に考えさせられました。
――ウクライナの人々は、今回の戦争をどのように感じているのでしょうか。
たくさんあるのですが・・・・・・。普通に暮らしているように見えて、いろいろなトラウマを抱えていることがわかりました。仮設住宅を訪ねると、空襲警報が怖くて夜眠れないとか、元の生活ができなくて困っているという人たちがいました。
子どもたちは、避難している子が多いので「友達がいなくなってしまい寂しい」「学校が崩壊して通えない」「ロシア兵がやってきて怖かった」など、いろいろな心の傷を抱えていました。ある女性市議の方は性被害を調査していたのですが、想像を絶する被害に遭った女性に会ったと話していて。ただ、そういった話はなかなか表に出てこないので、被害状況の把握は進んでいないようでした。