なぜ「今、中学生」の不登校生は夜間中学に入れないのか

現在、不登校特例校は全国に21校ある。その中でも、香川県三豊市立高瀬中学校は唯一の夜間中学だ。そして、学齢期の生徒が入学できる初めての夜間中学でもある。原則として、公立夜間中学には15歳を超えていなければ入学ができない。しかし、現在学齢期の不登校の生徒には、起立性調節障害などが原因で「朝や昼間は動けない」という子どもも多い。夕方以降であれば通学できる生徒もいる中で、なぜこれまで、夜間中学校での不登校生徒の受け入れがなされてこなかったのだろうか。

通常、公立中学校を卒業するには1年間に1015時間の授業を受ける必要がある。一方で、全国の夜間中学の授業時間は1年間に大体700時間前後。この差分については、生徒の社会人経験を考慮するという弾力的な対応で卒業を認定してきた。しかしながら、現在学齢期にある生徒にはまだ社会人経験がない。そこで三豊市立高瀬中学校は、学齢期の生徒に向けて週3回「0時間目」を設けて1年間に805時間分の授業にまで拡充。残る210時間分については、複数の教科を抱き合わせて実施できる授業を行って賄う。不登校特例校に指定されたことで特別な教育課程の編成が可能となり、学齢期の生徒に卒業認定を与えられる夜間中学が誕生したのだ。

0時限目の「ひな」では、「小学校の学習内容」と「中学校の学習内容」を扱う。いずれも不登校経験で欠落している学習内容や、標準時数の年間1015時間からの不足分を補う目的。内容例としては、ドリル学習などの反復練習、総合・英語・社会の抱き合わせ型の授業など

不登校生徒の困惑「バイトしたいが履歴書を出せない」

この三豊市立高瀬中学校夜間学級の設置に大きな役割を果たしたのが、同校英語教諭の城之内庸仁氏だ。もともと、岡山県の中学校で通常学級の教師をしていた城之内氏。当時の学校はいわゆる「困難校」で、授業中に学校を抜け出す生徒も多かった。そんな中で、不登校生にも積極的に家庭訪問を行った城之内氏。とある卒業生が、数年後に城之内氏を訪ねてきたという。「何度も家庭訪問に来てくれたのに、ごめん。でも当時はどうしても会えなくて」。そして同時に助けも求められた。「バイトをしたいけれど、履歴書が提出できない」。そこから城之内氏は必死に学び直しの施設を探すが、岡山県には公立の夜間中学がなく、行き着いたのは公民館や教養講座の英会話スクール。「ごめん、先生、どうにもしてやれん。でも、相談ならいつでも来いよ」。そう伝えるしかない自分が情けなくてつらかったそうだ。

城之内 庸仁(しろのうち・のぶひと)
香川県三豊市立高瀬中学校 夜間学級英語教諭
一般社団法人 岡山に夜間中学校をつくる会 理事長、全国夜間中学校研究会 理事、基礎教育保障学会 理事、三豊市総合政策アドバイザー、三豊市における夜間中学協議会 委員、三豊市における公立中学校、夜間学級在方検討委員会 副委員長、岡山市における公立夜間中学の在り方検討会 委員など歴任

その後も悶々とした日々を送るが、ついに2017年の4月、城之内氏が40歳の年に中国地方で初となる「岡山自主夜間中学校」を立ち上げた。翌年には一般社団法人「岡山に夜間中学校をつくる会」の理事長に就任。通常学級の教員を続けながら、夜間中学の設立に奔走した。

「夜間中学開設の試みを始めた頃、懇意にしていた先生に、『城之内、お前は校長や教頭の道を諦めるのか』と言われショックを受けたこともありました。周りの先生方が『巻き込まれたくない』と思っているのも承知していました。しかし、私は校長になるために教員になったのではありません。先生としての責任を放棄したくない一心で、相談相手もいない中でこの取り組みを始めました。しかし、最初に設立した岡山自主夜間中学校には、半年以上誰も来なかったんです」

そんな時、この取り組みを聞きつけた香川県三豊市長の山下昭史氏が城之内氏に接触を図った。そして自治体間の人事交流制度で城之内氏を三豊市に招聘し、三豊市総合政策アドバイザーに任命したのだ。

行政が夜間中学拡充に消極的な衝撃の理由

そもそも、夜間中学は、義務教育を修了していない高齢者や外国人労働者の学び場というイメージがある。現在はどのような状況なのか。夜間中学はかつて各地で、戦後の混乱期に貧困や労働で通学できなかった若者を受け入れてきた。しかし、1960年代からの高度経済成長とともにその数は激減。当時の行政管理庁は、「昼間の学校に通う生徒が少なくなる」という理由で夜間中学を潰すことも検討していたという。

この流れが変わったのは、実は最近で2016年のこと。「教育機会確保法(※)」が成立し、義務教育の段階で普通教育に相当する教育の機会を確保することが定められた。これにより、従来は夜間学級の扱いだった夜間中学が、単独校として設置できるようになった。19年には埼玉県川口市、千葉県松戸市で22年ぶりに夜間中学が設置され、これを皮切りに、茨城、高知、徳島、北海道、香川、福岡などが続き、現在、夜間中学は全国で40校に上る。しかし、多くの自治体が夜間中学の設立に熱心かというと、「必ずしもそうではない」と、城之内氏は語る。
※義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律

「理由の1つは財政的な問題です。政令指定都市ならまだしも、人口が少ない都市は予算を確保しづらいのが現状。しかも、教育機会確保法には罰則規定や財政支援については明記がなく、いわゆる理念法であったことも確かです。とはいえ、設立が不可能というわけではありません。結局は首長の決断次第であり、これがもう1つの理由でもあります。今、多くの教育委員会や市議長、区議長は、『夜間中学の設立には、まずニーズ調査が必要』と答えるでしょう。しかし20年の国勢調査によれば、小学校を出ていない人は約9万人、中学校を卒業していない人は約80万人います。彼らに教育の機会を提供するには、確実に夜間中学が必要です。夜間中学は本来あってはならない学校ですが、同時になくてはならない学校でもあるのです」

夜間中学は「人間の尊厳」を取り戻す場所

三豊市立高瀬中学校には2022年10月、県内の中学3年の不登校生1人が入学した。この生徒は、入学のために家族全員で香川県に引っ越してきた。

「入学前は、1カ月間の体験入級で様子を見ることになっています。入学した生徒も1週間に3~4日は通えるようになり、無事、正式な入学が決まりました。現在までに、ほかにも2名の学齢期の生徒が体験入級をしています。私に言わせれば、体験入級も保守的な大人の都合にすぎないと思いますが、それでも少しずつ前進しています」

夜間中学はただ読み書き計算を学ぶ場ではなく、社会性や集団性を身に付ける場でもある。夜間中学に通う生徒は口をそろえて、「修学旅行に行ってみたかった」「運動会や学級活動をしてみたかった」と話すそうだ。城之内氏は、夜間学校は失われた心や埋まらなかった思い出を取り戻す、いわば人間の尊厳を取り戻す場所なのだと語る。

「現在不登校生は約24万人いるといわれますが、1年前には約19万人でした。今、都会や地方を問わず、全国で急速に不登校生が増加しているのです。今後形式的な卒業者を出さないためにも、不登校生を受け入れる場の役割は大きい。夜間中学でなくても、フリースクールや、究極的には早朝学校や深夜学校でもよいと思います。とにかく、不登校生をたらい回しにしない社会になってほしいんです」

行政が動かないと始まらない、各首長はハンコを押して

前述の2017年に城之内氏が始めた「岡山自主夜間中学校」は、現在生徒数320名、スタッフは300名を超える日本最大規模の夜間中学に成長した。そして約2年後から、城之内氏はついに岡山県で新たに立ち上がる公立夜間中学に携わる。

「インターネットやSNSの普及とともに、子どもたちが抱える問題は大人から見えにくくなりました。水面下で行われるいじめに加え、例えば起立性調節障害や発達障害などさまざまな身体的事情も顕在化しており、生徒への対応は年々難しくなっています。教員がいくら希死念慮のある生徒の命を救ったとしても、それが報道されることはありません。しかし、現場はものすごく頑張っているのです。今、先生は生徒と関わるだけでなくさまざまな業務を担うようになり、忙しさに悲鳴を上げています。こうして全力で頑張っていてもなお、すべてに対応することはできません。ここで、夜間中学という受け皿が必要なのです」

最後に城之内氏は、今後の夜間中学のあり方について、「教員養成の段階で夜間中学に触れる機会を設けてほしい」と語る。教育課程で、例えば教育心理学とともに基礎教育の保障について扱ったり、研修において夜間中学でも通用する共感力や対応力の強化をしたりすることが大事だそうだ。

「学ぶことは生きることです。学習権の保障は、生存権や幸福追求権の保障にも通ずることですが、まず行政が動いてくれなければ、民間が介入して保障することはできません。誰一人置き去りにしない教育の実現には、とにかく行政の力が大きいのです。計算ができない人、漢字が読めない人が日本に多くいることは事実です。しかし、それを公教育の失敗と捉えて目をそらしていても何も変わりません。『誰かがいつかやる』ではなく、今、みんなでやりましょうよ。行政の力で私たちを後押ししてほしい。そして各首長はどうか、そのハンコを押す英断を下してください」(城之内氏)

(文:國貞文隆、写真:城之内氏提供)