田中孝幸氏は、新聞社に勤める国際政治記者だ。大学時代にボスニア内戦を現地で研究した後、新聞記者として政治部、経済部、国際部、モスクワ特派員など20年以上のキャリアを積み、世界40カ国以上で政治経済から文化に至るまで取材をした経験を持つ。

国際政治の最前線で培われた深い知識とリアルな体験を重ねた田中氏が、13歳でも読める地政学の本を書くきっかけとなったのは、わが子との会話だった。

「長男と次男に自分が見てきた世界の話を聞かせているときに、普段の新聞用語を使って解説しても、なかなか理解してくれないことを痛感したんです。日頃ニュースを見ていても、国際問題について根本から理解できている人は大人でもそうはいません。そこでわかりやすい本はないかと書店に行ったのですが適当な本がなく、ならば自分で書いてみようと思ったのです」

国際政治記者として活躍する田中氏
(撮影:尾形文繁)

日頃から政治家や外交官を相手に国際政治の内幕を取材している田中氏が、今回本を書くに当たって工夫したのは、ストーリー仕立てにして登場人物の会話のやり取りから各国の特徴や関係性が見えるようにしたこと。難解な地政学の教科書や一般の解説書とは一線を画し、やさしい言葉で地政学の本質を学べるようにしたのだ。

「長く記者の仕事をしてきて思うのは、難しいことを簡単に言うのは非常に難しいということです。難しいことを難しく言うのは普通ですが、今は簡単なことを難しく言う人も少なくありません。地政学の入門書を読めば確かに知識は得られますが、それは表面的なものにすぎない。なぜ同じ人間なのに、生まれた国の違いによって考え方や行動様式が変わってしまうのか。私はその根底にある世界の仕組みを伝えたいと考えました」

世界で戦争が起こる要因の多くは差別意識から生まれる

今、そんな田中氏が危惧しているのが、世の中に「ヘイト」が氾濫していることだ。

「野望や陰謀といった言葉を並べ、中国人が悪い、ロシア人が悪いと表現するのはもうやめたほうがいい。そうした言葉を子どもたちが真に受ければ、差別意識で凝り固まったような人間になってしまう。世界で戦争が起きるときの要因の多くは、この差別意識から生まれています」

トラブルが起こった要因をどこかの国や人のせいにするのは簡単だが、それでは次世代を担う子どもに対する責任を果たせない。世界は複雑で面白いものなのに、差別意識によって思考が停止してしまうという。そんなときに地政学が、世界を理解する手助けになるというわけだ。

地政学を一口に言えば、地理的な条件から国際政治の背景や動向をつかむ学問ということになるが、実は定義があるわけではない。そのため田中氏は、「世界のさまざまな場所を見て、そこに住む人たちとその周辺に住む人たちとの関係性を、地球儀を見ながら考える学問である」と定義している。

「30年前と異なり、日本は世界の大国の1つになりました。日本がどう思おうが世界はそう見ています。やる気になれば独自外交もできるし、世界に貢献できる高いポテンシャルも持っている。そんな国に住んでいるからこそ、大人だけでなく、子どもたちにも世界にもっと目を向けてほしいのです。世界を知り、知的なトレーニングを行うことで、これまで自分が当たり前だと思っていたことに深い理由があることがわかりますし、ヘイトのような差別意識からも遠ざかることができるのです」

田中氏は記者として長年世界を見て歩く中で、どの国の人であれ、人間はみんな同じだということに思い至ったという。しかし、こうしたことをきちんと腹落ちして理解している人は意外にも多くはないと指摘する。

「いろんな国に行って、友達や知り合いをつくって、いろんなことを見て、話し、考える中で、私もようやく人間はみんな同じだということを理解できるようになりました。国によって考え方や行動様式が異なるのは、それぞれの国の背景や事情があるからです。そうしたことを知ったうえで外国の人たちと接すれば、世界はもっと面白い場所であることがわかるようになります。そのために有効なツールとなりうるのが地政学です」

地政学の入り口は地図や地球儀を通していろいろな国を見ること

では、どうすれば子どもたちは地政学に興味を持つだろうか。田中氏は地図や地球儀を活用することを勧める。

「子どもたちに地球儀を見せながら、そこに例えば、ロシア人とウクライナ人の女性の顔写真を並べてみます。彼女らの見た目に違いはほぼありません。では、どうして同じように見える人間同士が戦争をしなければならないのか、問いかけてみるのです」

地球儀でロシアの地図を見てみると、とても広い土地の国であることがわかる。そこから子どもたちに地図上のロシアの国境線をなぞらせてみる。きっと非常に長く感じるはずだ。

「そして、この土地をロシアはどうやって守ればいいのかを考えてみます。しかし地図を見れば、簡単に守れないことは一目瞭然。なぜなら広すぎるからです。守るためには、自分たちが住んでいる所よりもできるだけ国境線を遠くに置きたい。つまり、ロシアは領土を守るために緩衝地帯(バッファーゾーン)をつくりたい。今回の侵攻も隣接するウクライナを自国の陣営に引き入れ、敵と対峙できる緩衝地帯を確保するためのものであることがわかります」

そもそも日本は地政学的に海に囲まれた島国で、外国の脅威にさらされることが少なく国際関係に関する感度が低いという。だから隣国と陸続きの国の事情や、多民族国家で紛争が頻繁に起こる理由などを理解しにくい。

だが、世界の地形は1000年前から変わっていない。それゆえ、その影響を受けた人間の基本的な考え方も変わらない。つまり、地形や地理を基にした地政学を学べば、「そこに生まれ落ちたらそうなる」という国同士の関係性や考え方が実感としてわかるようになってくるのだ。

こうした地政学の基本的な考え方を身に付ければ、中学校や高等学校で歴史を学ぶときにも大きく役に立つばかりか、外国語を学ぶモチベーションにもなるだろう。しかも世界の見方を知れば、世界はもっと面白くなる。

「国際政治の取材の現場で感じたことは欧米が表なら、ロシアは裏だということです。でも、裏がわかると表もわかるのです。欧米の論理があれば、ロシアや中国の論理もある。欧米しか勉強していない人には世界はわからないし、欧米自体のこともわからないのです」

『13歳からの地政学 カイゾクとの地球儀航海』には、国際政治記者である田中氏ならではの仕掛けも隠されている。実は、その道のプロが読めば「これは!」と思わせるようなリアルな国際政治の内幕も溶け込ませている。実際に読んでみれば、大人こそ興味深く読めることがわかるし、世界を知ることは欧米だけを知ることではないこともわかる。

「国際政治の現場にいると欧米、とくに欧州が、自分たちは世界の中心であると考えていることがわかります。一方、日本にも欧米コンプレックスがあって、欧米の一流大学ばかりを称賛する傾向があります。しかし、自分は日本人だからと臆する必要はない。考えてみると、地図とは異なり中心がない地球儀は面白いもので、そうした感覚から自由になれます。従来の考え方や価値観の枠組みから自由に物事を捉えることで、自分の潜在力や可能性を引き出すことが必要だと考えています」

田中孝幸(たなか・たかゆき)
国際政治記者
大学時代にボスニア内戦を現地で研究。新聞記者として政治部、経済部、国際部、モスクワ特派員など20年以上のキャリアを積み、世界40カ国以上で政治経済から文化に至るまで幅広く取材をした経験を持つ。著書に『13歳からの地政学 カイゾクとの地球儀航海』(東洋経済新報社)
(撮影:尾形文繁)

(文:國貞文隆、注記のない写真:iStock / Getty Images Plus)